広田智之 R.シュトラウス オーボエ協奏曲を語る

都響首席オーボエ奏者

Tomoyuki HIROTA

広田智之
Tomoyuki HIROTA, Oboe(Principal Oboe of the TMSO)

 日本フィル首席奏者、同フィル ソロ・オーボエを経て、現在、都響首席奏者。 紀尾井ホール室内管、トリトン晴れた海のオーケストラ、オイロス・アンサンブルのメンバーとしても活躍し、リサイタルや室内楽でも精力的に活動を行う。これまでに都響、日本フィル、東京シティ・フィル、ミラノ・スカラ座弦楽合奏団、チェコ・チェンバー・ソロイスツ、ザルツブルク室内オーケストラ、モスクワ・ソロイスツ、ベトナム国立響など、内外のオーケストラ、室内楽団とコンチェルトを多数共演。NHKの『ベスト オブ クラシック』やFMリサイタルにも度々出演。クラシックにとどまらず、ポップス、ジャズなどのジャンルレスな活動が注目を集める。CDはビクターエンタテインメント、オクタヴィア・レコード、日本アコースティックレコーズより多数リリース。2021年、妙音舎より発売されたアルバム『カンティレーヌ』が『レコード芸術』誌の特選盤に選出された。 日本音楽コンクール、日本管打楽器コンクールなど主要コンクールの審査員を務め、現在は上野学園大学教授、桐朋学園大学特任教授として後進の指導にも努めている。日本オーボエ協会常任理事。

© ayane shindo

広田智之 R.シュトラウス オーボエ協奏曲を語る

取材・文/飯田有抄

  •  首席オーボエ奏者就任(2006年3月)以降、モーツァルト(2007年11月)、R.シュトラウス(2009年10月)、アルビノーニ(2011年2月)、マルティヌー(2013年11月)と、オーボエ協奏曲の名曲を都響と披露してきた広田智之。4月の定期Cおよび新潟公演でR.シュトラウスの協奏曲を13年ぶりに共演するにあたって、深まる思いを伺った。

  • 人としての佇まいが投影される作品

     R.シュトラウスのオーボエ協奏曲は、モーツァルトの協奏曲と並び、オーボエの2大協奏曲と称されています。第二次世界大戦の終戦時(1945年)に、アメリカ人兵士だったオーボエ奏者(ジョン・デ・ランシー)が依頼したもので、最晩年のオーケストラ伴奏歌曲《4つの最後の歌》の少し前に書かれた作品です。シュトラウスは依頼を受けた時に断ったものの、そのあと気が変わって曲を書き、翌年に初演されました。
     シュトラウスという人は、若い頃には作曲家としての成功に意欲を燃やし、名声を得たいという願望の強いタイプだったと思います。オペラ『サロメ』や『ばらの騎士』といった作品には実験的要素もありますが、聴き手の心を掴んでしまう黄金律を知るヒットメーカーでもありました。ところが、この晩年の協奏曲には、そうした世俗的な欲が全く感じられません。彼の10代の頃の歌曲に通じるような素直さ・純粋さがあります。ソリストを目立たせるための演奏効果を狙った表現や、奇を衒った技法などがないため、オーボエ奏者の“人としての佇まい”がそのまま表れてしまう作品です。ウソもつけないし格好つけることもできない。今の自分の人間性が虚飾なく映し出されるという、ソリストにとっては少し恐い作品でもあるのです。
     とはいえ、もともと僕自身の性格は、自分が前へ前へと目立つように演奏するのはあまり好きではなく、アンサンブルの響きの中に調和するような音色を追求したいと考えるタイプです。オーケストラ作品の中のオーボエ・ソロでも、自分の大きな音でガツンと主張するというよりは、全体の響きの中から、どうぞ聴き出してください、といったスタンスで吹いています。
     この作品の正式なタイトルは「オーボエと小オーケストラのための」とあり、即ち室内楽的要素の強い作品ということです。ですから、僕自身のキャラクターとしても、楽団の一員である自分がソリストを務めるという意味でも、最適な形で演奏をお届けできるのではないかと思います。もちろん協奏曲ですから、自分はオーケストラの前に立って演奏するわけですが、都響のように協奏曲に大きな愛情を注ぎ、ソリストにどこまでも寄り添うことができるオーケストラと一緒に演奏できるのはとても幸せです。

  • 良質な緊張を味方に

    マルティヌー:オーボエ協奏曲
    ヤクブ・フルシャ指揮(2013年11月19日/東京文化会館)
    © Rikimaru Hotta

     僕は都響に所属して17年になりますが、その間にもこのオーケストラは、技術面においてますます進化を遂げています。都響は協奏曲に大きな愛情があるとお伝えしましたが、楽団のメンバーがソリストを務めるということになりますと、それはもう、まるで家族の何か素敵なイベントといった感じになるんですね。僕自身にとっても、所属オケとの演奏は大いに刺激をもらえますし、深く対話ができる特別なステージです。ただですね、その愛情関係が、やや重くもなるわけです(笑)。ちょうど、家族旅行は楽しいけれど、何かと負担もあるようなものですね。
     やはり自分の所属するオーケストラの首席奏者としては、看板に傷や汚れがつかないようにしなければいけません。より音楽的な深みを目指し、技術面でも衰えないように日々鍛錬を重ねてはいますが、日頃オーケストラの中でソロを吹く場面でも、実は毎回かなり緊張しています。今回の独奏は、13年前の自分の演奏と比べてどうなのか、客観的に捉えることは難しいですが、やはり音楽上の“喋り方”というか、歌い回しといったところで、自分のスタイルを確立してきた自負はありますから、過去の自分を超えるようなものでありたいと思っています。年齢を重ねるにつれて人間の肉体は衰えていくわけで、そうした闘い/過去の自分に挑戦する気持ちは、おそらく13年前よりも強くなっているでしょう。そうなると、緊張は一段と高まってしまいますね。
     ただし、音楽家に緊張はつきものです。ソロは本気で魂を削りながら演奏しているので、緊張はもう避けられません。本番の演奏にとって、良い緊張はプラスに働きますが、あまりに強すぎる緊張は演奏の乱れにつながることもあり、それはマイナスです。緊張の針をマイナスにふれるギリギリ寸前でとどめ、集中力を保って本番に臨み、緊張と仲良くならなければいけないというのが、演奏家に求められる大きな要素だとつくづく感じています。

  • 磯釣りが強すぎる緊張を相殺!?

     そうは言っても、あまりに強い病的な緊張を覚えることもありますし、それは大きなストレスにもなります。ある脳科学者の方から聞いたお話なのですが、強い緊張を和らげるためには、たとえば散歩をしたりとか、料理をしたりとか、僕なら2匹の飼い犬と遊んだりとか、心が和むような気晴らしをすればいいかというとそれでは足りない、あることへの強い緊張を体感したり、それが持続したりする人たちがその緊張を打ち消すにはそれを相殺できるほどに強い全く別の緊張が必要となるのだそうです。
     そう聞いて少し納得しました。というのも僕には磯釣りという趣味がありまして、その情熱といったら並大抵の熱量ではありません。たとえ釣りに行かない日でも、プロの漁師さんたちが見るような特別なアプリをチェックして、いつでも風の様子を確認しているくらいなんです(笑)。海は、雨が降ろうが槍が降ろうが関係がなく、大事なのは風波なんですよ。
     で、いざ明日は行くぞ! ということになれば、夜中の2時前に都内を出発し、6時ころには西伊豆の港から船に乗って磯に渡ります。そして8時間ほど沖磯にいます。仕掛けや撒き餌のことを考え、絶えず風や波の流れを読みながら、刻々と変わる海の様子を探って集中します。すると成果というのは出るもので、読みが当たってクーラーボックスに大きな魚をたくさん入れて港に帰れるような日もあります。
     最近では港に戻ると、磯釣りの仲間たちが僕の釣果を見るために集まるようになりました。「広田さん、今日はどうですか? わぁ、今日は誰も釣れなかったのに、さすが!」なんて言ってくれることもあります。「広田さん、このまえ情報が出てるの見たよ!」なんて言われると、一瞬コンサートのことかなと思って「演奏の?」と聞くと「は?」みたいな顔をされる(笑)。そうではなくて、僕が大きな魚を持った写真が載っている記事の話なんですね。そんなわけで、西伊豆ではちょっと知られているんです。本業は伏せてありますけれど……(笑)。しかし、磯釣りでのプレッシャーは結果が出せなかった時。そんな時は港に戻るのがちょっと怖くなります。
     西伊豆にはそんな世界がある。大きなプレッシャーやストレスにもなってきた磯釣りなのですが、これがどうしてもやめられない(笑)。どんなに演奏会がたて込んでいる時期でも、磯釣りのハイ・シーズンには1週間と置かずに西伊豆まで出かけています。脳科学の先生のお話を聞いたときに、自分は演奏会での強い緊張に対し、それに匹敵するストレスを、磯釣りという全然違う形でぶつけていたんだなぁと知りました。
     磯釣りには、オーボエや音楽と無関係だからこそ良い面もあります。音楽から一切離れて、ネットも繋がらないような場所へと行くこともあります。釣り以外のことは何も考えず、終わったら食事をして寝て、翌朝からまた釣りをして、夕方また食事をして寝て……そういうことを1週間近く繰り返すこともあるんです。そんなふうに長時間楽器と離れていると、そろそろオーボエに戻りたい! という飢餓感が芽生えてくるんですね。すると戻ったときの集中力はとても充実しています。本当に良い集中力を磨き、保つことも大切に考えています。

  • 技術と経験の絶妙なバランスを生かして

     海は刻一刻と変わり、5分たりとも同じ流れを保つことはありません。表面上同じような流れに見えても、下で流れは変わっていたり、水温が変わっていたり、同じ状況を維持していません。
     音楽もまた同じように、流れが変わっていきます。特にオーケストラは、本番で突然誰かがポジティヴなエネルギーを出したり、指揮者があえて流れを急変させたり、ということもあります。オーケストラは全体でその流れに乗っていかなければなりませんから、誰かが対応できたとしても、オーケストラ全体にとって良い流れとならなければ意味がありません。ですから経験を積んだ奏者は、全体の流れをそれとなく抑えたり、整えたりしなくてはなりません。器楽奏者は、若い方が脳の神経伝達は速く、運動性能も高く、技術的には完璧に近い演奏をすることができますが、年齢を重ねてきた奏者には『熟練』という強みが増しており、経験値や俯瞰力で全体を見渡し、整えることができるのだと思います。
     その意味で僕自身は今、一人のオーボエ奏者としての年齢や技術と、都響のオーケストラプレイヤーとしての経験とが、良いバランスにあると感じています。この作品に対しては、オーボエ界の財産であり、協奏曲の最高峰であるという意識は若い頃から抱いていました。しかしここまで人間的な深みのある作品で、奇を衒うような要素を排除している曲だということは、経験を重ねるうちにわかってきました。
     そして今、音楽性と技術力のバランスが充実したタイミングにあって、再びこの協奏曲と向き合えるのはとても嬉しいことです。良い緊張と共にありながら、今の自分の音楽をありのままに表現したいと思います。

公演情報

第949回定期演奏会Cシリーズ(平日昼)

2022年4月28日(木) 14:00開演(13:00開場)
東京芸術劇場コンサートホール

大野和士指揮 東京都交響楽団スペシャルコンサート

2022年4月29日(金・祝)15:00開演(14:00開場)
りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館コンサートホール

指揮/大野和士
オーボエ/広田智之(都響首席奏者)

R.シュトラウス:オーボエ協奏曲 ニ長調
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調