第854回 定期演奏会Cシリーズ

リムスキー=コルサコフ:序曲《ロシアの復活祭》op.36

 ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844 ~ 1908)の序曲《ロシアの復活祭》op.36は、1888年の夏に作曲された。原題は「明るい祝日」というような意味だが、これはロシアでは復活祭(パスハ)のことを指す。リムスキー=コルサコフは自伝でこの曲について、「私が切に再現したいと思ったのは、この祝日の伝説的で異教的な側面、そして、受難土曜日の夕方の荘厳と神秘から、復活日曜日の朝の奔放な祝祭への移りかわりだ」と述べている。

 主題の多くは、1772年にモスクワで出版されたロシア正教の聖歌集『オビホード』(ロシアで最初に出版された楽譜)から採られているが、オーケストレーションはリムスキー=コルサコフならではの華やかで色彩的なものだ。また、1887年に作曲された《スペイン奇想曲》や1888年の交響組曲《シェヘラザード》と同様、独奏ヴァイオリンが活躍する。この曲は、「力強い仲間(ロシア五人組)」のメンバーで、先に世を去ったモデスト・ムソルグスキー(1839 ~ 81)とアレクサンドル・ボロディン(1833 ~ 87)の思い出に捧げられた。

 曲は序奏付きソナタ形式で書かれている。2分の5拍子の序奏では、聖歌《願わくは神起きたまえ》の旋律が木管で提示され、独奏ヴァイオリンのカデンツァをはさみ、聖歌《天使は嘆く》の旋律を独奏チェロが弾く。このやりとりが繰り返されたあと、ハープのグリッサンドがあり、アレグロ・アジタートの主部に入る。

 主部は、聖歌《神をにくむものは御前より逃げ去らんことを》の主題で始まる。第1主題はその少しあとに登場する。ミハイル・グリンカ(1804 ~ 57)の歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲に似た、「タータタ/タータタ」というリズムを持つ力強い主題だ。第2主題はニ長調の美しい旋律で、ヴァイオリンと木管に加え、2人のヴァイオリン奏者がハーモニックス(倍音の原理を利用した弦楽器の高音)で弾く清澄な音色が印象的だ。これに、G(ト)音と増8度下のFis(嬰へ)音が交互に鳴る鐘のような音型、復活を告げるファンファーレなどが続く。

 テンポが遅くなり、チェロ6人(2人ずつ3部に分けられている)とコントラバスの伴奏で、第2トロンボーンがレチタティーヴォを吹く部分は司祭の朗誦を思わせる。ティンパニのソロから再び速いテンポに戻り(ここからが展開部)、これまでに登場した素材が次々に登場する。

 再現部を経て大規模なコーダへ至り、2つの主要主題の展開にファンファーレを交えて華やかなクライマックスが築かれる。

(増田良介)

作曲年代 1888年夏
初  演 1888年12月15日(ロシア旧暦12月3日) サンクトペテルブルク 
作曲者指揮 ロシア交響楽演奏会
楽器編成 フルート3(第3はピッコロ持替)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トライアングル、シンバル、大太鼓、タムタム、グロッケンシュピール、ハープ、弦楽5部

ボロディン:歌劇『イーゴリ公』より
「だったん人の娘たちの踊り」「だったん人の踊り」

 「力強い仲間(ロシア五人組)」の一員だったアレクサンドル・ボロディン(1833~ 87)は、19世紀ロシアの最も重要な作曲家の1人だが、彼の作品はとても少ない。これは、ボロディンが専業の作曲家ではなく、化学者としての多忙な生活のあいまに作曲をしていた「日曜作曲家」だったからだ。

 叙事詩『イーゴリ軍記』(作者不詳/ 12世紀)に基づく愛国的な歌劇『イーゴリ公』は、ボロディンの畢生の大作だ。しかし、遊牧民族ポロヴェツ人に対する戦いと敗北、そして敵に捕らわれたイーゴリ公の逃亡と帰還を描くこの作品も、18年にわたって断続的に作曲が続けられたにもかかわらず、ボロディンの死によって未完に終わり、リムスキー=コルサコフ(1844 ~ 1908)とグラズノフ(1865 ~1936)によって補筆完成された。

 「だったん人の娘たちの踊り」と「だったん人の踊り」は、オペラの中では少し離れた箇所で演奏される別の曲なのだが、演奏会ではセットで演奏されることが多い。「だったん人の娘たちの踊り」は、タンブリンなどの伴奏に乗せてクラリネットが軽快に走り回って始まる8分の6拍子の舞曲で、一般的な版では第2幕の2曲目に置かれている。一方「だったん人の踊り」が出てくるのは、同じ第2幕の最後だ。敵将コンチャク汗が、囚われの身となったイーゴリ公を慰めるために踊らせる曲で(コンチャク汗は武人としてイーゴリ公を認め、尊敬している、という設定になっている)、原曲では合唱とともに演奏される。ボロディンならではの甘美な旋律や力強いリズムにあふれた音楽は人気が高く、CMなどにもしばしば用いられている。なお原題は「ポロヴェツ人の娘たちの踊り」「ポロヴェツ人の踊り」で、ポロヴェツ人とはだったん(タタール)人とは本来違う民族なのだが、日本では古くからこの訳が定着している。

(増田良介)

作曲年代 1875~79年
初  演 1879年3月11日(ロシア旧暦2月27日) サンクトペテルブルク
リムスキー=コルサコフ指揮
楽器編成 ピッコロ、フルート2、オーボエ2(第2はイングリッシュホルン持替)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、トライアングル、グロッケンシュピール、小太鼓、タンブリン、ハープ、弦楽5部

チャイコフスキー:交響曲第3番 ニ長調 op.29《ポーランド》

 ピョートル・チャイコフスキー(1840 ~ 93)の交響曲第3番は、彼の交響曲のうちでは最も演奏される機会が少ない。しかし、有名なピアノ協奏曲第1番を数ヵ月前に完成したばかりで、交響曲第3番の直後にはバレエ音楽《白鳥の湖》を手がけるなど、傑作を次々に生み出していた時期の作品で、音楽的には充実している。また、交響曲第1番や第2番には色濃かった「力強い仲間(ロシア五人組)」の影響を脱却したスタイルや、2つのスケルツォ楽章をもつ5楽章構成といった新しい試みもあり、聴きどころは少なくない。なお、《ポーランド》という愛称は作曲者自身によるものではなく、第5楽章にポロネーズのリズムが使われていることから、英国で付けられたものだ。

 この作品の成立には、ウラジーミル・シロフスキー(1852 ~ 93)という人物が深く関わっている。彼はチャイコフスキーがモスクワ音楽院で教え、その才能を高く評価していた学生で、歌劇『エフゲニー・オネーギン』の台本を作曲者とともに執筆したコンスタンチン・シロフスキー(1849 ~ 93)の弟だ。彼らは親しい友人となり、チャイコフスキーは1870年代に、ウクライナのウーソヴォにあったシロフスキーの領地をしばしば訪れている。1875年の夏もチャイコフスキーはシロフスキーの領地に滞在した。交響曲第3番は、この年の6月17日(以下、日付は新暦による)にここで作曲が開始され、7月2日にはほぼ書き上げられた。彼はその後ウーソヴォを離れ、別の友人の領地に移るが、8月13日にはオーケストレーションまですべてが完了し、交響曲はシロフスキーに献呈された。

 初演は1875年11月19日、モスクワの第1回ロシア音楽協会演奏会で、ニコライ・ルビンシテイン(1835 ~ 81)の指揮で行われた。初演は好評を博したようだ。初演後、作曲者はリムスキー=コルサコフ(1844 ~ 1908)宛ての手紙に、「私の見る限り、この交響曲に特に優れたアイディアというのはありませんが、技量としては一歩前進しています。中でも第1楽章と2つのスケルツォには満足しています」と記しており、控えめながらある程度の自信を持っていたことが窺える。

 第1楽章「序奏とアレグロ」 モデラート・アッサイ(葬送行進曲のテンポで)ニ短調 4分の4拍子~アレグロ・ブリランテ ニ長調 4分の4拍子 第3番は、チャイコフスキーの交響曲のうちで唯一の長調交響曲なのだが、序奏はやはり短調で、葬送行進曲風のリズムによる憂鬱な性格のものだ。しかし主部に入ると雰囲気ががらりと変わり、ニ長調の快活な第1主題(トゥッティ)と、ロ短調ながら舞曲風の伴奏リズムを持つ第2主題(オーボエ)に基づいて、エネルギッシュに進んでいく。

 第2楽章「アラ・テデスカ」 アレグロ・モデラート・エ・センプリーチェ 変ロ長調4分の3拍子 複合3部形式。アラ・テデスカとは「ドイツ風に」の意味。第1部分は、ノスタルジックなレントラー風の主部がワルツ風の中間部をはさむ形になっている。作曲者は後年、この中間部を、劇音楽《ハムレット》の第2幕前奏曲として転用している。第2部(トリオ)は木管が3連符で細かく動く。この3連符の音型に重なって冒頭の主題が戻ってくると第3部となる。楽章の終わりには長いコーダがあり、余情を残して終わる。

 第3楽章「アンダンテ」 アンダンテ・エレジアーコ ニ短調 4分の3拍子 自由なソナタ形式。序奏に続き、ファゴットの吹く寂寥感のある第1主題、続いて、第1ヴァイオリンとフルートが歌う甘美な第2主題が提示される。展開部はごく短い。再現部でも、序奏主題、第1主題、第2主題の順に現れるが、第1主題がごく断片的なのに対し、第2主題は壮大に歌われ、この楽章のクライマックスを築く。最後に第1主題の断片が少し現れて、楽章を閉じる。

 第4楽章「スケルツォ」 アレグロ・ヴィーヴォ ロ短調 4分の2拍子 3部形式。2拍子によるスケルツォ。主部は、さまざまな楽器が音階を上下行する繊細な音楽(後半にトロンボーンのソロがある)。中間部(トリオ)には、1872年に書かれた《ピョートル大帝生誕200年記念カンタータ》の前奏曲の素材が使われている。なお、上述のリムスキー=コルサコフへの手紙でチャイコフスキーは、「(2つのスケルツォのうち)2番目のものは難しく、長いリハーサルの後でも、そうあるべき演奏にはほど遠かった」と書いている。

 第5楽章「フィナーレ」 アレグロ・コン・フォーコ(テンポ・ディ・ポラッカ) ニ長調 4分の3拍子 ロンド形式の壮麗なフィナーレ。威風堂々たるポロネーズのリズムによるロンド主題に導かれて、祝典的な第1副主題、3連符が特徴的なロ短調の第2副主題が現れたあと、ロンド主題に基づくフーガが始まる。楽章の終わりには第1副主題が再び木管・金管楽器によって高らかに吹奏され、華やかなコーダへと続く。

(増田良介)

作曲年代 1875年6月17日~8月13日
初  演 1875年11月19日(ロシア旧暦11月7日) モスクワ
ニコライ・ルビンシテイン指揮 第1回ロシア音楽協会演奏会
楽器編成 ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、ト ランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、弦楽5部

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