第872回 定期演奏会Aシリーズ

ブゾーニ:喜劇序曲 op.38

 フェルッチョ・ブゾーニ(1866 ~ 1924)はイタリアに生まれ、20世紀初頭のドイツを中心に活躍した。ピアノのヴィルトゥオーゾとして知られ、《シャコンヌ》などバッハ作品の編曲が有名だが、作曲家および音楽理論家としても様々な分野に才能を発揮した。

 1897年7月11日の深夜に書き始められ、朝にはできあがっていたという《喜劇序曲》は、何かのオペラや演劇のための序曲ではなく、独立した管弦楽曲だ。彼が妻に対して書いた手紙には「もちろん完璧なものなどないし、この曲にもまだ手を入れなければならない。だがこれは悪くない。とても流れがいいし、ほぼモーツァルト的なスタイルだ」とある。その言葉の通り、この曲は、彼がブラームスをはじめとするドイツ・ロマン派の影響を脱却し、モーツァルトのエッセンスを取り入れた最初の作品とされる。

 初演は1897年10月、作曲者自身の指揮で、《喜劇序曲》、《交響的音詩》、ヴァイオリン協奏曲(独奏はヘンリ・ペトリ)、《武装組曲》という、ブゾーニの新作ばかりを集めたコンサートで行われた。ただ、初演当時からブゾーニはこの曲を長すぎると感じており、1904年に出版された改訂稿は、初稿よりも大幅に短縮されている。なお、この曲はモーツァルトの歌劇『後宮からの誘拐』序曲(ブゾーニによる演奏会用終結部付き)とあわせて一冊の楽譜として出版された。楽器編成も、《喜劇序曲》が大太鼓を欠いていることを除けば、両曲はほぼ一致している。

 全体はソナタ形式で書かれている。主要主題は3つあり、冒頭の弦による第1主題はハ長調、クラリネットの第2主題は変イ長調(または変イ短調)、木管のリズミカルな第3主題はホ長調だ。これらの主題の調関係もそうだが、古典派の定石から離れた調性の自由な扱いはこの曲のひとつの特徴となっていて、たとえば第1主題は、第2主題が現れるまでに、ハ長調→ト長調→ホ長調→ニ長調→ホ長調のように、めまぐるしく転調していく。展開部は、フガート風の部分で応答声部が増4度で出るなど、緊張感に富むもので、明るい提示部と好対照をなす。再現部では、3つの主題が、それぞれハ長調、変ニ長調、ハ長調で現れる。

(増田良介)

作曲年代 1897年7月(1904年改訂)
初  演 初稿/ 1897年10月8日 作曲者指揮 ベルリン・フィル
改訂稿/ 1907年1月11日 同上
楽器編成 ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、トライアングル、シンバル、弦楽5部




マーラー:《少年の不思議な角笛》より

ラインの伝説/魚に説教するパドヴァの聖アントニウス/死んだ鼓手/少年鼓手/美しいトランペットの鳴り渡るところ

 『少年の不思議な角笛』詩集は、アヒム・フォン・アルニム(詩人/ 1781 ~ 1831)とクレメンス・ブレンターノ(詩人/ 1778 ~ 1842)が収集編纂した古ドイツの民謡集であり、1806 ~ 08年に出版されている。交響曲でいえば第4番が作曲された1899年あたりまで、グスタフ・マーラー(1860 ~ 1911)はまさにこの詩集に取り憑かれており、この時代の彼の創作のすべての源泉が『少年の不思議な角笛』にあると言っても過言ではない。

 いわゆる《若き日の歌》の第2集と第3集のすべて(全部で9曲)、第2交響曲で用いられる「原光」(第4楽章)、第3交響曲で用いられる「三人の天使は歌う」(第5楽章)、第4交響曲の「天上の生活」(第4楽章)、そして《少年の不思議な角笛》の12曲と、合計で何と24曲もがこの詩集に基づいているのである。

 また《さすらう若人の歌》のマーラー自身による詩にしても、そこには《少年の不思議な角笛》的な世界が色濃く影を落としているだろう。また第5交響曲の終楽章のバロック的なテーマは「高き知性をたたえて」を連想させるし、第6交響曲の第1楽章の絶望の行進曲は「死んだ鼓手」の絶叫に酷似しているなど、一般にマーラーが『少年の不思議な角笛』の世界から離れていったとされる第5交響曲以後も、明らかな“引用” の形ではないにせよ、この詩集はいわば原記憶として、マーラー作品の中にたびたびフラッシュバックのような形で浮き上がってくる。

 歌曲《少年の不思議な角笛》(全12曲)は、おそらくマーラーの全創作の中で最もアヴァンギャルド的な性格を剥き出しにした作品である。コンサートホールという公的空間で演奏される交響曲の場合は、どうしても聴衆全般に理解してもらうための配慮がされねばならないし、1時間以上の長さをもつわけだから、全体統一のために表現の凹凸をある程度均して、いわば「角」を取る必要が出てくる。

 それに対してリートの場合、1曲の長さも短く、音楽内容の理解の手助けを歌詞がしてくれるから、もっと尖った実験が可能になる。歌詞の内容を仮借なく抉り出すような、表現主義的で極端な強度を、音楽の中に持ち込める。

 19世紀ヨーロッパの芸術音楽の主たる担い手が、コンサートホールを訪れる上流ブルジョワたちであったとすれば、およそヨハネス・ブラームス(1833 ~ 97)の時代あたりまで、ブルジョワ・マナーから逸脱するような「響き」は、常に音楽から慎重に排除されてきた。フランツ・シューベルト(1797 ~ 1828)が繰り返し描く辻音楽師たちの楽の音にしても、それはコンソメ・スープのように幾重にも濾過され、極めて繊細なノスタルジー・イメージへと昇華されている。

 それに対してマーラーが《少年の不思議な角笛》で行ったのは、路傍で打ちひしがれる無名の人々の生の鮮血と白骨と裂けた肉を、コンサートホールというブルジョワの神殿に直接的な響きとして持ち込むに等しい行為である。大文字の“芸術” がブルジョワのものだったとすると、暗黙のうちにそこから排除されてきた匿名の人々の、アモルフ(形の定まらない)で生々しく強烈な臭いのする民衆世界を、《少年の不思議な角笛》のマーラーは仮借なく音にする。それは血も涙もないアイロニーであり、生の営みの残酷と無常と無意味であり、兵舎の馬糞の臭いと軍靴の泥と埃であり、そして恐怖の絶叫である。

 回想録の中で大指揮者ブルーノ・ワルター(1876 ~ 1962)は、「底が抜けたような発作的な笑いが突然爆発したかと思うと、次の瞬間には誰もがそっとしておきたいと思うような深い憂鬱と暗い沈黙の中に沈んでいく」マーラーの姿を描いている。この表現はそっくりそのまま、《少年の不思議な角笛》の演奏指示として用いることができるであろう。


 《少年の不思議な角笛》に含まれる歌曲には、いくつかの類型がある。一つは「動物もの」。動物を人間のように、人間を動物のように語る、民衆説話風の曲だ。「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」はこれに当たる。もう一つは「ラインの伝説」のような、レントラー風のパストラール。偽装された民謡といってもいいだろう。

 そして第三の類型として軍隊ものがある。「少年鼓手」の陰惨な低音。行進曲には「前進」しかない。たとえ行く手に地獄が待っていようと、もう誰も引き返せないのだ。そして「死んだ鼓手」における阿鼻叫喚。恐怖で瞳を張り裂けそうに大きく見開き、つんざく絶望の金切り声をあげつつ、ひたすら軍靴のリズムに合わせて小太鼓を叩きながら、踵を高く上げて行進を続ける少年兵士。映画『ブリキの太鼓』の主人公を連想させるこの音楽は、まさに世界戦争と大量虐殺の20世紀へのアウフタクトである。そして「美しいトランペットの鳴り渡るところ」は、世界が焦土と化してなお一人で弱々しく前へ進む兵士の歌か。旋律が長調に変わる間、地平線に微かな明かりが見える。しかしそれも幻にすぎないかのように、やがて短調に戻ってしまう。

 1892年から98年にかけて12曲を作曲。「原光」と「三人の天使は歌う」はそれぞれ第2および第3交響曲に転用。代わりに「死んだ鼓手」(1899年)と「少年鼓手」(1901年)を加える。

(岡田暁生)

作曲年代 1892 ~ 1901年
初  演 ラインの伝説/ 1893年10月27日 ハンブルク
魚に説教するパドヴァの聖アントニウス、死んだ鼓手、少年鼓手/ 1905年1月29日 ウィーン
美しいトランペットの鳴り渡るところ/ 1900年1月14日 ウィーン
いずれも作曲者指揮
楽器編成 5曲を通しての最大編成/フルート2(第2はピッコロ持替)、オーボエ2(第1、第2はイングリッシュホルン持替)、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット3(第3はコントラファゴット持替)、ホルン4、トランペット3、テューバ、ティンパニ2、トライアングル、ムチ、シンバル、タムタム、大太鼓、小太鼓、弦楽5部、独唱(声部指定なし)




プロコフィエフ:交響曲第6番 変ホ短調 op.111

 セルゲイ・プロコフィエフ(1891 ~ 1953)が交響曲第6番の作曲に着手したのは1945年6月だった。第5番の初演が大成功を収めてから半年も経っていなかったが、この間に彼の身には大きな変化があった。第5番の初演を自ら指揮した数日後、彼は階段で転倒して後頭部を打ち、約4ヶ月間も入院していたのだ。以後彼は、世を去るまでその後遺症に悩まされることになる。

 ともあれ、交響曲第6番は、彼が第2次世界大戦後に最初に手がけた大作となった。作曲は、1945年6月23日に開始され、翌年10月9日にピアノ・スコアで完成、オーケストレーションは12月10日に着手され、1947年2月18日に終了している。《戦争終結によせる賛歌》やピアノ・ソナタ第9番などを並行して書いていたとはいえ、2ヶ月ほどで完成した第5番とは対照的な作曲期間の長さだ。この曲には戦争中に書かれていた素材も使われているので、実際にはさらに長い年月がかかっているとも言える。

 曲は3つの楽章からなり、第5番と比べると、明暗の入り交じった複雑な音楽となっている。プロコフィエフは、音楽学者のイスラエル・ネスチェフ(1911 ~ 93)に対し、こう語った。「現在われわれは偉大な勝利を喜んでいます。しかし、われわれひとりひとりは、癒やすことのできない傷を負っています。愛する人々がいなくなった人もいれば、健康を失った人もいます。これは決して忘れられるものではありません」

 初演は1947年10月、エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903 ~ 88)の指揮によりレニングラードで行われ、批評家たちに絶賛された。しかし、1948年1月から2月にかけて行われたいわゆるジダーノフ批判(※)において、この曲は、ショスタコーヴィチの作品などと並んで厳しく批判され、実質的な演奏禁止処置が取られる。これが解除されたのは、プロコフィエフ死後のことだった。

 第1楽章 アレグロ・モデラート ソナタ形式。作曲者は「不安な性格、あるところは抒情的、あるところは厳粛」とする。トランペット(3人のうち2人が弱音器付き)とトロンボーンの4音下降で始まる短い序奏に続き、弱音器を付けたヴァイオリンとヴィオラが、8分の6拍子で揺れる第1主題を弾き始める。2本のオーボエがオクターヴで歌う第2主題は、ややテンポが遅く、もの悲しい。やがてテンポがアンダンテ・モルトに変わり、ファゴットとピアノが歩くようなリズムを刻み始める。ここでヴィオラとイングリッシュホルンが歌い始める重々しい主題が第3主題だ。

 テンポが速くなると、ドラマティックな展開部に入る。ここではもっぱら第1主題が扱われる。静かになり、ホルンのソロが第2主題を吹くと再現部だ。続いて第3主題、第1主題の順に現れ、ピアノとコントラバスのピチカートによる印象的な終結となる。

 第2楽章 ラルゴ ソナタ形式。半音階的な序奏に続き、トランペットとヴァイオリンが第1主題を朗々と歌う。第2主題は、チェロとファゴットがモルト・エスプレッシーヴォで歌う変ホ長調の深々とした主題だ。作曲者はこの楽章について、「より明るくて旋律的な緩徐楽章」と言っているが、序奏も2つの主題も、明るいだけではなくどこか翳りがある。

展開部は変化に富んだもので、ティンパニやピアノが活躍するリズミカルな部分やホルンのアンサンブルが歌う部分などを経て、最後はハープとチェレスタを中心とする幻想的な雰囲気となる。再現部は、弦の歌う第2主題で始まり、第1主題と序奏が再現され、展開部の余韻を感じさせる幻想的な雰囲気の中で楽章を閉じる。

 第3楽章 ヴィヴァーチェ 自由なソナタ形式。作曲者は「急速で、長調的で、第1楽章のきびしい余韻を除いては、交響曲第5番の性格に近づいている」とする。まず快活な第1主題が現れるが、この主題は途中で低音楽器の特徴的なリズムに遮られる。第2主題は、弦の単調な伴奏の上でフルート、オーボエ、クラリネットが吹くもので、ほぼ4小節にわたって吹き伸ばされる長い音とテューバの合いの手が特徴となっている。

 展開部では、主に第1主題が展開されたあと、第2主題が現れ、続いて両主題が組み合わされる。再現部は、まず第1主題が晴れやかに出るが、第2主題はほのめかされる程度だ。突然第1楽章第2主題が現れ、悲しげに回想される。金管の叫びのあと、第1主題を遮ったリズムが現れて、次第に力を増しながら繰り返され、全曲が結ばれる。

(増田良介)

※ ジダーノフ批判 ソ連共産党中央委員会による前衛芸術への批判と表現様式の統制。名称は、この批判を推進した中央委員会書記アンドレイ・ジダーノフ(1896 ~ 1948)による。

作曲年代 1945年6月23日~ 1947年2月18日
初  演 1947年10月11日 レニングラード
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィル
楽器編成 ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、小クラリネット、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トライアングル、タンブリン、小太鼓、シンバル、ウッドブロック、大太鼓、タムタム、ハープ、ピアノ(チェレスタ持替)、弦楽5部