東京都交響楽団

 

INBAL × TMSO

Mahler Das Lied von der Erde

7/16、7/17都響スペシャル《大地の歌》インバル=都響 新マーラーツィクルスで語られなかった交響曲にして巨大な連作歌曲

TMSO Special

  • ©Rikimaru Hotta

    Eliahu INBAL, Conductor Laureate都響桂冠指揮者/エリアフ・インバル

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    Eliahu INBAL, Conductor Laureate
    都響桂冠指揮者/エリアフ・インバル

    1936年イスラエル生まれ。これまでフランクフルト放送響(現hr響)首席指揮者(現名誉指揮者)、ベルリン・コンツェルトハウス管首席指揮者、フェニーチェ劇場(ヴェネツィア)音楽監督、チェコ・フィル首席指揮者などを歴任。都響には1991年に初登壇、特別客演指揮者(1995~2000年)、プリンシパル・コンダクター(2008~14年)を務め、2回にわたるマーラー・ツィクルスを大成功に導いたほか、数多くのライヴCDが絶賛を博している。2014年4月より都響桂冠指揮者。仏独政府およびフランクフルト市とウィーン市から叙勲を受けている。

  • ©Anna Thorbjornsson

    Anna LARSSON, Contraltoコントラルト/アンナ・ラーション *

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    Anna LARSSON, Contralto
    コントラルト/アンナ・ラーション *

    1997年アバド指揮ベルリン・フィルとのマーラー交響曲第2番《復活》で国際的なデビューを果たす。オペラでは、スカラ座、ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭、ロンドン・ロイヤル・オペラ、フィレンツェ5月音楽祭、ブリュッセル・モネ劇場等に出演。シンフォニーコンサートでも国際的に首位の地位を占め、ベルリン・フィル、ルツェルン祝祭管弦楽団、ニューヨーク・フィル、ウィーン・フィル、シカゴ響、ロンドン響など一流のオーケストラと定期的に共演し、マーラーの作品の最も完璧な歌い手であること示している。
    2016/17年シーズンは、ファルスタッフ/クイックリ夫人役としてデビュー(フランクフルト歌劇場)、パルジファル/クンドリ(ベルリン国立歌劇場、バレンボイム指揮)、ロンドン響、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団/ハーディング指揮(マーラー交響曲第3番と第2番)、東京都交響楽団/インバル(大地の歌)等に出演する。

  • ©Hermann und Cläerchen Baus

    Daniel KIRCH , Tenorテノール/ダニエル・キルヒ *

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    Daniel KIRCH , Tenor
    テノール/ダニエル・キルヒ *

    ドイツのテノール歌手・ダニエル・キルヒの2016/17年シーズンの主なプロジェクトはナント、アンゲルでの「ローエングリン」の新プロダクション、ウィーン・フォルクス・オーパーでのコルンゴルド「ヘリアーネの奇跡」の新プロダクション/異国の男役、「トリスタンとイゾルデ」ハイナー・ミュラーの伝説的なプロダクション/タイトル・ロールでデビュー(ヘルムートヘイヒェン指揮、リヨン歌劇場)。サンクト・ガレンでのドヴォルザーク「レクイエム」、ローマでのベートーヴェンの「荘厳ミサ」、ドレスデンでのベートーヴェン「第九」等。

都響スペシャル

  • 出演者
    指揮/エリアフ・インバル
    コントラルト/アンナ・ラーション *
    テノール/ダニエル・キルヒ*
  • 曲 目
    マーラー:交響詩《葬礼》
    マーラー:大地の歌 *

公演前にこれだけは押さえておきたい 《大地の歌》&《葬礼》基本知識5つをまとめ!

7月16日、17日の都響スペシャルは、インバルの指揮によるマーラー2作品!
前回の「マーラー・ツィクルス」では《インバル×都響》というブランドをこれ以上になく確固たるものとし、鮮烈で圧倒的な名演を繰り広げました。
しかし、そこでは語られなかったもうひとつの交響曲があります。それが《大地の歌》。
ここではプログラムの《大地の歌》、そして交響詩《葬礼》について、公演前にこれだけは押さえておきたい注目ポイントをご紹介いたします。

文/飯田有抄

  • 語り継がれる番号なしの「理由」

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    語り継がれる番号なしの「理由」

    グスタフ・マーラー(1860〜1911)の交響曲は、未完となった第10番までを含めると11作が残されています。番号が10までなのに、11作? そう、ここには番号の付いていない1作が含まれています。それが「大地の歌〜テノールとアルト(またはバリトン)と管弦楽のための交響曲」なのです。これはマーラーが第8番《千人の交響曲》に次いで作曲した9番目の交響曲です。

    なぜマーラーはこの作品に「第9番」という番号付をしなかったのでしょうか。その理由として、ベートーヴェンやブルックナーが第9番の交響曲を仕上げたあと亡くなっているため、自分も9番目の交響曲を書いたら死を迎えるのではないかとマーラーが恐れたからだと、まことしやかに語られています。これはマーラーの妻アルマが証言したことにより語り継がれているエピソード。

    事実、作品に着手したとされる1907年の夏、マーラーは愛する4歳の長女を病で失い、そして自らも心臓に疾患があると医師から告げられました。よって、彼の周りには「死」のムードが漂っていたことは確かです。さらに、ヨーロッパ中で自作の指揮をするためにウィーンを留守にしがちだったマーラーは、この年の秋に10年勤めたウィーン宮廷歌劇場(現在の国立歌劇場)の監督を辞任しなくてはなりませんでした。

    当時のマーラーを巡るこうしたショッキングな出来事、ネガティヴな環境の変化が、今日まで語られる「番号付け回避説」をいっそう強固なものにしてきたのです。

  • © Rikimaru Hotta

    得意ジャンルの
    ハイブリッド型交響曲

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    © Rikimaru Hotta

    得意ジャンルのハイブリッド型交響曲

    マーラーといえば、存命中は指揮者としてその名を馳せていたことはよく知られています。ブダペストやハンブルクの歌劇場指揮者を経て、36歳でウィーン宮廷歌劇場の総監督という権威あるポストまで上り詰め、連日オペラの上演に明け暮れる多忙な日々を送っていました。そんなマーラーが作曲をしていたのは、主に歌劇場の夏休みシーズン。声楽とオーケストラに精通した彼らしく、メインの作曲ジャンルは歌曲と交響曲でした。

    歌曲というと独唱とピアノという編成が思い浮かびがちですが、マーラーの「少年の魔法の角笛」や「亡き子をしのぶ歌」などほとんどの歌曲には、ピアノ版以外にオーケストラ版の伴奏が書かれています。

    また交響曲は、言葉を持たない純粋な器楽曲として発展を遂げてきたジャンルであり、そのためベートーヴェンが彼の最後の交響曲「第九」で歌詞を伴う声楽を取り込んだことは音楽史上まことにセンセーショナルな出来事でしたが、マーラーはなんと、大胆にも第2・3・4・8番の交響曲で声楽を用いています。

    声楽とオーケストラの特性を知り尽くしたマーラーは、このように創作の早い段階から両者を対峙させ続けてきましたが、指揮者としてのみならず作曲家としても円熟の期を迎えていた彼は、《大地の歌》で自分の2大ジャンルである歌曲と交響曲とを見事に融合させました。作品を構成する6つの楽章すべてに独唱が伴い、テノールとアルト(またはバリトン)が交互に歌います。

  • マーラーを魅了した
    詩の世界

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    Photo of Gustav Mahler by Moritz Nähr

    マーラーを魅了した詩の世界

    マーラーは歌曲のテキストをドイツに伝わる童話、民衆の詩、同時代の詩人の詩などを題材としてきましたが、《大地の歌》で拠り所としたのは中国の詩が描く世界でした。といっても、マーラーが李白、孟浩然、王維といった中国語の詩に直接触れたわけではありません。マーラーが触発されたのは、ドイツの詩人ハンス・ベートゲという人物が出版した「シナの笛」と題された詩集です。これは中国の原詩を忠実に翻訳したものではなく、ベートゲ自身の解釈を大いに織り交ぜた内容の詩集でした。

    生と死、美のはかなさ、別れなどを詠う詩集「シナの笛」は、長女の死という大きな悲しみに打ちひしがれていたマーラーに友人がプレゼントしたもの。マーラーは出版されたばかりのこの本に夢中になり、大きな共感を寄せて《大地の歌》の創作へとのめりこみ、連作歌曲を作ろうという構想は次第に独唱付きの交響曲へと発展していきました。マーラー自身の個人的な心理状況ばかりではなく、19世紀末からヨーロッパの文学、絵画、音楽に蔓延しつつあった厭世観や退廃的なムード、そして非ヨーロッパ的なるものに芸術的な活路を見出そうとする異国趣味の流行もまた、《大地の歌》を生み出す土壌として作用したと言えるでしょう。

  • 《葬礼》と《復活》の第1楽章、どこが違う?

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    《葬礼》と《復活》の第1楽章、どこが違う?

    さて7月16、17日の公演では、《大地の歌》に先立ち、交響詩《葬礼》が演奏されます。マーラーに《葬礼》という名の交響詩があったこと自体あまりピンと来ないかもしれませんが、冒頭を聴いただけですぐにお気づきになるでしょう。実は、交響曲第2番《復活》の第1楽章そっくりなのです。

    マーラーは最初の交響曲《巨人》を1888年に完成させましたが、その直後一気に書き上げたのが、スコアの表紙に《葬礼》と記した管弦楽でした。《葬礼》というタイトルは、マーラーの友人である詩人リピナーが訳したポーランドの詩集に触発されたものと考えられています。タイトルの下には「交響曲ハ短調」と書き付けたあと、なぜか文字の上に線を引っ張って取り消しています。同時に「第1楽章」という書き込みもあるため、マーラーはどうやら当初から《葬礼》を大きな交響曲に仕上げる意図を持っていたようです。

    しかしマーラーはその後スケッチを発展させることなく、スコアを単一楽章の交響詩として出版しようと考えました。ところが出版社から断られ、しかもピアノによる試演を聴かせた大指揮者ハンス・フォン・ビューローからも「これが音楽なら、私には音楽がわからない」と撥ね付けられてしまいます。

    出版社や尊敬する先輩からの拒絶に反省したのか、マーラーはその後スコアを修正します。冗長な部分は割愛し全体で28小節分をカット、管楽器の数を増やし(たとえばフルートは3本から4本へ、ホルンは4本から6本へ等)、立体感のあるオーケストレーションを施そうと、細部のリズムや楽器の掛け合いに変化を持たせました。展開部の後半には、J.S.バッハのオルガン曲「小フーガ」BWV578からの引用と思われるフレーズがホルンパートに登場していたのですが、そちらも割愛されました。そのようにして整えられたものが、1894年に完成する交響曲第2番《復活》の第1楽章となるのです。

    今回演奏される交響詩《葬礼》は、《復活》第1楽章の原型と言える作品というわけです。マーラー・ファンの皆さん、二つの作品のどこに違いを感じられるかじっくりとお聴きください。

  • © Rikimaru Hotta

    インバルが聴かせる
    初カップリングに注目!

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    © Rikimaru Hotta

    インバルが聴かせる初カップリングに注目!

    交響詩《葬礼》と《大地の歌》が演奏される今回の公演。都響と2度にわたる「マーラー・ツィクルス」(1度目は1994~96年、2度目は2012〜14年)を大成功させたエリアフ・インバルが、初めて聞かせるカップリングとしても大いに注目したいところです。インバルが都響と《葬礼》を取り上げるのは初、そして《大地の歌》は2012年3月の公演以来となります。今回は「マーラー作品の最も完璧な歌い手」と称されるコントラルトのアンナ・ラーション、ワーグナーの楽劇等で活躍するテノールのダニエル・キルヒとの共演により、マーラーの描いた生と死を巡る壮大なドラマを、繊細かつ大胆に聴かせてくれことでしょう。

© 藤本史昭

COLUMN

エリアフ・インバルと都響が演奏するマーラーを
また聴けるのは、嬉しい。

彼が都響と最初に演奏したマーラーの交響曲は、第2番《復活》である。それは、彼が都響に初めて客演指揮した1991年9月のこと。同月26日の定期演奏会においてであった。

文/東条碩夫

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それから現在まで、彼が都響でマーラーの交響曲を指揮した回数はいったいどのくらいに上るだろうか。もちろん彼は、マーラーばかり指揮していたわけではないけれども、かくもマーラーとの結びつきを強く感じさせる指揮者は、数ある来日指揮者の中で、インバルを措いて他にいない。そして、最も気心知れた関係にあるオーケストラたる都響とのマーラー演奏の数々は、ほとんどすべてが、卓越した素晴らしさを示しているのである。

「私は決して容易い指揮者ではありません。むしろ多くのことを要求します」と都響に対して語ったこともあるインバルは、その威嚇(?)通り、実に厳しいトレーニングを都響に対し行なった。そして、都響もまた、嬉々としてそれに応え、彼の指揮のもと、常に傑出した演奏を繰り広げてきたのだった。

インバルの指揮するマーラーは、常に重量感たっぷりの響きを持ち、寸分の隙なく引き締められ、緊張感にあふれている。フレーズや主題の際立たせ方がメリハリに富んでいるため、楽章の形式感も明瞭に浮かび上がる。それは作品によっては、感傷に陥らない、情念の世界とも無関係な、厳しく求道的なマーラー像を描き出すだろう。また他の作品においては、精神的な不均衡を感じさせる作曲家像ではなく、むしろ毅然たる意志を備えたマーラー像を浮かび上がらせるだろう。いずれにせよ、マーラー特有の破天荒な自由さを損なうことなく保ちながら、一方でがっしりした形式感と明確な均衡を構築するというのは、並みの指揮者にはできないおおわざである。インバルは、それを併せ有する指揮者なのだ。

インバルと都響ならではの、豊潤な世界

今回の都響スペシャルでは、まず《葬礼》が話題の一つだろう。これは第2交響曲《復活》の第1楽章として構想されたものだ。滅多に演奏されない版だから、これをナマで聴けるというのは、マーラー愛好者にとっては千載一遇の好機である。

都響がこの《葬礼》を取り上げるのは、実に27年ぶりになる。第3代音楽監督・若杉弘が都響初のマーラー交響曲全曲演奏会を行なった際、1990年3月30日の《復活》に織り込んで演奏して以来である。曲の基本的な形は現行版の第1楽章と共通したものだが 管弦楽法などの細部は、全く異なる。比較して聴くと、こたえられない楽しさだ。

インバルがこれを都響で指揮するのは、もちろんこれが初めてだが、現行版に比べると少々散漫なつくりの━━若書きの作だから、これは仕方がないし、そこがまたダイヤの原石にも似て、面白いところだ━━この《葬礼》が、彼の指揮により、どんな引き締まったイメージになって立ち現れるか、興味津々なものがある。

いっぽう、交響曲《大地の歌》も、インバルは、都響との演奏では、これまでわずか1度しか取り上げていない。彼が指揮した最初の全曲ツィクルス(1994年4月から)の際にも、2度目の全曲ツィクルス(2012年9月から)のときにも、━━いずれにも補訂完成版の第10番は含まれていたにもかかわらず、《大地の歌》は組み込まれていなかったのである。むしろ第2次のツィクルスに先立つ形をとった2012年3月の演奏が、インバルと都響が聴かせた、これまでの唯一の《大地の歌》だったのだ。このあたりに、彼のこの曲についての考え方が表われているだろう。彼はこの《大地の歌》には、番号付きの交響曲とは全く異なる、特別な意味を持たせているのだと思われる。

思い起こせば、インバルは、あの時の《大地の歌》の演奏を、彼のいつものマーラーと同じように、音楽を隙なく構築しつつ、曲の起伏を微細なニュアンスで表情づけていた。現世への告別が切々と歌い上げられた第6楽章は、インバルの「過度の情に流されない」毅然とした構築のうちにも深い感動がこもった演奏だった。そう、あの《大地の歌》の響きこそは、長い年月にわたり協演を続けているインバルと都響ならではの、豊潤な世界ではなかったか。

そして、それから5年後のいま━━。

TMSO INTERVIEW withTOMOYUKI HIROTA

都響メンバーがインバルに寄せる信頼が燃え上がり、一期一会の名演を生む。

インバルさんとの共演は、〈みんなでインバルさんの理想の世界へ行かなくちゃいけない〉という使命感が生まれる。結果、インバルさんの音になるわけです。面白いですよ

広田智之 都響首席オーボエ奏者

インタビュー・文/山野雄大  写真/堀田力丸

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インバルとの《大地の歌》

マーラー《大地の歌》といえば、最終楽章「告別」の長大なソロをはじめオーボエ独奏が聴き手の胸を深くうつ場面が多い作品だが、来たる7月にインバル指揮で行われる公演でこの曲を吹くのは、都響の誇る首席オーボエ奏者・広田智之。その精緻でしなやかな音楽、多彩なニュアンスの絶妙なコントロールから生まれる歌心と美音の広がり……《大地の歌》の名演にも期待のかかるところだが、「実は僕、この曲を初めて吹くんです」と驚きの発言。
「インバルさんとは、マーラーの交響曲を1ツィクルス半くらい演(や)ってますが……というのも変な言い方ですけど(笑)この曲だけ演ってないんですよ」

ちなみに、CD化されているインバル=都響の《大地の歌》(2012年3月)は、もう一人の首席奏者であった故・本間正史氏の引退公演でもあった。オーボエ冥利に尽きる大作、奇しくも先輩へのはなむけとなったわけだが、今回は都響のいまを担う名手・広田智之の充実を改めて味わう機会となる。

「作品を聴いて知っていることと、リハーサルが始まってみて感じることはたいがい違いますから、まぁ今回もそうだろうなぁと思うんですが」と笑いつつ、「この《大地の歌》という作品は、たとえばCDを聴いていても〈実際はこう聴こえないだろうなぁ〉と思うようなバランスだったりしますし、難しい作品ですね。インバルさんのマーラーは、どの番号を演ってもインバルさんらしいところに着地するなか、特に大編成の作品が彼の特性に近いのかな、と感じるところがありますし、この作品でどういう演奏になるのか、素晴らしい歌手を揃えているからこその演奏会でもありますし、楽しみですね」

インバルの凄さ

都響との共演も長年にわたり、インバル自身も年齢を重ねて音楽のスケールも変化してきたように思えるが、「彼の指揮はスケールの大きさを取り上げられることが多いですが、とても細かい。棒を振りながらよく聴いて、難しい音程やリズムの箇所も微細にコントロールしているんです。本番でもちゃんとバランスを取ろうとする。本番は3日間のリハーサルの集大成ですから、いい意味でのノリのようなものもあって、手綱を引きすぎずにいくということもあるんですが、インバルさんは違う。彼には〈絶対理想〉というべきものがあって、(録音エンジニアが)調整卓で細かくバランスを取ろうとしているような調整を、本番でやるんです。しかも、その瞬間的な判断が結果として的を射ている。だからとても緊迫感があるし〈みんなでインバルさんの理想の世界へ行かなくちゃいけない〉という使命感が生まれる。結果、インバルさんの音になるわけです。面白いですよ」

都響メンバーがインバルに寄せる信頼が燃え上がり、一期一会の名演を生む。 「インバルさんのもうひとつ凄いところは、生命力ですね。リハーサルでも最後の1分まで演ろうとするし、以前、定刻の5分前にリハーサルが終わった時にはオーケストラから拍手が起こって、彼もニヤッと笑ってました(笑)」

世代を超えた尊敬と信頼感がある木管セクション

広田智之が都響の首席オーボエ奏者に就任したのは2006年。以来、看板奏者の一人としてこのオーケストラの豊かな成長を担ってきた。

「世界的にオーケストラのダイナミック・レンジが広がって、上手いオーケストラはピアニシモが本当に小さくなりました。高度なアンサンブルを実現するためには、小さな音量でどれだけ表情豊かに演奏するか、というところがあります。都響は日本のオーケストラの中でも、そうした細かい表現ができるという点で相当前にいっていると思いますし、皆がとても柔軟なオーケストラになりましたね」

特に木管の現況について伺うと、「お互いをリスペクト、信頼しているセクションだと思います」と頷く。「世代を超えるえてお互いを尊敬しているし、信頼感がある。どこにも穴がないという意味で日本一かもしれません。さらに、特に古典の曲では木管を生かすも殺すも金管で、木管をちゃんと聴いて音量を落とさなければいけないのですが、都響の金管には素晴らしいピアニシモを吹ける驚異的な奏者がいるわけです。年齢が高い人も圧倒的にクオリティが高い。そういう良い伝統をこれからも繋げていける、自負をもっていくべきだと思います」

広田プロデュースのオーボエ〈H-Limited〉の開発秘話

さらに、広田は都響首席奏者に就任する以前から、自身のプロデュースした限定生産モデルのオーボエ〈H-Limited〉の開発に携わり、3度に及ぶモデル・チェンジを重ねて今や完成の域に達した。

「僕は日本人のなかでも身体が小さいほうで、背が高くて肺活量も多いベルリン・フィルのオーボエ吹きなどに比べれば、手も小さくて非力なんです。小回りが利くというメリットはあるかもしれないけれど、基本的にはスポーツと同じで身体が大きい方が有利。同じ楽器を使って同じに立ち回ることなんかできない。日本人向けのモデルが必要なのではないか、と楽器メーカーに相談したら、ヤマハさんに〈とにかくリクエストは全部きく〉と言われて、わがまま放題に言い(笑)、作っていただきました」

最初のモデルから凄い完成度だったそうで、「こんな言い方をすると偉そうですが、行きすぎちゃったんです。性能が良すぎてF1マシンのような楽器ができてしまい、公道を走るにはかえって不便だなと(笑)。我々は、音を出すときにある意味で抵抗感がないと怖いんですよ。その抵抗感を利用して音色を作ったりしますから。ところが最初にできた楽器は、立ち上がりが良すぎて、奏者にはリードをコントロールする技術がより高く要求されるようになった。恐ろしくて走れないというのが最初の楽器でした。買って下さった方もたくさんいらっしゃったし、僕もしばらく使っていましたが、次は逆にマリゴー(フランスの楽器メーカー)に近づけてみたオーボエを作って、そしてその後、双方の特長を半々にした楽器を3度目に作っていただいた。最初の楽器は怖くて吹けなかったという方も〈これは素晴らしい楽器だ〉と。公道を走れるフェラーリができたようなもので(笑)、あちこちのプロ・オーケストラでも使っていただいています」

芸術家としてより崇高なものを目指すために

粋を尽くした楽器と共にしなやかに経験を重ね、深化してゆく広田智之。

「20代では思いもつかなかったことが出てきて、オーボエ観やオーケストラ観も、大げさに言えば若い頃の価値観とは真逆に感じられることもあります。──若い頃に力をこめて演れてきたこと、それが本質ではなかったとは言わないけれど、もっと昇華するために、力がかえって邪魔になることはある。薄く弱くなるということではなく、いい意味で効率を考え、削ぎ落とされた美学の方へ意識が向かっていった頃が、ヤマハと楽器を作り始めた頃と重なるんですね」

いよいよ自然な自在を広げるその音楽は、たゆまぬ錬磨の賜物だ。 「自由に演奏することが、最終的には〈音楽的な美音〉になる。ただ、音出しした時の音が美音であっても意味がない。吹き始め、フレーズに一致していった中で美しくきこえないと意味がない。──ホームランバッターが筋力だけで無理してやろうとしてもいつかダメになるけれど、身体を柔軟なバネのようにしてヒットメーカーになることがありますね。それと同じで、無理して演奏することは楽器生命を短くしますし、本質にはなり得ない。柔軟になると、柔軟なフレーズがあらわれる」

芸術家としてより崇高なものを目指すために……と語る広田、朗らかな笑顔にも強い責任感と思索の深さが閃くような(そして常にユーモア溢れる)その語りは、彼の音楽とも響きあう。

広田智之 HIROTA Tomoyuki

国立音楽大学在学中に日本フィルへ入団、1988~2000年まで同団首席オーボエ奏者。2000年9月にソリスト・デビュー。2001~04年、日本フィルにわが国のオーケストラとして初のソロ・オーボエ契約で迎えられ、2006年からは都響首席オーボエ奏者。紀尾井ホール室内管弦楽団、ザ・シンフォニエッタみよし及びトリトン晴れた海のオーケストラのメンバーとしても活躍。上野学園大学教授、桐朋学園大学特任教授。日本オーボエ協会常任理事。

INBAL×TMSO Movie TMSO Liveにて期間限定で掲載されたマーラーの交響曲を再公開!
聴衆を熱狂の渦に巻き込んだインバル=都響 新・マーラー・ツィクルス(2012~2014年)と
都響スペシャルから交響曲第6番〜第10番を順次公開いたします。

Mahler : Symphony No.6 in A Minor
マーラー:交響曲第6番 イ短調 「悲劇的」より1楽章

インバル=都響《新・マーラー・ツィクルス6 》 2013年11月3日 東京芸術劇場

Mahler : Symphony No.7 in E Minor
マーラー:交響曲第7番 ホ短調 より3楽章

インバル=都響《新・マーラー・ツィクルス7 》 2013年11月9日 東京芸術劇場

Mahler : Symphony No.8 in E-Flat Major
マーラー:交響曲第8番 変ホ長調 《千人の交響曲》より1楽章

インバル=都響《新・マーラー・ツィクルス8 》 2014年3月8日 東京芸術劇場

Mahler : Symphony No.9 in D Major
マーラー:交響曲第9番 ニ長調より1楽章

インバル=都響《新・マーラー・ツィクルス9 》 2014年3月17日 サントリーホール

Mahler : Symphony No.10 in F-sharp Major
マーラー:交響曲第10番 嬰へ長調(クック補完版)より5楽章

都響スペシャル 2014年7月20日 サントリーホール

Photo Galleryリハーサルや本番写真を随時追加いたします

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