東京都交響楽団

史上空前の革命家
ベートーヴェンが
遺したもの

第4回

ベートーヴェンと「フーガ」
~バッハとヘンデルから何を学んだのか?

最も偉大な作曲家は?

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~91)の場合、フーガに意識的に取り組むようになったのはゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵のホームコンサートに足を運んでいた1782~83年以降のこと。このなかで演奏されていたヘンデルやバッハのフーガに魅せられた結婚4ヶ月前の恋人コンスタンツェが、当時26歳だったモーツァルトがフーガと題された作品を完成させたことがないとなじった……というのは割と知られたエピソードだ。
 そうして《前奏曲(幻想曲)とフーガ ハ長調》K.394 (K.383a) や《2台ピアノのためのフーガ ハ短調》K.426(後に《弦楽のためのアダージョとフーガ ハ短調》K.546に編曲)などが生まれ、その後はソナタ形式のなかに(フーガの提示部だけを抜粋して取り出したものとも言える)フガートが持ち込まれることになる。
 ここで重要なのは、スヴィーテン男爵が取り上げていた「バッハ」というのは、ヨハン・セバスティアンだけでなく、長男のヴィルヘルム・フリーデマンと次男のカール・フィリップ・エマヌエルの作品も含んでいたことだ。「モーツァルトがJ.S.バッハに感化された」という事実自体は間違いないのだが、ヨハン・セバスティアンだけを特権化するのは、この作曲家を神格化するなかで生じた弊害といえる。実は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)とJ.S. バッハの関係を語る上でも似たような問題が起こりがちなのである。
 Bachがドイツ語で「小川」「細流」を意味することを前提にして、ベートーヴェンが「(バッハは)小川ではなく、大海と呼ぶべきだ」と述べたというエピソードについては、これまで何度となく引用されており、J.S.バッハを敬愛していたエビデンスとして挙げられることが多い。だがベートーヴェンは別の機会に「最も偉大な作曲家は?」という問いに対して「ヘンデル」と答えたことは、前述のバッハのエピソードほど知られていないだろう。
 バロック時代の2人の巨匠からどのような影響を受けたのかについて詳しい、2020年6月に出版されたばかりの越懸澤麻衣 著『ベートーヴェンとバロック音楽「楽聖」は先人から何を学んだか』(音楽之友社)においても「ヘンデルとバッハどちらがより重要だったかという問いは意味がなく」と結論づけられている通り、J.S.バッハからの影響だけを強調すべきではないのだ。
 では、ヘンデルとバッハから具体的には何を学んだのか? ベートーヴェンは勉強のため、2人の巨匠の楽曲を自らのスケッチ帳に書き写しているのだが、主に対位法的な部分を抜粋しているのが興味深い。当然、フーガも多かった。

イタリアの対位法

 そもそも、生まれ故郷のボン時代に師事したクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェ(1748~98)を通してベートーヴェンはJ.S. バッハの《平均律クラヴィーア曲集》(=24の前奏曲とフーガ)に触れているのだが、この段階においては作曲の教材だったわけではなく、あくまでクラヴィーア(鍵盤楽器)の演奏技術鍛錬を目的としていた。ベートーヴェンが対位法をしっかり学ぶのは、ウィーンで師事したヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガー(1736~1809)を通してになるのだが、同じドイツ語圏とはいえウィーンで学ぶ対位法は、ヨハン・ヨーゼフ・フックスの教本『グラドゥス・アド・パルナッスム』に代表される声楽的なイタリアの流れを汲むものだったのである。
 この流派では通奏低音のなかでフーガ的書法が共存したりするように、ホモフォニー(和声音楽)的な要素が強くなることも珍しくない。各声部の独立性は必ずしも高くなく、主旋律と伴奏がはっきり分かれることもあった。こうした特徴はピアノのための《エロイカ(プロメテウス)変奏曲》op.35(1802年)や、弦楽四重奏曲第9番ハ長調op.59-3《ラズモフスキー第3番》(1806年)のフィナーレにおけるフーガ(正確にはフガート)でも見られるもので、曲が進むほど声部ごとのリズムが整理されていき、ホモフォニー的な性格に近づいていく。

北ドイツの対位法

 ところがベートーヴェンは1817年、バッハとヘンデルの対位法的な楽曲を集中的に筆写。器楽的な北ドイツの流れを汲む、各声部の独立性が高くて、よりポリフォニー(多声音楽)的な性格の強いJ.S.バッハによる対位法と向き合うことになる。
 では今度はイタリア及びウィーン的な対位法と、北ドイツの対位法をどのように結びつければいいのか? きっと、その具体例となったのがヘンデルだったのではないだろうか。実際にヘンデルは両方の流派の中間に位置するような書き方をしていたり、曲のなかで対位法のスタイルが変わっていったりすることが多いのだ。もしそうだとするならば、ベートーヴェンがバッハを讃えつつ、最も偉大な作曲家としてはヘンデルを挙げたのも納得できる。

フーガのファンタジー化

 こうした新しい学びをまず活かしたと考えられるのが、ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調op.106《ハンマークラヴィーア》(1818年)の第4楽章である。序奏のあと、8つのセクションからなる大規模なフーガが連なっていくのだが、各声部の独立性はセクションごとに変わっていく――というよりも、対位法の性格の違いによってセクションの違いを演出していると言って良いかもしれない。また対位法のスタイルに幅をもたせられるようになって初めて、ベートーヴェンは長いフーガが書けるようになり、それがなければ、当初は弦楽四重奏曲第13番変ロ長調op.130のフィナーレとして書かれた《大フーガ 変ロ長調》op.133(1825年)も生まれようがなかった。
 ベートーヴェンのフーガの頂点に位置すると同時に、全作品中最大の問題作ともいえる《大フーガ》を理解するためには、秘書だったカール・ホルツ(1798~1868)の証言を持ち出す必要がある。ホルツによれば、ベートーヴェンはフーガについて語った際に「今日、古い形式には、真に詩的な要素がなければいけない」と述べたのだという。これは、既存の形式のルールを敢えて破ったり、本来はその形式にとって必要のない要素を挿入したりすることで、幻想曲(ファンタジー)にしてしまうというアイデアなのだ。このフーガのファンタジー化こそが《大フーガ》が難解とされる根本原因といえる。
 《ハンマークラヴィーア》第4楽章にもファンタジー化の萌芽はあるのだが、セクションの切れ目も比較的明瞭で、終止線までの道のりで戸惑うことはない。ところが《大フーガ》はあらゆる要素が行きつ戻りつを繰り返すために全体の流れが掴みづらく、主となるフーガでは付点リズムを反復するので代わり映えのしない曲調が長く続いてしまう。普通に考えれば作品の欠点そのものと思われるだろうが、前述した「詩的な要素」として解釈すれば見える景色が一変する。先を見通しにくい音楽が、いわば人生そのものの比喩となっているのだ。
 他にも、コーダ(終結部)直前にフーガが始まるように見せかけて、3小節足らずでブツ切りとなってしまう場面があるのだが、これは本来、フーガでは絶対にあり得ない展開。ルールを破ることで聴き手に違和感を抱かせ、その意味を考えさせる――これこそが「詩的な要素」を古い形式に持ち込むという晩年のベートーヴェンの戦略だった。
 もっと馴染みのある例でいえば、交響曲第9番ニ短調op.125《合唱付》(1824年)第4楽章で、第1~3楽章の音楽が引用されるのも同様の発想だといえる。また、その前後で低弦がバリトンのようにレチタティーヴォ風の旋律を奏でているが、実はこの部分にもスケッチ段階ではベートーヴェンによる歌詞が割り振られていた。しかし最終的な楽譜には言葉が伴っていなかったからこそ、多様な解釈と議論を呼び起こし、汲めども尽きぬ豊かな源泉となることができたのである。
 これは、かのスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』(1968年公開)の終盤において、サイケデリックなスターゲート・シークエンスで観客を言葉のない世界へと放り出したのにも似ている。この場面も当初の予定ではナレーションが入るはずだったのだが、最終的には丸々カット。それ故に伝説の作品となったのだが、ベートーヴェンは《第九》で同じことをしているのだ。
ベートーヴェン譜例
ベートーヴェン:《大フーガ 変ロ長調》op.133 第657~665小節
 5つのセクションからなる壮大なフーガが終わり、フーガ主題の2形態を3小節ずつ(アレグロとメノ・モッソ・エ・モデラートの部分)示して回想。一気にコーダ(アレグロ・モルト・エ・コン・ブリオ)へ突入する。


フーガの歴史を未来へ

 閑話休題――最後はフーガの話題に戻ろう。本来はガチガチに規則の厳しいフーガにも多様な可能性があることをJ.S.バッハとヘンデルを通して知ったベートーヴェンは、自分もまた「詩的な要素」という新しさを加えることでフーガの歴史を未来へと繋いだ。バロックの2人の巨匠から学んだのは、既存のルールに縛られない柔軟な姿勢だったのかもしれない。
ベートーヴェン譜例
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調op.125《合唱付》 第4楽章 第8~16小節
 第1~3楽章のテーマを「否定」する、低弦によるレチタティーヴォ。ベートーヴェンはこの部分に「レチタティーヴォの性格で、ただしイン・テンポで(Selon le caractère dʼun Récitatif, mais in Tempo.)」と記した。これは「話し言葉のように抑揚をつけて自由に、ただしテンポを保って」と解釈できるため、文意としては矛盾する。ゆえに様々な演奏の可能性が生まれた。