東京都交響楽団

史上空前の革命家
ベートーヴェンが
遺したもの

第1回

ベートーヴェンと「オーケストラ」
~何を変えたのか?

 日常的に演奏されているルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の遺したオーケストラ作品のなかで、最も若い頃に書かれたのはピアノ協奏曲第2番変ロ長調op.19(1786年・15歳頃に作曲開始)なのだが、現在演奏されているヴァージョンは1801年の出版まで何度も改訂が施されたものなので、最初期の管弦楽の書法を確認できるわけではない。未完や欠損のある作品を除き、ベートーヴェンが最初に手掛けた大規模なオーケストラ作品として挙げられるのは、1790年(19歳)に作曲された独唱と合唱を伴う《皇帝ヨーゼフ2世を悼むカンタータ》と《皇帝レオポルト2世の即位を祝うカンタータ》である。残念ながらベートーヴェンの生前には演奏されていない(後者は1791年に演奏されたとの説あり)のだが、これが実に興味深い作品なのだ。
 例えば、この時点で既にチェロとコントラバスに分離した役割を与えたり、第2ヴィオラのパートが存在していたり、木管楽器との音色の対比を積極的に用いていたりと、年齢に見合わないほど管弦楽書法が充実しているのだが、これはどうやらモーツァルトからの影響のようなのだ。というのもレチタティーヴォやアリアにおいて、明らかにモーツァルトのオペラを模範にした痕跡が確認されるからだ。
 若い頃のベートーヴェンといえば、ピアニストとして名を上げたことばかりが強調されがちだが、ご存知のように祖父ルートヴィヒ(1712~73)は宮廷歌手/宮廷楽長、父ヨハン(1740頃~92)は宮廷歌手。ベートーヴェン本人も、故郷ボンで活動していた時期には当時設立されたばかりの国民劇場でヴィオラ奏者を務める(1788~92)など、身近なところにオペラの存在があった。国民劇場で上演される様々な作曲家のオペラのなかには、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』『フィガロの結婚』なども含まれており、そこから影響を受けてカンタータを作曲したのであろうと推測される。1787年(16歳)には実際に師事することを願い、ウィーンのモーツァルトのもとへも向かったのだった(この時のウィーン滞在はわずか2週間ほどで、モーツァルトに会うことはできたようだが、指導を受けられたかどうかは不明)。
 他にもバレエ《騎士のバレエ》(1790~91)において(フルートではなく)ピッコロが編成に加えられていたり、バレエ《プロメテウスの創造物》op.43(1800~01)ではバセットホルンやハープが加わる楽曲があったり、中期のはじまりに書かれたオラトリオ《オリーヴ山上のキリスト》op.85(1803)ではトロンボーンが用いられていたり、祝典劇《アテネの廃墟》op.113(1811)で既に《第九》と同じような管弦楽編成(声楽も加わる)が組まれていたりと、交響曲や協奏曲以外のオーケストラ作品においてこそ、古典派の典型的2管編成からはみ出る編成が散見される。交響曲を中心に聴いていると、こうした側面を見落としてしまうのだ。
 ベートーヴェンの交響曲の特徴たる、ハイドンやモーツァルト以上の「劇的」なオーケストラ・サウンドは、その字の通り、物語や言葉を伴う「劇のような」要素をもつ標題音楽や声楽・合唱音楽での経験によって生み出されていたのである。では、そうした前提を踏まえた上で、ベートーヴェンの交響曲はオーケストラの何を変えたといえるのだろうか?

1)ヴァイオリン:開放弦を活かした広い音域の跳躍と重音

 開放弦を用いた重音(2~4音を同時に奏すること)自体は、ハイドンやモーツァルトの交響曲にも頻出するのだが、ベートーヴェンの場合は1オクターヴを超える音程関係にある重音や跳躍で開放弦が活かされるのだ。特にE線での高音とA線の開放弦を一緒に弾く手法は、第4番以降に必ず登場。第9番《合唱付》の第4楽章の終結部(コーダ)に至ると、そこにD線の開放弦も加わる。こうして、弦楽セクションが派手に鳴り響くようになっていった。
交響曲第9番ニ短調op.125《合唱付》 第4楽章 第932~936小節 第1ヴァイオリン
全曲の最終盤。第1ヴァイオリンはニ長調の主音D(D線の開放弦)と属音A(A線の開放弦とE線による高音)をffで弾き続ける。
ヴァイオリン:開放弦を活かした広い音域の跳躍と重音 イメージ

2)コントラバス:現代でも演奏至難な超絶技巧

 作曲された当時、演奏難易度の高さが問題視されることもあったベートーヴェンの作品も、現在では音符を正確に演奏すること自体は可能になったといっていいだろう――コントラバスを除いて。楽器の大きさと、弦楽セクションのなかでチューニングの音程間隔が異なるという事情が重なり、テンポが速いと左手の移動が追いつかない場合があるのだ。その極致にあるのが第6番《田園》の第4楽章〈雷雨、嵐〉だ。正確な演奏は困難なのだが、それゆえにゴリゴリとした必死なサウンドが迫力を生み出す一因にもなっている。
交響曲第6番ヘ長調op.68《田園》 第4楽章 第21~22小節 コントラバス
4分の4拍子だが、実際は1小節2拍。きわめて速いテンポが要求されている。
コントラバス:現代でも演奏至難な超絶技巧 イメージ

3)ピッコロ:目立つ重要任務を1本で担う

 前述したように、ベートーヴェンは最初期からピッコロを投入した管弦楽曲を書いているのだが、第5番《運命》、第6番《田園》、第9番《合唱付》で注目すべきは独奏楽器的な用法にある。他の木管楽器や弦楽器と重ねてオクターヴ上を補強するのが常套手段なのだが、ベートーヴェンの交響曲におけるピッコロは、他とは異なる音の動きをすることが多い。1本でオーケストラに埋もれることなく対抗できるからこそ、クライマックスに新しい風をもたらすことができるわけだ。
交響曲第5番ハ短調op.67《運命》 第4楽章 第329~333小節 ピッコロ
全オーケストラがトゥッティで和音を奏するなか、ピッコロだけがハ長調の上昇音階を吹き、華やかな効果を上げている。
ピッコロ:目立つ重要任務を1本で担う イメージ

4)金管楽器:主題を輝かしく吹き鳴らす

 現在の金管楽器の機構となっているヴァルヴ・システム(指でキーを押すことで管の長さを変え、半音階を演奏可能にする)の基礎ができたのは19世紀初めのこと。少なくともそれ以前は、音階を吹くことはホルンやトランペットの通常業務ではなく、主和音の構成音「ド・ミ・ソ」を中心に演奏するのが基本だった(バロック時代の高音でのナチュラル・トランペットなど、例外となる事例はいくつかあるが、少なくとも古典派のオーケストラでは一般的ではなかった)。
  そこで、ベートーヴェンは主題を「ド・ミ・ソ」だけで作曲したり、リズムだけで主題として判断できるように作曲したりすることで、金管楽器が大音量で主題を吹けるようにしたのである。あわせて、ホルンが演奏可能な範囲が増えていくことで、第9番《合唱付》第3楽章におけるホルン・ソロのようなパートも書かれた。
交響曲第9番ニ短調op.125《合唱付》 第3楽章 第96~97小節 第4ホルン
Es管(変ホ管)のために書かれており、実音では変ハ長調(♭7つ)という珍しい調の音階を吹いている。
金管楽器:主題を輝かしく吹き鳴らす イメージ

5)ティンパニ:ダイナミックレンジの拡大

 それまでpfという2段階の強弱指定が標準であったのに対し、交響曲第1番の時点からppからffまでに拡大。第2楽章ではppでリズムが刻まれるなど、ティンパニの新しい用法を切り開いた(第7番の第4楽章ではfffまで要求される)。
 そして、先の金管楽器と同様、主題を演奏するようになったのも重要だ。リズム動機が主題となる第7番は当然として、第9番《合唱付》第1~2楽章では主題の基礎となる音型がシンプルであるからこそ、ティンパニの2音だけでも重要なラインをなぞれるようになったのだ。そして主音と属音(ニ短調ならDとA)にチューニングするのが基本であるのに対し、第9番の第2楽章でニ短調の第3音Fのオクターヴに調律しているのも実に斬新なアイデアである!
 こうしてみていくと、充分すぎるほど改革を起こしているように思えるのだが、ベートーヴェンが亡くなった3年後には、フランスでエクトル・ベルリオーズ(1803~69)が《幻想交響曲》(1830)を作曲。突飛でより革新的なアイデアの詰まったオーケストレーションを披露し、ロマン派における管弦楽法の可能性を一気に切り拓いてしまった。
 とはいえ、ベルリオーズが交響曲を作曲しようと考えたのはベートーヴェンがいたからであり、ベートーヴェンの革新性に共感したからこそ大胆すぎるほどのオーケストレーションが生まれたことを忘れてはならない。ベートーヴェンがオーケストラの歴史を変えたことは間違いないのだ。