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ニュース一覧 2016.04.01 up

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【エッセイ】ポスト・ピリオド時代を迎えて──舩木 篤也 (4月A・B定期)

この半世紀、クラシックの演奏現場に大きな影響を与えてきたピリオド・アプローチ。その本質とは何なのか。
4月に都響へ登壇する鬼才フランソワ=グザヴィエ・ロトが、音楽界に登場した意味とは。
音楽評論家・舩木篤也氏に伺いました。



ピリオド・アプローチ黎明期

 最初に、この半世紀ほどのピリオド・アプローチの流れを改めて振り返ってみたいと思います。ピリオド(その時代の)・アプローチとは、その名の通り「作品が作曲された当時に使われた楽器や奏法で演奏する」こと。
出現の背景には、19世紀から20世紀中葉にかけてのクラシックの演奏現場の変化がありました。聴衆が増え、コンサートホールが大きくなった。大きな空間を豊かな音で埋める必要に迫られ、結果、分厚い音で演奏することが普通になった。
 すると、テクスチュアの見通しが悪くなります。「こんな音だったはずがない」と一番敏感に感じたのが、バロック以前の音楽を演奏していた人たち。楽器自体が、当時のものと現代ではかなり異なるので、まずは当時の楽器と奏法はどんなものだったのか、そこから発掘しよう、ということになった。それは決して骨董趣味ではなく、20世紀様式で演奏されていたバロック以前の音楽の、厚化粧を落としていくことから始まりました。
 これが1950~60年代ですね。ニコラウス・アーノンクール(1929~2016)、グスタフ・レオンハルト(1928~2012)、フランス・ブリュッヘン(1934~2014)といった人たちが様々な実践を行った。
 1970年代になると、そのムーヴメントが古典派のシンフォニーへも及んできます。モーツァルトからベートーヴェンまで、ピリオド楽器で演奏してみよう、という流れが普及してきた。




音楽の言語的身振りの再発見

モーツァルト:レクイエム
モーツァルト:レクイエム
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・コンツェントゥス・
ムジクス 他(1981年録音)
ワーナー WPCS-21093

 個人的な体験ですが、最初に衝撃を受けたのはアーノンクールのモーツァルト《レクイエム》(1981年録音)です。それまで名盤とされていたカール・ベームやミシェル・コルボの演奏とはまるで違っていて、響きが非常にタイトに、シャープになった。のみならず、旋律やハーモニー、リズムといった音楽の要素すべてにおいて、その表出力が非常にドラスティックに、表現主義的にまで強められた。私は「音楽の言語的身振りの再発見」と呼んでいるのですが、彼の音楽のもつ、喜怒哀楽をドラマティックに言葉で語るような身振りは非常に強烈でした。
 やや専門的な話になりますが、クラシック音楽には「フィグーラ(音象徴)」があります。例えば、音程が隣接する2つの音がスラーを伴って順次下降すると「嘆き」を表す。4度音程の中で、半音ずつ下降する音型は「苦難」「受難」を表す。後者は、《悲愴》交響曲冒頭のコントラバスの動きにも出てきます。
 このような、ある音型や和音に象徴される意味が実は存在していて、かつては演奏する側も聴く側もそれを共有していたわけですが、20世紀中葉に至る演奏実践の中で忘れ去られてしまった。アーノンクールは古い文献を調べてそれに気づき、現代の聴き手に伝わるように演奏してみよう、と考えたはずです。それも、音象徴を一覧表にしてその通りやりました、というレベルではなく、旋律や響きの奥に、実は非常に人間的なメッセージがあるのだ、ということをラジカルに表現した。




ポリフォニーの明瞭化

ホグウッド
クリストファー・ホグウッド
2014年11月に都響へ登壇してモーツァルトやコープ
ランドなどを指揮する予定だったが、直前の2014年
9月24日に逝去。©Marco Borggreve

 モーツァルト演奏でもう一つ忘れられないのはクリストファー・ホグウッド(1941~2014)。彼がエンシェント室内管弦楽団と録音したモーツァルトの交響曲全集は、それまで名演とされてきた演奏とはまるで違う響きでした。アーノンクールほど音楽の身振りを強調はしませんでしたが、響きのクリアネスを活用してスコアを透明に立ち上げ、こんなに活き活きとした音が書かれていたんだよ、と明解に伝えてくれた。
 それまで、モーツァルトのオーケストラ作品におけるトランペットやティンパニはあまり目立たせず、ソフトに鳴らすのが主流でしたけれど、非常にクリアに音を立たせる。ヴィオラが醸し出すハーモニーの層も、目に見えるような鮮やかさで演奏しました。これを「ポリフォニーの明瞭化」と呼びたいのですが、20世紀中葉までのオーケストラ実践では輪郭が見えにくくなっていたポリフォニーに、改めて光を当てた功績があったと思います。




ユーモアの復権

ミンコフスキ
マルク・ミンコフスキ
2015年12月15日、都響B定期でブルックナーの
交響曲第0番を指揮(サントリーホール)
©堀田力丸

 独特な立ち位置にいるのがマルク・ミンコフスキ(1962~)です。彼はフランスの古楽演奏で頭角を現しましたが、今やその関心はブルックナーやワーグナーへ向いている。ミンコフスキの基本はダンサブルな感覚。指揮ぶりも楽しげで、音楽の基礎はダンスにある、というバロック時代からの視点が根底にあります。そこから、しなやかなリズム感や優雅なフレージングが生まれてくる。
 レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル-グルノーブルとハイドンの交響曲第94番《驚愕》を演奏した時、例のフォルテシモでオーケストラに「ワッ」と叫ばせたり、そこをリピートして今度は大休止にしたり。つまり楽譜を単に音にするのではなく、楽譜に込められたハイドンのユーモアを現代の聴衆に伝えるにはどうしたら良いのか、それを読み取ってためらわず実践する。いわば「ユーモアの復権」ですね。

 例えばベートーヴェンの交響曲第8番。この曲には、ほとんどギャグの連続と言っていいほどベートーヴェンのユーモアが込められています。トランペットがフライングしたり、各パートがフレーズをバラバラに追いかけたり、田舎楽団の下手な演奏をそのままスコアに書いたようなところがある。20世紀の巨匠たちはそうした要素に目を向けず、あくまでシリアスな音楽として演奏して、それはもちろん成果があったわけですけれど、やはり第8番がもつ大事な要素が分かりにくくなってしまった。
 そういったユーモアを、私たちはピリオド系の演奏を通じて改めて気づいた。そんな面はあると思います。




モダン・オーケストラでの実践

 ピリオド・アプローチの本質と考えられるのは、ざっくり言うとこの3つ、「音楽の言語的身振りの再発見」「ポリフォニーの明瞭化」「ユーモアの復権」です。ピリオド系の演奏というとまず耳に入るのは、弦楽器はノン・ヴィブラート、金管はナチュラル管を使用、フレージングは短め、アンダンテ楽章やアレグレット楽章は速めのテンポ、といったこと。しかしそれらは、あくまで表層に過ぎません。先述した本質を踏まえていれば、例えばノン・ヴィブラートにしなくてもピリオド・アプローチは可能だと考えています。
 この流れはその後も受け継がれていきますが、新たなムーヴメントが始まったのが1980年代。アーノンクールが、主宰する古楽団体ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスだけではなく、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団やヨーロッパ室内管弦楽団も指揮する。さらにはベルリン・フィルやウィーン・フィルにも登壇する。つまりピリオド・アプローチをモダン・オーケストラで実践する時代が始まります。
 ロジャー・ノリントン(1934~)はロンドン・クラシカル・プレイヤーズを離れた後、SWRシュトゥトガルト放送交響楽団の首席指揮者に就任。ジョン・エリオット・ガーディナー(1943~)はオルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティクと並行して、北ドイツ放送交響楽団(現・NDRハンブルク交響楽団)の首席指揮者を務めました。
 この時期、モダン・オーケストラの演奏現場では戸惑いがあったと思います。しかし時間の経過とともに楽員も慣れてきますし、ピリオド・アプローチを実践する人も増えてくる。結果、モダン楽器のみのオーケストラでも、先ほど挙げた問題意識をもって演奏することが可能になってきました。
 一方で、折衷様式を採用した指揮者もいて、モダン・オーケストラの中で、例えばトランペットとティンパニだけはピリオド系の楽器を使う、というやり方ですね。そんな試みは現在も続いています。




ポスト・ピリオド時代を迎えて

フランソワ=グザヴィエ・ロト
フランソワ=グザヴィエ・ロト
©Marco Borggreve

 2000年前後、世紀が変わったあたりからフランソワ=グザヴィエ・ロト(1971~)の世代が登場します。ロトは2003年に「レ・シエクル」を設立。これは、17世紀から現代までに制作された楽器を何種類も揃えて曲の創作年代に応じて使いこなす、まさにピリオド・オーケストラと呼ぶにふさわしい団体です。彼は一方でSWRバーデン=バーデン・フライブルク交響楽団首席指揮者を務め、さらにはケルン市音楽総監督としてギュルツェニヒ管弦楽団とオペラも振る。そこに矛盾や妥協はないわけです。ピリオド・オケでもモダン・オケでも、先に挙げた問題意識に基づく演奏を自然に成し遂げることができる。「ポスト・ピリオド時代」を迎えた気がします。
 もちろん、ピリオド的なものを一顧だにしない指揮者もいて、例えばクリスティアン・ティーレマン(1959~)やダニエル・バレンボイム(1942~)がそうですね。それも一つの見識だと思います。そのバレンボイムでさえ、今年2月に日本でブルックナーの交響曲を全曲演奏した際、モーツァルトのピアノ協奏曲を数曲弾き振りしましたが、弦楽器の数を減らして室内楽的な妙味を演出していました。テンポも、かつての演奏よりかなり速めになっています。バレンボイムといえども、時代と無関係ではいられないのですね。
 ちなみに、1980~90年代には表層的なピリオド実践も流行しました。ノン・ヴィブラートやナチュラル管の使用など、音の現象面だけを真似した演奏ですね。楽譜の奥にあるものを理解して、このハーモニーはノン・ヴィブラートでやった方が効果的だ、と考えて演奏するなら説得力があるのですが、曲全体をひたすらノン・ヴィブラートで押し通したりする。そういうニセモノ(?)が淘汰されて、本質を突いた演奏が残ってきたのもポスト・ピリオド時代だと思います。
 とはいえ、楽譜というテクストには様々なアプローチが可能で、「正解」がない世界。今後、20世紀の巨匠たちの様式が再評価されることもあり得るでしょう。さらにどんな新しい音が現れるか、ちょっと予想がつきません。そんな振れ幅の大きさは、再現芸術であるクラシックの宿命であり、面白さでもあります。アプローチの追求は今後も尽きることはないでしょう。


(談:まとめ/友部衆樹 月刊都響2016年4月号より転載)

フランソワ=グザヴィエ・ロト インタビュー:第1回 詳細はこちら
フランソワ=グザヴィエ・ロト インタビュー:第2回 詳細はこちら

4月7日(木)19:00開演 サントリーホール
第804回 定期演奏会Bシリーズ

 指揮/フランソワ=グザヴィエ・ロト

 シューベルト(ウェーベルン編曲):ドイツ舞曲 D820
 R.シュトラウス:メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作
 ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 op.55《英雄》
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4月12日(火)19:00開演 東京文化会館
第805回 定期演奏会Aシリーズ

 指揮/フランソワ=グザヴィエ・ロト

 ストラヴィンスキー:バレエ音楽《ペトルーシュカ》(1911年版)
 ストラヴィンスキー:バレエ音楽《火の鳥》(1910年版)
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