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長谷部一郎
チェロ  

長谷部一郎 (はせべいちろう) HASEBE Ichiro
(2006年1月16日入団)

演奏家として心がけていること:一期一会
マイブーム(最近はまっていること):写真を撮ること、映画・展覧会を見ること
好きな作曲家:多すぎて
もし音楽家になっていなかったら?:飛行機を設計する人

 名古屋生まれ。4歳からチェロを始める。名古屋大学経済学部経済学科卒業、桐朋学園大学ソリストディプロマコース修了。第64回日本音楽コンクールチェロ部門第1位、あわせて松下賞を受賞。
 96年からサイトウキネンフェスティバル松本に参加、2003年より新日本フィルハーモニー交響楽団フォアシュピーラー、2006年より東京都交響楽団員。
 これまでに新日本フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団、東京交響楽団、東京シティフィルハーモニック管弦楽団、桐朋学園オーケストラと共演。
 これまでに倉田澄子、堤剛、山崎伸子、中島顕、P・ミュレール、M・ブルネロの各氏に師事

長谷部一郎 Cello日記

私の音楽はじめて物語

5歳ころ(右端)。中央は中島顕先生、左端はダニール・シャフラン

 ヴァイオリンを教えている母が息子はチェロ、と決めていたようです。残念ながら初めて楽器を持った時の記憶がありません。3~4歳から才能教育研究会(スズキ・メソード)の中島顕先生に師事しました。
 練習は嫌いでしたが、小5の時、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番をレッスンで与えられ、子どもながら何かとても素晴らしいものに触れた気がしました。それから少しずつ自分で練習するようになりました。
 中学時代、才能教育の弦楽合奏で2度、東ドイツ(当時)へ演奏旅行に行きました。世界が西と東に分かれて厳しく対峙していた時代です。初めて行った1983年、西側のショーウィンドウのような西ベルリンから一転、うす暗い東側に入った時、大変なところへ来てしまったぞ、と思いました。でも公演は大成功で、最後の東ベルリンでは聴衆が総立ちとなり、言葉や現実世界の様々なことを越えてしまう音楽の力に初めて触れる経験となりました。
 名古屋市立菊里学校の普通科から名古屋大学経済学部へ。高校時代もよく練習していましたが音楽大学は考えませんでした。本当は哲学や心理学を勉強したかったのです。しかし志望大学に落ち、ふとしたことから経済学部へ。そのころの僕は抜け殻のようでした。
 大学1年の夏、草津音楽アカデミーに参加し、そこで受けたクリストフ・ヘンケル先生のレッスンが衝撃的でした。そしてチェロこそが自分のやるべきことだと気づきました。一生懸命練習するようになり、林峰男先生に倉田澄子先生を紹介いただき、月1回東京までレッスンに通うようになりました。
 大学2年の夏は霧島国際音楽祭へ。そこで何人かの方に「桐朋を受けたら?」と言われ、初めて音楽大学という選択肢を考えました。そして翌春、桐朋学園大学のディプロマ・コース(現在のソリスト・ディプロマ・コース)を受験し合格しました。この決断、父が背中を押してくれたことがありがたかったです。学校は楽しく、朝から晩までいました。
 名大はとりあえず休学しましたが、何とか両方行けるのではと思い、半年で復学。名大ゼミの藤瀬浩司先生の応援もいただき、2年間東京と名古屋を往復して名大を卒業、翌年、桐朋も修了しました。
 学校を出てから10年近くフリーで仕事をし、20代は毎年のように外国の講習会に出かけました。マリオ・ブルネロ、フィリップ・ミュレールという方たちから「なぜそう弾くか」という姿勢を学べたことは大きな財産になりました。
 2003年、新日本フィルにフォアシュピーラーとして入団。2006年に都響へ移りました。チェロは幅広い能力のある楽器です。ソロや室内楽にも素晴らしい曲はありますが、西洋音楽の太い幹に触れるにはオーケストラの経験が不可欠と思います。古今の作曲家が心血を注いだ作品が管弦楽やオペラにはあるのですから。

(月刊都響2015年1・2月号 取材/文・友部衆樹)


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