第804回 定期演奏会Bシリーズ

小宮 正安

シューベルト(ウェーベルン編曲):ドイツ舞曲 D820

 「ドイツ舞曲」はもともと、南ドイツやオーストリアの山岳地帯の庶民に愛された、荒ぶる民族舞曲だった。激しい3拍子に合わせ、下々の男女が身体を密着させて踊るといった具合に、同じ3拍子でありながらも貴族に愛された優雅なメヌエットとは対極をなす舞曲で、18世紀には風紀を乱すという理由から様々な地域で上演禁止令が出されたほど。

 ところが18世紀も終わりに近づき、王侯貴族の支配下に置かれていた市民階級が台頭すると、事態が変わってゆく。つまり、ドイツ舞曲を受け容れようという姿勢がリベラルな貴族を中心に広まり、彼らにふさわしく優雅な要素を加えた踊りへと変化し始めた。いっぽう市民の側にとっても、自分たちが社会進出を遂げるにあたってはそれにふさわしい貫禄や洗練が必要になるというわけで、柔和で華やかなドイツ舞曲が好まれるようになり、それが19世紀になるとワルツへと発展してゆく。

 そんな状況の中で生まれ育ったのが、フランツ・シューベルト(1797~1828)。彼はハンガリーの貴族であるエステルハージ侯爵家で音楽教師を務めており、この家の娘であるマリー(1802~37)とカロリーネ(1805~51)のために多くのピアノ曲も作曲した。その1つが1824年、カロリーネのために書かれたピアノ独奏用の《6つのドイツ舞曲》D820である。おそらくは、サロンなどで開かれる私的なダンスの集いで用いられるだけでなく、弾いて/聴いて楽しむピアノ・ピースとしての目的もあったのだろう。いずれにしてもこの曲はその後エステルハージ家に秘蔵され、存在が一般に知られることはなかった。

 ところが1928年のシューベルト没後100年祭などをきっかけにシューベルト・リヴァイヴァルの機運が盛り上がる中、1930年にはこの曲が「再発見」される。さらに、ウィーンの楽譜出版社のウニフェルザールは、この街を代表する音楽家の1人だったアントン・ウェーベルン(1883~1945)に管弦楽用の編曲を依頼。当時のウェーベルンは、その前衛的な作風で当時の音楽界に激しい議論を巻き起こす一方、卓越したオーケストレーション技術の持ち主としても知られ、シューベルトをはじめとするウィーン縁(ゆかり)の作曲家の名作の編曲を行うなどして名を馳せていた。

 ウェーベルンは、オリジナルでは6曲から成っている構成を、
   第1曲-第2曲-第1曲-第3曲-第1曲-
   第4曲-第5曲-第4曲-第6曲-第4曲
という形に編み直し、全体をいわばロンド形式のように再構成した。しかも、シューベルトの時代のダンス・オーケストラを彷彿させる小ぶりの編成を採り入れることで、オリジナルでは聴き過ごされがちな音のぶつかり合い、激しいアクセントや拍節など、ドイツ舞曲に元来備わっていた荒ぶる革新的な要素を浮き彫りにしてみせた。ここに、シューベルト自身のオリジナルとは異なる、新たな異稿(ヴァリアント Variant)が誕生したのである。

作曲年代 オリジナル/1824年 編曲/1931年5~6月
初  演 1931年10月25日 ベルリン ヘルマン・シェルヘン指揮
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、弦楽5部

R.シュトラウス:メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作

 リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)の最晩年の作品の1つである《メタモルフォーゼン》は、1945年に作曲された。ナチス政権に蹂躙された上に、連合国からの軍事攻撃を浴びてドイツ文化が崩壊へ追いやられたことに対する悲しみと哀悼の情が、作品誕生の背景に脈打っている。

 ちなみに日本語で「変容」と訳される「メタモルフォーゼン Metamorphosen」という題名だが、もともとは「変身」や「脱皮」という意味もあり、たとえば幼虫が蛹になり蝶となって羽ばたいてゆくといった、いわば異次元的な変容を指す。

 それを念頭においてこの曲を聴けば、冒頭部分(アダージョ・マ・ノン・トロッポ)で切れ切れに示される沈鬱な幾つもの動機が、やがて大きな奔流にまとまって情熱的に高まっていった(アジタート)末、ふたたび冒頭部分のテンポと雰囲気に戻り(アダージョ、テンポ・プリモ)、しかもより悲劇性を色濃く湛えた挙句、最後に消えるように終わる……という大きく3つの部分からなる全体の構成が、まさにそうした決定的な変容を物語っていることが分かるだろう。

 ちなみに「音楽における変容」といえば、「変奏(ヴァリエーション Variation)」というジャンルが思い当たる。ある主題に基づきながら、主題そのものとは異なる形(ヴァリアント Variant)が次々と展開し、最後にはヴァリアントの究極の形が待ち受ける。場合によっては、例えばベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》第4楽章のように、先に幾つものヴァリアントが提示された後に、ようやく主題が姿を現すという裏技も存在するが、その主題もさらに変化を遂げてゆくのが通常である。

 そうした意味では、《メタモルフォーゼン》も変奏曲の1つと考えられるいっぽう、変奏曲において要となる主題らしきものはいっこうに登場せず、崩壊した瓦礫のごとき動機のみが次々と現れてようやく曲が動き始める。しかも全曲の最終部分、普通の変奏曲であれば大団円の部分においてようやく明らかになる主題が、先に挙げた《英雄》第2楽章、つまり葬送行進曲の主題であったという結末だ。

 そんな救いようのない結末へひた向かう音楽を形作るのは、23の独奏弦楽器。といっても弦楽合奏というよりかは、それぞれの楽器が独自のパートを奏でることのほうに力点が置かれており、そうしたパーツとしての響きがやがて合奏の大きなうねりを作り出し、葬送行進曲の結論へ至るという曲全体の構成と一致を見せている。それまでも、交響詩やオペラにおいて、弦楽器グループを細かに分けてきたシュトラウスのこと。彼のオーケストレーションの創造性が発揮された結果であって、だからこそ「23の独奏弦楽器のための習作(=試み)」という挑戦的な副題が付けられているのだろう。

 だが皮肉なことに、このシュトラウスの新たな挑戦は、ドイツ文化への挽歌といえるこの作品において実を結んだ。そして彼は、ナチスに協力したという嫌疑をかけられ、その後、過酷な晩年の日々を送ることとなるのである。

作曲年代 1945年1月下旬~4月12日
初  演 1946年1月25日 チューリヒ
パウル・ザッハー指揮 チューリヒ・コレギウム・ムジクム
楽器編成 ヴァイオリン10、ヴィオラ5、チェロ5、コントラバス3

ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 op.55《英雄》

 前出の《メタモルフォーゼン》との繋がりということでは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の交響曲第3番《英雄》も、「戦争と音楽」あるいは「変奏曲」といった視点から語れる作品だ。

 「戦争と音楽」に関しては、当初、フランスを代表する軍人だったナポレオン・ボナパルト(1769~1821)に捧げることを目的としてこの交響曲が書かれたということ。当時ヨーロッパ中の君主国に闘いを挑んでいたナポレオンを、ベートーヴェンは「自由・平等・友愛」の精神に基づくフランス革命の体現者と見なし、期待を寄せていた。しかし、当のナポレオンがフランス皇帝に即位したことを知るや否やその行動に失望し、表紙に書かれた彼への献辞を削り取ってしまった……。

 あまりにも有名なエピソードだが、本稿ではむしろ「変奏曲」という側面に注目したい。というのも先ほども触れたように、この交響曲の第4楽章は変奏曲となっており、しかも楽章が始まってからしばらくしてようやく主題の全体像が現れるという斬新な構成をとっている。さらにこの主題は、単に第4楽章だけではなく、第1楽章第1主題とも密接に関わっており、その第1楽章第1主題は第2楽章の葬送行進曲の主題に影響を及ぼし……といった具合に、この交響曲全体が巨大な変奏曲になっているとも言えるからである。

 なおベートーヴェンは生涯にわたって変奏曲、あるいは変奏が登場する作品を様々に手がけているが、その理由はどこにあったのだろう?変奏曲=ヴァリエーション(Variation)は、もともとラテン語で「変化」を意味する「ヴァリアーレ(variare)」という言葉から来ている。そして「変化」「変革」こそは、ベートーヴェンの創作活動に欠かすことのできない重要な要素だった。とりわけ交響曲第3番を手がけていたころの彼にとって、変化・変革は単に芸術の分野だけではなく、政治や社会の分野においてきわめて大きな意味を持っていた。

 そんなベートーヴェンにとって交響曲第3番とは、改革者ナポレオンをイメージして当初書かれたこともあり、当然ヴァリエーション=変奏曲でなければならなかったのだろう。

 英雄の登場を反映したかのような第1楽章(アレグロ・コン・ブリオ)、英雄の死が描かれる第2楽章(葬送行進曲/アダージョ・アッサイ)、下々の踊りだったドイツ舞曲をさらに荒々しくしたかのような第3楽章(スケルツォ/アレグロ・ヴィヴァーチェ)と、全曲のクライマックスともいえる第4楽章(フィナーレ/アレグロ・モルト)を通じて、英雄の復活と変容とが象徴される。

 しかも第4楽章の主題は、この交響曲に先立って《オーケストラのための12のコントルダンス》(1801年/「コントルダンス」とは英語の「カントリーダンス」に由来すると言われ、「ドイツ舞曲」と同様庶民の踊りだった)や、人間に火をもたらした英雄的なギリシャ神話の神プロメテウスを描いたバレエ音楽《プロメテウスの創造物》(1801年)で、ベートーヴェンが好んで用いた主題がそのまま採り入れられている。

 なお、当交響曲を一旦書き終わった後も、ベートーヴェンはパトロンであったチェコの貴族ロプコヴィッツ侯爵の屋敷で試演を行い、そこでの経験を基にさらに曲を書き直すといった具合に、自らの作品に改良のメスを入れ続けた。そして当初とは違う異稿(ヴァリアント Variant)が生まれることを厭わなかった結果、やがて革新的なヴァリエーションが完成し、それが現在聴かれる決定稿となったのである。

作曲年代 1802~04年
初  演 私的初演/1804年4~5月 ウィーン ロプコヴィッツ侯爵邸 
公開初演/1805年4月7日 ウィーン アン・デア・ウィーン劇場
楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン3、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部

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