都響スペシャル

小宮 正安

 本日のオール・ベートーヴェン・プログラム、実は2つの特徴が隠されている。1つは調性。前半の2曲はハ短調、後半の1曲はイ長調だが、ハ短調は楽譜上でフラットが3つ、イ長調はシャープが3つ付く。またもう1つは(これはあくまで後世の一方的な評価に過ぎないが)、ベートーヴェン(1770~1827)が最もベートーヴェンらしかったと言われるいわゆる“中期”を代表する作品が揃っているという点。これら2つの特徴を軸に、それぞれの作品を詳しく見てゆこう。

ベートーヴェン:序曲《コリオラン》op.62

 1807年の作品。ハインリヒ・ヨゼフ・フォン・コリン(1771~1811)というウィーンの作家が書いた戯曲『コリオラン』(戯曲の初演は1802年、ウィーンの宮廷劇場の1つだったブルク劇場にて)に触発され、1807年に同戯曲が同劇場で再演された際に、劇の幕開けを飾る序曲として演奏された。ただし、序曲そのものの完成度が非常に高かったため、やがて劇とは切り離され、コンサートで上演される「演奏会序曲」として用いられることが専らとなった。

 もちろん、もともとはベートーヴェンがコリンの戯曲に霊感を得たのがきっかけとなっているだけのことはあって、序曲《コリオラン》にもその内容が色濃く反映されている。戯曲の主人公は、古代ローマの英雄コリオラン(ラテン語ではコリオラヌス)。政治的対立でローマを追われた彼が、隣国で将軍となり祖国へと侵攻するものの、妻と母の忠告により再びローマ側に味方をしたため殺されてしまう、という内容である。

 そしてこのようなストーリーを音楽によって暗示すべく、衝撃的な激しい冒頭部分に続き、コリオランを象徴するかのような悲劇的かつ情熱的な第1主題と、その妻を描いたかのような柔和な第2主題が提示される。さらにそれらがソナタ形式の枠組みの中で互いに高まり合いつつも、最後は主人公の死を描くかのような弱音で第1主題が消えてゆく、という構成になっている。

 なお、アレグロ・コン・ブリオ(速く、激しく)という指定や、第1主題に用いられたハ短調という調性、さらに1つの動機を執拗に積み上げてゆく姿勢など、この作品は同じ頃に作曲されていた交響曲第5番ハ短調op.67(通称《運命》)とよく似た特徴を持っていることが指摘されている。

作曲年代 1807年
初  演 1807年3月8日 ウィーン リヒノフスキー侯爵邸
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37

 ベートーヴェンは生涯で番号付きのピアノ協奏曲を5つ残しているが、この作品のみ短調で書かれており、異例の位置を占めている。

 ここで、ハ短調という調性の意味について考えておこう。少なくとも19世紀前半までのヨーロッパの美学においては、それぞれの調性は各々異なる意味合いを具えていると考えられていた。中でもハ短調は、悲劇性や闘争を象徴する調性だったのである。

 じっさい、当ピアノ協奏曲を作った当時のベートーヴェンは、終生抱え込むこととなる耳の病と闘っている最中だった。また遠くフランスでは、ナポレオン・ボナパルト(1769~1821)が第一統領に就任して権力を掌握。ベートーヴェンも熱狂したフランス革命の思想をヨーロッパ中に広めることを錦の御旗に、各地で快進撃を繰り広げていた。このような公私にわたる“闘いの時代”に、それを端的に象徴する調性をベートーヴェンは最新のピアノ協奏曲に持ち込んだ。そしてこれは、非常に思い切った決断ではなかったか?

 ピアノ協奏曲は元来、ピアニストがオーケストラをバックに自らの腕前を披露するためのジャンルだった。というわけで古典派の協奏曲では、たとえば第1楽章においてまずはオーケストラが前座のようにメロディを奏でた後、独奏ピアノが花道を通るがごとくやおら登場するのだが、そうした形式も、ピアニストこそが主役であるという考え方を如実に反映したものに他ならない。そしてこの形式はあまりにも説得力があったため、ベートーヴェンの当協奏曲ですら、それに則って書かれているほどである。

 ただし従来型のピアノ協奏曲においては、ピアニストの腕前を華々しく強調するという目的のゆえ、長調を基本とする煌びやかで派手やかな曲想がよしとされていた。そうした風潮の中にあって、ベートーヴェンはあえて短調、それもハ短調という調性を導入した。ちなみに協奏曲に短調を導入した有名な先例は、彼の先輩にあたるモーツァルト(1756~91)だが、いわばその路線を継承・拡大したのがピアノ協奏曲第3番だったといえよう(当協奏曲でこのジャンルに大きな価値転換をもたらしたベートーヴェンは、続くピアノ協奏曲第4番・第5番《皇帝》においては、曲の冒頭からピアノを登場させたり、オーケストラにピアノと同等の主張を行わせたりといった具合に、さらなる斬新な世界を築き上げていった)。

 第1楽章は、序曲《コリオラン》と同様アレグロ・コン・ブリオの表記の下、2分の2拍子、つまり闘争性を帯びた行進曲を想起させる拍子に乗って、ソナタ形式に基づくハ短調の激しい音楽が奏でられる。第2楽章は対照的にラルゴ(ゆったりと)と指定され、8分の3拍子に基づく瞑想と慰めに満ちたホ長調の曲想が複合三部形式で交差する。第3楽章は再び2拍子(ただし4分の2拍子)に戻り、アレグロ指定の下、ロンド形式で短調や長調の部分が激しく切り結んだ後、最後は急速なテンポで輝かしいハ長調が響きわたる。

 このように全体としてはハ短調を基本としているものの、そこに長調の楽想が時には勇壮に、時には優しく絡むことで、ベートーヴェンが闘いの中で掴み取ろうとしていた希望や、悩み多い日々の中で夢見た希望が明滅する。そうした意味で、当曲は古典派の協奏曲の様式にぎりぎりで踏みとどまる一方、作曲家の情熱や感情が至るところに迸る作品として、19世紀のロマン派のピアノ協奏曲への道を切り開いた存在といえるだろう。

作曲年代 1796~1803年
初  演 1803年4月5日 ウィーン アン・デア・ウィーン劇場 作曲者独奏
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部、独奏ピアノ

ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92

 19世紀初頭のヨーロッパは、史上稀に見る動乱の時代だった。先述の通り、革命精神の伝播を錦の御旗に掲げたナポレオンが、フランス軍を率いてヨーロッパ諸国に進軍。当初はこの状況を喜んで迎えていた各地の市民(その中には自他ともに市民階級を象徴する音楽家であることを認めていたベートーヴェンも含まれていた)だったが、現実には略奪暴行を繰り返すフランス軍を前に大きな失望を覚えてゆく。それでもナポレオンの快進撃は止まらず、1812年5月にはロシアへの進軍を行うべく、ドイツ語圏の諸侯を半ば強制的にこの計画へと巻き込んでいった。

 ベートーヴェンが交響曲第7番の総譜作りに着手したのは、まさにこうした時期(下書きは前年の1811年に始まっていた)。尋常ならざる時代状況に加え、自身の耳の病も深刻化し、彼のために作られた補聴器もほとんど役に立たなくなってしまうという苦悶の時代だった。そうであるにもかかわらず、いやまさにそれだからこそ、ベートーヴェンがこの交響曲に異常なほどのエネルギーを注ぎ込んだことは間違いない。

 ところでこの交響曲、後にワーグナー(1813~83)が「舞踏の聖化」と呼んだことでも有名で、現在でもこのコメントがしばしば引き合いに出されることがある。たしかにそう言われるだけのことはあって、「輝かしさ」や「陽気さ」を象徴するイ長調が基本となっているのがその一例。

 さらに各楽章も踊りを彷彿させるリズムを基本としており、第1楽章の(ポコ・ソステヌートの序奏に続く)主部は8分の6拍子に基づいた狩を彷彿させるヴィヴァーチェ=生気に満ち溢れたジグ(注1)。第2楽章はアレグレット(少しだけ速く)と指定された4分の2拍子を基調とするマーチ(葬送行進曲を彷彿させる沈痛な曲想ゆえ、しばしば1拍を2つに分けてあたかも4拍子であるかのように演奏されることが多いが、本来はより速い速度感覚が要求されている)となっている。

 さらに第3楽章は、4分の3拍子でプレスト(急速に)という速度表示が付されたベートーヴェン得意のスケルツォ。そして第4楽章は彼が好んで用いたアレグロ・コン・ブリオ(速く、激しく)の指定がなされた4分の2拍子のコントルダンス(注2)、とも解釈できる。

 このように、まさにダンス音楽のオンパレードともいえる交響曲第7番なのだが、ベートーヴェンを崇拝していたワーグナーは、この作品が単にダンス音楽の寄せ集めのように見られることを不快に感じていたのだろう。評論活動も行っていた彼は、1850年に出版した著作『未来の芸術作品』において、当交響曲について次のように述べている。「これを聴けば、単にお楽しみのための仮装行列のような存在でないことはすぐに分かるはずだ」。

 ではこの曲が一体何かといえば、それこそが「舞踏の聖化(Apotheose des Tanzes)」。直訳すれば「ダンス音楽の神格化」となり、ワーグナー自身、古代ギリシャ時代のデュオニソス(酒と興奮をもたらす神)的なエネルギーがそこに満ち溢れていると高く評価している。じっさい1812年という時代の尋常ならざる熱気が、この交響曲に刻印されているといっても過言ではあるまい。

(注1)ジグ:イギリスやアイルランドで発祥した、8分の6拍子系の急速な舞曲。バロック期の組曲の終曲に用いられた。

(注2)コントルダンス:イギリスの「カントリー・ダンス」が起源とされる、2拍子系の急速な舞曲。17~18世紀のフランスを中心に流行した。

作曲年代 1811~13年
初  演 1813年12月8日 ウィーン ウィーン大学講堂
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部

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