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矢部達哉|都響コンサートマスター就任30周年記念インタビュー

Tatsuya YABE

矢部達哉
Tatsuya YABE, Violin/TMSO Solo-Concertmaster

 洗練された美しい音色と深い音楽性によって、日本の楽壇のリーダーとして最も活躍しているヴァイオリニストの1人。1968年東京生まれ。桐朋学園大学ディプロマ・コース修了後、1990年22歳の若さで東京都交響楽団のソロ・コンサートマスターに抜擢される。1997年、NHK『あぐり』のテーマ演奏で大きな反響を呼ぶ。室内楽やソロでも活躍し、小澤征爾、若杉弘、フルネ、クレー、デプリースト、インバル、ベルティーニ、ギルバートらの著名指揮者と共演。
 『音楽の友』2009年4月号では、読者の選んだ「私の好きな国内オーケストラのコンサートマスター」で1位に選ばれ、『文藝春秋』2016年2月号で「日本を元気にする逸材125人」の1人に選ばれている。1994年度第5回出光音楽賞、平成8年度村松賞、1996年第1回ホテルオークラ音楽賞受賞。ソニー・クラシカル、オクタヴィア・レコードよりCDが発売されている。

© Rikimaru Hotta

矢部達哉|都響コンサートマスター就任30周年記念インタビュー

取材・文/友部衆樹

  • コンサートマスター就任30周年

    © Rikimaru Hotta
    アラン・ギルバート指揮によるマーラーの交響曲第6番《悲劇的》
    (都響スペシャル/2019年12月14日/サントリーホール)

     矢部さんの東京都交響楽団コンサートマスターとしてのデビュー公演は、1990年9月8日の定期演奏会だった。これは〈大野和士都響指揮者就任披露演奏会〉であり、現音楽監督である大野さんと、同じ演奏会でポストに就いた。
     「リハーサル初日に『指揮者に就任する大野和士さんです』『ソロ・コンサートマスターに就任する矢部達哉さんです』と楽員の皆さんに紹介されて、一緒に拍手を受けました。自分が正式にコンサートマスターを務めた、初めての定期演奏会を指揮したのが大野さんだったわけです。その大野さんと、就任30周年の演奏会を迎えられるのはとても感慨深いですね。
     今回のメインはベートーヴェン《英雄》ですが、僕は都響と大野さんで初めて演奏したのはフィンランドのサヴォンリンナ・オペラ・フェスティヴァル公演(1990年7月18日)で、やはりメインが《英雄》でした。それは大野さんにとって都響との初《英雄》で、僕も人生で初めて弾いた《英雄》。それからちょうど30年です。
     《英雄》の作品番号は55、今年は都響創立55周年。僕は単純に、30周年だから前半はベートーヴェンの三重協奏曲と提案したのですが、その作品番号は《英雄》に続く56。いろいろと数字がつながるプログラムになりました。
     前半でソロを弾き、後半でコンサートマスターを務めます。大変なのは確かですが、自分としても節目のコンサートですし、あらかじめ覚悟を決めて臨みます。以前、ベルティーニさんの指揮で、前半はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番でソロ、後半はマーラーの交響曲第5番でコンサートマスターという経験もしました。今回は2曲ともベートーヴェンですし、気持ちの切り替えの点でも大丈夫だろうと思います」

  • コンサートマスター事始め

     「ヴァイオリンの勉強をしながら、小学生のころからカラヤンのベートーヴェン交響曲全集などをレコードで聴いて、オーケストラが大好きになりました。中2でカラヤン&ベルリン・フィルの《運命》を初めてナマで聴いて(東京文化会館の3階でした)、『これだ!』と思ったのが自分の原点です。高1の時にワルターやバーンスタインの録音でマーラーの交響曲第9番を聴いて、こんな曲があったのかと衝撃を受けました。オーケストラをやりたい、この曲を演奏したい、という思いに拍車がかかりました。
     ただ、そのころはコンサートマスターの存在をあまり認識していませんでした。チューニングの合図をして、指揮者と握手をする人がいるな、という程度。どんな役割を果たしているのか、よく分からなかったですね。ただ、あの席(第1ヴァイオリンの一番前)は格好良いな、とは漠然と思っていました」
     桐朋学園大学ディプロマ・コースへ入学、授業で初めてオーケストラを体験する。学生オーケストラで何度かコンサートマスターの席に座り、卒業後はエキストラとしてプロ・オーケストラへ行くと、ゲスト・コンサートマスターを務めることが多かった。フリーとして1年間活動後、都響からのオファーを受けて22歳でソロ・コンサートマスターに就任する。
     「経験なんて全くないのに、学生やフリーの時期からなぜコンサートマスターをさせていただけたのか、いまだに理由が分からないですね。適性、あるいは資質、みたいなものがあったのかどうか。ただ、自分にとっては天職(英語でcalling=神の思し召し)だったのかな、という気はしています。
     コンサートマスターにはマニュアルがないですし、『なりたい』と思っても事前に勉強はできないんです。とはいえ出発の時点で、あの席に座るに値する何かは必要なのだろうと。それでいて、どんなに優秀な人でも、あの席で最初からいろいろなことができるのはあり得ない。席に座って、自分なりに学んでいくしかないんです。コンサートマスターの仕事は、何をもって『できた』と言えるのか。これも判断が難しくて、30年経っても自分はまだできていない気がします。これは謙遜でも何でもなくて、本当に。だからずっと勉強していくしかないんです」

  • ジャーヴィスさんとの出会い

    ジェラルド・ジャーヴィス
    都響ソロ・コンサートマスター
    (在任/1990年9月1日~1996年1月16日)

     1990年9月、矢部さんと同時に都響ソロ・コンサートマスターに就任したのがジェラルド・ジャーヴィス(1930~96)さんだった。
     「都響へ入団した当初、『こういうコンサートマスターになりたい』と目標を意識することはありませんでした。オーケストラで弾けるのがとにかく楽しかった。当時は若杉弘さんのマーラー・シリーズの真っ只中で、6月の交響曲第3番から参加。念願のマーラーを演奏できて、夢がどんどん叶っていく日々でした。
     都響での最初の5年間、ジャーヴィスさんと一緒に仕事をできたのは本当に幸運だったと思います。コンサートマスターをやるのは大変ではありましたけれど、プレッシャーや責任をそれほど感じることがなかったのは、彼の存在があったからですね。
     ジャーヴィスさんはロンドン・フィルやボーンマス響などでコンサートマスターを務めた方でしたから、モントゥーやエーリヒ・クライバー、ショルティ、ハイティンクといった巨匠たちと共演した時の話をよくしてくれました。彼らは『あなたは指揮に合わせ過ぎる。私(指揮者)をフォローしないでくれ』と言っていた、と。コンサートマスターもオーケストラも、まず自分の音楽を持っていないといけない。
     僕も指揮者を見て、指揮に合わせることを考えていました。『もちろんそれは大事だけれど、自分が持っているものを出して、その上で指揮者の解釈を受け入れることが大事だ』ということを、彼から学びましたね。
     とにかく僕は、朝、リハーサルに行って、ジャーヴィスさんが席に座っているだけで嬉しかったし、安心しました。オーケストラの皆がそうだったと思います。コンサートマスターって、究極を言えばそこまで行けたらいいですね。あの人が座っている。ああ、今日は上手くいくぞ、と思える。そこに尽きるような気がします」

    © 堀田正實
    第1プルトの左がジェラルド・ジャーヴィス、右が矢部達哉
    若杉弘指揮 今井信子(ヴィオラ独奏)
    バルトーク:ヴィオラ協奏曲
    (アメリカ・エリー公演/1991年4月8日)

     『月刊都響』2010年1・2月号および3月号に、江川紹子さんと矢部さんの対談が掲載されている。その中で、コンサートマスター就任20周年を迎えた矢部さんは“ジャーヴィスさんが都響から引き出していた高貴な響きは、自分の中でモデルになっています。20年やってきましたけど、まだちょっと到達してないなという感じですね”と語っていた。
     「ああ、そんなこと言いましたね(笑)。あれから更に10年経って、でもまだジャーヴィスさんの響きには到達していない。いや、ずっと到達できないでしょう。僕はジャーヴィスさんのやり方をどこかで追いかけていた部分がありましたけれど、ようやくこの5年くらい、その呪縛から離れることができた気がしています。違うルートで登り始めた。
     コンサートマスターっていろいろなやり方があると思うし、正解がない世界。自分は30年やってきましたけれど、他のオーケストラへ行ってそのやり方が通用するかというと、それも難しいですし。
     30年前とは時代も変わりました。以前は、コンサートマスターが強力なリーダーシップをもってオーケストラを仕切る、ということはあったと思うんです。でも、今求められているのは“室内楽の延長”でしょう。カルテットの場合、ここはチェロ、ここは内声、と主役も脇役もどんどん入れ替わって、第1ヴァイオリンはその上に乗せてもらう、くらいで丁度いい。オーケストラも、どのパートが偉いということはないですし、全員が音楽的には対等。看板としてコンサートマスターは必要だけど、という風に時代は進んでいる気がします」

  • コロナの時代に

    © 野口賢一郎
    ジャン・フルネ バースデーコンサート
    フランク:交響曲 終演後
    (2003年4月14日/東京文化会館)

     新型コロナウイルスの感染拡大のため、2月末から公演の自粛が始まり、都響の演奏会も中止が続いた。7月12日の都響スペシャル(大野和士指揮/ベートーヴェンの交響曲第1番、プロコフィエフ《古典交響曲》他)で4ヵ月ぶりに公演を再開したが、2管編成による1時間プログラム、客席の定員を半分以下に絞るなど、試行錯誤が続いている。
     「この4ヵ月、『今こそ音楽の力だ』と言われましたけれど、音楽の力って何だろう、音楽は人々にどのくらい必要なのだろう、といろいろ考えました。ちょっと心が止まってしまう時期もありました。でも、心が再び動くきっかけになったのも音楽でしたね。人間は、身体と心のバランスがとれていないと、豊かで幸せな人生とは言えないでしょう。身体に食事が必要なのと同時に、心に栄養を与える音楽は必要だろうと。
     7月12日のコンサートで、やはりオーケストラっていいなと思いましたし、音楽の素晴らしさを痛感しました。我々は舞台からお客様に音楽を伝える側ですけれど、逆に音楽に救われた気持ちがありましたね。
     大野さんも都響のメンバーも、久々にお客様の前で弾ける喜びがあふれていました。改めて、僕は都響というオーケストラを好きだなと思ったのは、この4ヵ月間、皆がじっとしていたわけじゃない、ということが分かったから。自分の足りていないところや課題に向き合う時間があったわけですけれど、それにきちんと取り組んで、レベルアップして戻ってきた人たちばかり。メンバーの一人ひとりを尊敬する気持ちがわいてきて、嬉しかった」
     4ヵ月ぶりの実演だったが、アンサンブルは微塵も揺らぐことはなかった。
     「そうでしたね。リハーサルの初日は、いろいろと心配しました。席の間の距離が今までとは違うし、ティンパニやコントラバスも遠い。どうなるかなと思っていたら、影響は全然なかった。“都響は緻密だ”と評価をいただいてきましたけれど、このオーケストラが積み上げてきた緻密なアンサンブル、一体感に、4ヵ月のブランクは関係なかったですね。これはオーケストラの伝統、と言っていいと思います。自分たちが守らなければいけないもの、そして進化させていくもの、そういうスタイルは皆に浸透している感じがしました」
     6月11日と12日に“COVID-19影響下における公演再開に備えた試演”を行い、“演奏会再開への行程表と指針”も発表された。
     「この時期、音楽監督の大野さんが日本人指揮者で、出入国制限がある中、オーケストラとともに過ごしていただけたのは大きかった。都響が今後どういう風に進むのか、音楽監督とともに事態を乗り越えようと踏み出したところで、改めて信頼関係が生まれるかなと思っています」

  • お客様とともに歴史を作りたい

    © Rikimaru Hotta
    エリアフ・インバル
    プリンシパル・コンダクター就任披露公演
    マーラー:交響曲第8番《千人の交響曲》
    (2008年4月28日/東京文化会館)

     「都響は、自分にとって間違いなく世界一のオーケストラです。一人ひとりの奏者が、“仕事”という感覚ではなく音楽にひたむきに取り組み、個性をそれぞれ発揮しながら、しかも全体として緻密なアンサンブルを獲得している。オーケストラの段階(ステージ)としては、かなりのところまで到達していると思います。それを、いろいろな指揮者を迎えながらどう発展させるのか、これからも続けていかなければいけない。オーケストラの可能性としては、まだまだ面白い展開があるだろうと考えています。
     それを、お客様にも見守っていただきたい。オーケストラの経営を考えて言っているわけではなくて(笑)、コンサートホールの聴衆は、歴史を一緒に作っている方々なんです。自分がこれまでに体験した素晴らしいコンサートで、聴衆は例外なく偉大な存在でした。舞台に居ても、客席がふっと引き込まれる空気は分かりますし、それに反応して自分たちも集中と高揚が増していく。その相乗効果がないと名演は生まれないんです。音楽家も聴衆も歴史の一部で、これからも一緒に歩んでいただけたら、と思っています」

公演情報

都響スペシャル2020(9/16)

2020年9月16日(水) 19:00開演(18:20開場)
サントリーホール

予定枚数完売のため販売を終了いたしました。

指揮/大野和士
ヴァイオリン/矢部達哉
チェロ/宮田 大
ピアノ/小山実稚恵

ベートーヴェン:ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲 ハ長調 op.56
ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 op.55《英雄》

【矢部達哉・都響コンサートマスター30周年記念】公演 生配信決定!


◆ 視聴チケット 絶賛発売中
視聴チケット購入ページURL https://tiget.net/events/103225
販売期間 9月9日(水)~9月16日(水)21:30(終演まで)
価格 2,000円
アーカイブ配信 9月30日(水)18:00~10月11日(日)23:59
※生配信終了後、視聴チケット購入者はアーカイブ配信をご覧いただけます。
アーカイブ配信は期間内であれば何度でもお楽しみいただけます。
詳細はこちら→https://www.tmso.or.jp/j/news/9680/