矢部達哉 R.シュトラウス《英雄の生涯》を語る

都響ソロ・コンサートマスター

Tatsuya YABE

矢部達哉
Tatsuya YABE, Violin(Solo-Concertmaster of the TMSO)

 1968年東京生まれ。桐朋学園大学ソリスト・ディプロマ・コース修了後、1990年22歳の若さで東京都交響楽団のソロ・コンサートマスターに抜擢される。1997年、NHK『あぐり』のテーマ演奏で大きな反響を呼ぶ。室内楽、ソロでも活躍し、小澤征爾、若杉弘、フルネ、クレー、デプリースト、インバル、ベルティーニらの著名指揮者と共演。2009年『音楽の友』4月号で、読者の選んだ“私の好きな国内オーケストラのコンサートマスター”で1位に選ばれ、2016年『文藝春秋』2月号で「日本を元気にする逸材125人」の1人に選ばれている。1994年度第5回出光音楽賞、平成8年度村松賞、1996年第1回ホテルオークラ音楽賞などを受賞。ソニー・クラシカル、オクタヴィア・レコードよりCDが発売されている。

© Taira Tairadate

矢部達哉 R.シュトラウス《英雄の生涯》を語る

取材・文/飯田有抄

  •  4月の都響スペシャルおよび定期Aで採り上げられる《英雄の生涯》は、コンサートマスターが重要なソロを弾くことで知られている。矢部達哉は1997年10月以来、都響と5回の上演を果たしているが、今回は2011年5月(エリアフ・インバル指揮)以来11年ぶりの演奏。時間を置いたことで見えてきたものは何なのか、お話を伺った。

  • R.シュトラウスの交響詩の中でも一番の傑作

     《英雄の生涯》は、R.シュトラウスの交響詩の中でも、一番の傑作だと思います。
     コンサートマスターが弾くヴァイオリンの長いソロは、やはり技術的にも音楽的にも非常に難度の高いものですが、一番の難しさとは、いくら自分でプランを立てても意味をなさないことですね。(ソリストの自由度が高い)協奏曲とは違いますから、指揮者の解釈の枠組の中でソロがどうあるべきかを捉えなくてはなりません。それでいて、やはりコンチェルトのように聴こえるべき箇所もあるので、それを指揮者の解釈とどう織り混ぜ、妥協せずに相乗効果を生み出せるかがポイントになります。
     作品全体としては、全ての楽器が重要な役割を果たしていて、聴かせどころがたくさんあります。オーケストラにとっては、美味しいご馳走のような作品です。ヴァイオリンのソロだけでなく、ホルンやトランペット、チェロやコントラバスのパートにとっても、大いに演奏し甲斐のある作品です。オーケストラの表も裏も知り尽くしたシュトラウスから贈られた、素晴らしいプレゼントですね。大編成で長大な作品でありながら、作曲の技法があまりに優れているため、飽和感を与えません。和声も混沌とした感じはせず、常に綺麗に響いていますし、調性が崩壊しているところですら、スッキリと鳴り響きます。
     冒頭は、ベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》と同じ変ホ長調で堂々と始まりますが、曲の終わりはまるで日没のように、英雄が息絶えるところまで描かれます。単に英雄の業績を誇示するような曲ではなく、一人の人生が凝縮されている内容です。こんなふうに自分の人生も終われたらいいな、と感じさせてくれる名曲ですね。ヴァイオリンの独奏では、中間(「英雄の伴侶」)における長いソロがクローズアップされがちですが、実は最後の部分(「英雄の隠退と完成」)でホルンとヴァイオリンが一緒に掛け合うところが、人生の黄昏を描いていてもっとも美しい箇所だと思います。
     作曲当時のシュトラウスは30代と若く、音楽史上でも最高位に位置づけられるほど、卓越した作曲技法を誇っていた時期ですし、自信をもって書き上げたことでしょう。その後もシュトラウスは長く生きますが、やはりこういう人物は、普通の人の尺度とはぜんぜん違うものを持っていると思うので、彼なりに、何かこの時期の総決算というか、自分の生涯全体を見通して形にしたかったのかもしれません。
     そしてこの作品に、実は僕自身も人生について考えを深め、大きな試練を重ねた時期を経て向き合えることに、今は感謝したい気持ちでいます。

  • この11年に起こった「大転換」

    R.シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》
    大野和士指揮(2008年9月13日/東京芸術劇場)
    © 竹原伸治

     大野和士さんとは、2008年9月にも(東京芸術劇場「作曲家の肖像」など)3回連続公演で《英雄の生涯》を演奏しました。3回目は南相馬市でしたね。その後、定期演奏会では、2011年5月に演奏しました。これは3月の東日本大震災直後ですから、特に記憶に残っています。3月後半はインバルの来日予定も、数々の公演もキャンセルになってしまいましたね。
     もう10年以上も経ちますから、前回の《英雄の生涯》を演奏した時のことをお話ししますと、実はその頃、大きな不調を抱えていました。震災のダメージを精神的に強く受け、演奏会のキャンセルが続いて仕事と生活のリズムが崩れたことが原因だったのかもしれません。ひどい高熱が続き、飲んだ薬が合わず、一時的に耳の不調が起こってしまったのです。普段と聴こえ方が変わってしまったので、大きなストレスを抱えることになりました。そうした中で《英雄の生涯》の本番を迎えるのは、とても不安がありました。四方恭子さん(都響ソロ・コンサートマスター)に本番1週間前に状況を説明したところ、「いざという時は私がいつでも代われるように準備しておきますから、大丈夫。あまり不安に思わず臨んでくださいね」と。大変な曲なのに、四方さんは頼もしくそう言ってくれて、僕は本当に演奏家仲間に恵まれていると思いました。それが大きな心の支えとなって、なんとか無事に本番を終えることができたのです。
     そして翌2012年、今度は頸椎を痛め、楽器を構えることも弾くことも難しくなってしまいました。このままでは、演奏家を続けたくても続けられないのではないかと、思い悩みました。しばらくして、幸い首の状態が落ち着いたので、ゼロから演奏姿勢を変えることにしました。おそらくほとんどの方は、僕がそうした境遇にあったことに気づかなかったと思いますし、もしかしたら家族ですら僕の葛藤を知らなかったかもしれません。
     10年がかりで、楽器の持ち方、指の使い方、弓の持ち方、角度、全部やり直しました。1箇所を変えると全体のバランスが変わるので、また別の箇所も変えねばならず、もう自分がバラバラになってしまうような体験でした。すべての要素を統合させるまで、気の遠くなるような見直しを辛抱強く続けました。
     そうこうしながら、徐々に自然に弾けるようになっていくと、まるで子どもの頃に戻ったような感じがしました。難しい曲でもスイスイ弾けるようになって楽しかった10代の頃へ。当時はそこまで難しい曲をやらなくてもよかったんじゃないかというくらい、楽譜を見れば何でもバーッと弾けるようになって、かなり技巧的な曲も弾いていました。特に何も考えていなかったのだろうけど、難曲も弾けていたということは、おそらく奏法は悪くなかったわけです。それがいつからか、いろいろな癖がついてしまっていたのでしょう。それらをいったんゼロに戻して、立て直していく作業は、演奏活動と同時進行で進めていたので、ほとんど苦行のようでもありました。しかし同時にとても尊い時間でもありました。

     その過程で、今度は2020年にコロナがやってきました。まったく仕事がなくなった時期を経て、やはりここでも意識が相当変わりました。それまでは、一生懸命さらって、緊張に耐えながらステージに立ち、終演後は反省点を十分に消化しきれないまま、楽屋に戻るともう次の演奏会のことを考えて準備しなければならない……。正直、そんなことの繰り返しでした。しかし、4ヵ月におよぶコンサートの中断を経て、久しぶりにお客様の前で演奏し、いただいた拍手を聴いた瞬間、自分の中で完全に大転換が起こったのです!
     なぜ、この世に音楽が存在していて、何のために必要で、なぜ自分は演奏するのか。恥ずかしながら、それが初めて分かった気がしました。大切なのは、演奏家は作曲家と聴衆とをつなぐ仲介者なのだということ。そんなことは巨匠たちも言っているし、自分でも分かっているつもりだったし、当たり前だとも思っていた。それを公言して何になるんだろう、くらいに思っていたわけです。しかしその「当たり前」の奥行きに、ようやく気づくことができました。
     たとえば、ベートーヴェンの「第九」はおそらく100回ぐらい演奏してきましたから、なんとなく「よく知っている」つもりでいました。しかし改めてスコアを読むと、自分は「何もしていなかった」なと。なぜ作曲家が、そこにfではなくffと書いたのか、なぜそのメロディを書いたのか。スコアから何を読み取り、何をメッセージとして伝えるか。それを、まったく考えていなかった自分に気づいたのです。
     作曲家から受け取ったメッセージの解釈に正解/不正解はないですし、演奏家の数だけ解釈は存在します。でも演奏とは、基本はとてもシンプルで、「作曲家はこういうことを伝えようとしていると僕は思うのですが、皆さんはどう思いますか?」という投げかけなんですよね。もちろん、真剣に作曲家のメッセージを受け取り、伝えるには、並大抵の勉強や作業では伝わりません。
     でもこれまでは、何かを勘違いしていました。とにかく間違わずに弾かなければならない、上手に正しく弾いて、評価されなければならない……そんなところに優先順位を置いて、ずいぶんとプレッシャーを感じていたのです。もちろん、ただ単に正しい瞬間に正しい音を並べようとしていたわけではないですし、自分なりに心を込めて演奏しようとしていました。しかしそれが果たして作曲家のメッセージを受け取ろうとしていた態度だったかといえば、そうではなかった。そんな自分は、どこかで順番が逆だったな、と痛感したのです。何を読み取り、何を伝えるかが最優先すべきことなのですから。
     そのことに気がつくともう、どんな作品の楽譜を見ても、完全に違う景色が目の前に広がるようになりました。それまでは、とても綺麗だけど散文的でよく分からないな、と感じていたブラームスのヴァイオリン・ソナタなども、「なるほど」と理解できることが少しずつ増えていきました。音楽家としてのメンタリティと言っていいのか、何かのチャンネルが変わったのだと思います。
     もちろんコロナの蔓延なんて早く収束してほしいですし、百害あって一利なしと思っていますが、ひょっとすると、こうした時期を乗り越えようとする中においては、悪いことばかりではなかったかもしれません。

  • まったく違った景色が見えそうな自分に期待を寄せて

    © Rikimaru Hotta

     おそらくコロナ禍にあったこの2年ほどは、多くの方々にとっても自分の人生について考える時間が増えた時期なのではないかと思います。ポッと時間が空いてしまって、自分のこれまでの歩みを振り返ったり、今後に対する不安や展望や希望を抱いたりしたのではないかと。僕自身は少なくともそうでした。だからこそ、R.シュトラウスが、まだ30代であったとはいえ、彼が自分の生涯を考えて形にした《英雄の生涯》を、今このタイミングで演奏できるというのは、タイムリーと言ってしまうと少し言葉が乱暴かもしれませんが、やはり巡り合わせとして感慨深いものがあります。
     来年でヴァイオリンを始めてちょうど50年になります。身体の使い方を変えながら、必要なテクニックを諦めずに見直し、そして作曲家のメッセージを読み取り、伝えることに意識が向けられるようになった今、ようやく「ヴァイオリンを弾くのが好きです」と心から言えるようになりました。外からの評価を過剰に気にしたり、自分自身との葛藤や苦しさから抜けられない時期もありましたが、そうしたことから今、解放されてきた気がするのです。
     僕は、元野球選手の清原和博さんや桑田真澄さんらと同学年です。スポーツ選手であれば、とっくにキャリアを終えている世代にあたります。肉体は俊敏性や強度の面でどんどん衰えていくものですし、頭の回転の速さだって、若い頃からは劣っていきます。しかし、年齢を重ねながら新しく得るものは必ずあるはずです。ただし、音楽家として新しく得たものがあっても、演奏するテクニックを失ってしまえば、それを表現する術がありません。僕のこの10年の間には、演奏家生命を絶たねばならないのかという危機感に襲われた時期もありましたが、演奏技術を捨てまいと諦めず、自然な奏法を見直して蓄積することができたのは、本当に良かったと思います。
     それを経て、11年ぶりに《英雄の生涯》という作品に向き合える機会をいただけたことは、とてもありがたいです。もちろん今の自分にとっても難曲ですし、コンサートマスターのソロの中ではアイコンのような作品ですし、そこで自分が変なソロを弾いてしまったら、その日の演奏会が台無しになってしまいます。しかしそうした思いよりも、おそらくは11年前に自分がこの作品に向き合った時とは、まったく違った見え方がするだろう、違う景色が広がるだろうという期待が膨らんでいます。いったい何が見えるのか、だんだん楽しみになっています。

公演情報

都響スペシャル(4/21)

2022年4月21日(木) 19:00開演(18:00開場)
東京オペラシティ コンサートホール

第948回定期演奏会Aシリーズ

2022年4月22日(金) 19:00開演(18:00開場)
東京文化会館

指揮/大野和士 ピアノ/藤田真央
ヴァイオリン/矢部達哉(都響ソロ・コンサートマスター)

シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 op.54
R.シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》 op.40