東京都交響楽団

スコアの深読み

第6回

ツェムリンスキーの抒情
~系譜の見直しで明らかになる作曲家の真価

  アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871~1942)の名を聞いて、あなたは何をイメージするだろうか。代表曲として挙げられるのは《抒情交響曲》。教師としてアルノルト・シェーンベルク(1874~1951/ツェムリンスキーの妹マティルデと結婚し義弟となる)、アルマ・シントラー(1879~1964/後のマーラー夫人)、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(1897~1957)を指導したことも、割に有名である。しかし、それ以上のこととなると、日本ではそれほど知られていないのが現状だ。
 

ドイツ作曲界の系譜

  ツェムリンスキーの初期作品のなかで、先行作からの影響が最も明確なのはop.3を与えられた《クラリネット、チェロとピアノのための三重奏曲 ニ短調》(1896)であろう。同じ編成で作品を残したヨハネス・ブラームス(1833~97)を強く意識していることは、誰の耳にも明らかだ。実際、この作品はブラームスが審査員を務めるコンクールで第3位を受賞。最晩年のブラームスはこの若い才能を自宅に招いて励まし、繋がりの深い出版社ジムロックに強く推したのであった。
  時期は異なるが、ほぼ同様の経緯で注目されるようになった作曲家として、アントニン・ドヴォルザーク(1841~1904)が挙げられる。チェコ出身の彼はその後、室内楽曲や交響曲が評価されたこともあわせて、ブラームスの系譜に位置する作曲家とみなされるようになるのだが、実際は生涯にわたりオペラを作曲。晩年には集中的に交響詩を書くなど、フランツ・リスト(1811~86)とリヒャルト・ワーグナー(1813~83)の系譜に連なる側面ももった作曲家であった。
  19世紀後半のドイツ音楽史に触れる際、ワーグナー(新ドイツ派)とブラームス(保守派)の対立がやたら煽られがちだが、19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した次世代のドイツ系作曲家たちからすれば、どちらかだけを選ぶ必要などなかった。またシェーンベルクが、保守的なイメージの強いブラームスを「進歩主義者」に位置づけたことで、20世紀には進歩主義と保守主義の対立構造が無効化されたとみなすこともできる。

ツェムリンスキーのオペラ

  いずれにせよ、ツェムリンスキーもまた、双方の流れを汲んでいる作曲家であった。前述した三重奏曲の前年に完成していたオペラ『ザレマ』(1893~95)は〈序曲〉の時点で、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』からの影響が明らかな作品だ。このようにブラームスとワーグナー双方の作風を20代後半で身につけた作曲家といえば、ツェムリンスキーより7歳年上のリヒャルト・シュトラウス(1864~1949)も挙げられる。
  これまでツェムリンスキーといえば、伝記上で関係の深いグスタフ・マーラー(1860~1911)やシェーンベルクの系譜に位置づけられて―そして、彼らと比べて作風が穏当であるが故に、重要な作曲家ではないと―語られることが多かった。しかしR.シュトラウスと並べることで、やや異なるイメージが浮かび上がってくる。
  ツェムリンスキーがR.シュトラウスと向き合うきっかけになったのは、1901年1月。R.シュトラウスはウィーンで指揮者デビューを果たし、《英雄の生涯》op.40(1898)などを披露して賛否を巻き起こした。この公演を一緒に聴いたシェーンベルクとツェムリンスキーは、少し後に手に入れた《英雄の生涯》のスコアを参照しながら、前者は《ペレアスとメリザンド》op.5(1902~03)を、後者は《人魚姫》(1902~03)という交響詩をそれぞれ書き上げた。
  そののちに書かれた3作目のオペラ『夢見るゲルゲ』(1904~06)は、R.シュトラウスの『サロメ』op.54(1903~05)とほぼ同時期に書かれた作品だが、興味深いことに当時まだ存在しなかった『ばらの騎士』op.59(1909~10)以降のR.シュトラウスに連なるサウンドが聴こえてくる。

アレクサンダー・ツェムリンスキーの変奏技法
  ちなみに『サロメ』は1905年12月にドレスデンで初演されたが、それから5ヵ月後にグラーツで上演された際、ツェムリンスキーはシェーンベルクやアルバン・ベルク(1885~1935)らと共に『サロメ』を観劇。その年のうちに行われたウィーン初演では、ツェムリンスキーが指揮を務めた。そののちに書かれたツェムリンスキー4作目のオペラ『馬子にも衣装』(1907~09)では間奏曲の一部でワルツが登場するのだが、明らかに『ばらの騎士』のワルツを想起させる音楽となっている。
  そして、5作目のオペラとして書かれたのが、ツェムリンスキーの舞台作品のなかで上演機会の多い『フィレンツェの悲劇』op.16(1915~16)であった。前奏曲は、R.シュトラウスの『エレクトラ』op.58(1906~08)を思わせる金管楽器の咆哮ではじまり、すぐに『ばらの騎士』のような甘い音楽へと転じていく。そしてオペラのクライマックスは(『フィレンツェの悲劇』と同じくオスカー・ワイルド原作の)『サロメ』を連想させる音楽になっている。ただし『サロメ』ほど恍惚のシーンは長く続かず、あっさりと幕を閉じる。
  そして『馬子にも衣装』と『フィレンツェの悲劇』の間に作曲されたのが、《メーテルリンクの詩による6つの歌》op.13(1910~13)だ。もちろん、R.シュトラウスやマーラーの管弦楽伴奏付き歌曲に通じるサウンドも持っているが、こちらは同じメーテルリンクの台本によるポール・デュカス(1865~1935)唯一のオペラ『アリアーヌと青ひげ』(1899~1906)との関連が深い。ドイツ語に訳されたメーテルリンクの詩のなかからツェムリンスキーが選んだのは、すべて女性視点――というより、アリアーヌ(青ひげ公の6番目の妻となるが、彼が幽閉した先妻たちを解放しようとする自立した女性)が歌ってもおかしくないような詩ばかりなのだ。中声(メゾソプラノ)を指定しているのも、アリアーヌと重ねているからだろう。
  それにしても、1902~03年の《人魚姫》から1915~16年の『フィレンツェの悲劇』に至るまで10年以上にわたって、男女の恋愛が成就することなく別の人物と結ばれる……という物語に固執しているのは異様ですらある。これは比較的知られているように、交際していた弟子のアルマがマーラーと婚約した、と1901年12月27日に突然公表された衝撃的な原体験がきっかけだったとされる。なお、6作目のオペラとなったオスカー・ワイルド原作の『こびと』op.17(1919~21)では、ツェムリンスキーの化身たる主人公の“こびと”は王女に振られて亡くなるばかりか、劇中では誰も結ばれない。より救いようのない物語だ。
  作品番号順でいえば、この絶望的なオペラの次にくるのが、代表作として名高い《抒情交響曲》op.18(1922~23)である。作曲者自身が述べているように、マーラーの《大地の歌》(1908~09)を強く意識した作品であることは間違いないが、直接の起源となったのは、ノーベル文学賞を1913年に受けたインドの詩人ラビンドラナート・タゴール(1861~1941)が、自作の詩をベンガル語で朗読するのをプラハで見聞きした体験だった。
  ドイツ語訳されたアジア圏の詩に曲をつけたという共通点に加え、基本的には男声と女声が交互に歌い交わすという構成ゆえに、どうしても《大地の歌》とばかり結び付けられてきたが、歌われているのは「男女が徐々に両思いとなるも最後には別れを迎える」という、いかにもツェムリンスキーらしい内容で、明らかにシェーンベルク《グレの歌》(1900~11/ただしショートスコアは1901年に完成している)の方が近しい。《大地の歌》《グレの歌》ともに《抒情交響曲》と作曲時期は大きく異なっているけれど。
  興味深いのは、同時期にR.シュトラウスが作曲したのがオペラ『インテルメッツォ』op.72(1918~23)だったこと。《抒情交響曲》とは曲調からして正反対であり、見事な好対照をなしているのだ。家庭の夫婦喧嘩をテーマとした『インテルメッツォ』は、楽譜の前書きにおけるキャスト欄では主人公夫妻に名前が書かれているが、楽譜自体にはDer Mann(男・夫)、Die Frau(女・妻)と表記することで、扱われている内容がパーソナルなものではなく、男女における普遍的な問題であることを示唆している。そして『インテルメッツォ』における、夫の不倫疑惑によって2人は険悪になるものの、誤解がとけて仲直り……という物語は、ものの見事に《抒情交響曲》と逆の展開になっているのだ。ある種の共時性として面白いとともに、ツェムリンスキーがR.シュトラウスのエピゴーネンから脱しつつあることも感じさせる。

12音技法とは異なる手法で抒情性を追求

  残念ながら、ツェムリンスキーはその後、声楽・舞台作品において『フィレンツェの悲劇』《6つの歌曲》《抒情交響曲》以上の成功作を世に送りだすことはできなかった。しかし、シェーンベルクと仲違いした1930年代以降になると、新たな作風の兆しが現れる(ただ、この頃になると様々な事情からツェムリンスキーのオペラは上演が難しくなっていた)。例えば《シンフォニエッタ》op.23(1934)は、ツェムリンスキーが追求してきた後期ロマン派のスタイル(その中にはベルクが好んだ陰鬱な叙情性も含まれる)と、パウル・ヒンデミット(1895~1963)やクルト・ヴァイル(1900~1950)など次世代が同じ時期に手掛けていたモダンなサウンドとを、仲立ちをするような作品に位置づけられる。
  R.シュトラウスが晩年に手掛けた擬古典的な作品は、素晴らしい音楽ではあるが懐古的であるという指摘は免れ得ない。それに比べ、ツェムリンスキーは最期まで時代の先を見据えながら、受け入れ難かった無調・12音技法とは異なる手法によって抒情的な音楽を書き続けようとした作曲家だった。ツェムリンスキーを、マーラーとシェーンベルクに挟まれた中途半端な存在ではなく、R.シュトラウスとベルクを繋ぐ―そしてベルクの先には、ヒンデミットやカール・オルフ(1895~1982)、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(1926~2012)らがいる―ドイツのオペラ作曲家の系譜に位置づけてみれば、これまでとは異なる風景が見えてくるのではないだろうか。


  ツェムリンスキー:
  クラリネット、チェロとピアノのための三重奏曲 ニ短調 op.3 冒頭
ツェムリンスキー:クラリネット、チェロとピアノのための三重奏曲 ニ短調 op.3 冒頭
  緻密で重厚な書法のなかで、淡い抒情が明滅する。作曲家名を知らずに聴くと、ブラームス作品としか思えない充実作。