9/30定期演奏会Aシリーズ 別宮貞雄生誕100年記念

別宮貞雄生誕100年記念

◆別宮貞雄生誕100年記念「協奏三景」◆

現代日本作曲界の重鎮として活躍し、2006年から2010年にかけて都響定期「日本管弦楽の名曲とその源流」シリーズのプロデューサーを務めてくださった別宮貞雄氏の生誕100年(没後10年)を記念して、弦楽器のための協奏曲3曲を一挙演奏するスペシャルプログラムです。洗練された抒情とみなぎるエネルギーが絶妙のバランスで共存する別宮氏の協奏曲は、いつ聴いても胸躍る、まさに傑作ぞろい。しかも今回は、単なるアニヴァーサリー企画に留まらず、独奏に新世代の名手たちを迎え、日本の名曲を未来に伝えていこうという試みでもあります。かねてより日本の管弦楽曲に深い共感を持つ下野竜也の指揮のもと、都響だからこその「別宮貞雄の肖像」をぜひご鑑賞ください。

  • “心からでて心にいたる”音楽を書き続けた別宮貞雄

    文/小室敬幸(作曲・音楽学)

    “心からでて心にいたる”音楽を書き続けた別宮貞雄

    記憶に残るメロディを書ける作曲家

     「たくさんよいメロディを書きなさい」――亡くなる2ヶ月前のダリウス・ミヨーを見舞った際、別宮貞雄(1922〜2012)はこんな言葉を託されたという。1950年代前半にパリに留学してミヨーとメシアンに師事した別宮は、恩師2人が亡くなるまで親しく交流を続け、彼らの励ましに支えられながら前衛音楽の潮流に抗って創作を続けた作曲家だった。
     2012年に89歳でこの世を去った別宮は、今年2022年に生誕100周年を迎える。都響にとっては、2006〜2015年にかけて計20種のプログラムで開催された定期「日本管弦楽の名曲とその源流」シリーズにおいて第1〜10回のプロデューサーを別宮が務めていたという縁があり、今年9月30日には彼が遺した3つの協奏曲を並べた記念コンサートを開催する。普段は現代音楽がプログラミングされた演奏会には積極的に足を運ばない……という方こそ、今回の演奏会を聴けば驚くに違いない。演奏されるチェロ協奏曲、ヴィオラ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲にはすべて、聴いた後にも記憶に残るメロディがあり、抒情性と構築性をバランスよく併せもった、日本音楽史に燦然と輝く傑作揃いなのだから。
     そのうちヴィオラ協奏曲は昨年、読響(指揮:山田和樹/独奏:鈴木康浩)も取り上げているのだが、その公演を聴いた音楽評論家の東条碩夫氏は「〔初演〕当時はごく限られた専門的な聴衆にしか受け入れられなかった邦人作品も、現代の活気に彩られた指揮者とオーケストラによって再現されると、はるかに多くの支持者を集めるのでないかという気がする。近年、そうした例にいくつか遭遇して、当時の日本の作曲家は凄いものを書いていたのだな、と思わされることが多い」と賛辞を送っている。
     とはいえ、別宮作品を全く知らない状態ではチケットを購入しづらいだろう。彼がどれほど魅力的な音楽を生み出しているのか、ここでご紹介したい。

    留学先はフランスでも、根幹にあるのはドイツ・ロマン派

      別宮貞雄の名を最初に広めることとなったのは歌曲である。作曲を本格的に学びはじめてから僅か5年後に作曲された歌曲集《淡彩抄》――シューマンと日本の抒情を結びつけた名曲!――は、1948年の毎日音楽コンクール作曲部門において第1位を獲得。また留学前の1951年春に作曲された〈さくら横ちょう〉は、別宮作品における最大のヒット曲に。どちらも日本を代表する歌曲のひとつとして、現在でも広く歌い継がれている。



    藤木大地 / Daichi Fujiki - さくら横ちょう(別宮貞雄)/ Sakura Yokocho(S.Bekku)

     オーケストラ作品としては、フランス留学から帰国後に書かれた《2つの祈り》(1955〜56)が代表作として知られるが、別宮らしさがより感じられる初期作といえば交響曲第1番(1961)だ。後に撤回されてしまったが、もともと第1楽章には「あこがれ」という副題が付けられていたことを念頭において、下記の動画を聴いてみよう。冒頭の第1主題の枯れた味わいはブラームスの交響曲第4番を思い起こさせるのに、ふんわりとしたオーケストラのサウンドはフランス音楽的でもあるのが面白い。



    別宮貞雄: 交響曲第1番:第1楽章[ナクソス・クラシック・キュレーション]

     加えてご注目いただきたいのは、この交響曲が書かれたのが1961年だったということだ。別宮がパリの留学から1954年に帰国した理由のひとつは、ブーレーズのような前衛音楽に拒否感を覚えたからだったのだが、1960年代になると日本の作曲家も全体的に前衛志向を強めていってしまう。そんな時代に、別宮はロマン派の色香に満ちたこの交響曲を作曲していたのである。

    バルトークを昇華した独自の音楽へ

     ところがその2年後、後には国際的にカルト的人気を得た特撮ホラー映画『マタンゴ』(監督:本多猪四朗/特技監督:円谷英二/原案:星新一/※ちなみにマタンゴの鳴き声が後にバルタン星人に転用されたことでも知られる)のために別宮は、無調的な不協和音を駆使して非常におどろおどろしい音楽を作曲している。別宮がこうして無調に近づく時、参照するのはシェーンベルク……ではなく実はバルトークであった。
     一部の例外(5つの管弦楽曲、ワルシャワの生き残り)を除いて、シェーンベルクの無調および12音技法の作品が好きになれないと公言してはばからなかった別宮だが、ウェーベルンはもちろんのこと、後期ロマン派に近いベルクさえ好まなかった。しかし別宮は(シェーンベルクの影響を受けて)バルトークが無調に接近した弦楽四重奏曲第2番 Sz. 67を、戦時中の学生時代から偏愛していたのだ。前述した『マタンゴ』の恐怖シーンでも、バルトークの《弦、打楽器とチェレスタのための音楽》と《中国の不思議な役人》を想起させる音楽を書いている(ちなみにキューブリック監督が映画『シャイニング』でバルトークを流して恐怖を煽るより、『マタンゴ』の方が17年も早い)。
     映画音楽は作曲に与えられた時間が短く(別宮自身の回想によれば3日間ほどだったという)、既存の音楽に似てしまうのもある程度仕方なかったが、演奏会用の芸術作品ではそうはいかない。バルトークの音楽を別宮なりに消化して、自らの血肉にした上で作曲されたのが今回の演奏会でも取り上げられるヴァイオリン協奏曲(1969)とヴィオラ協奏曲(1971)だった。
     一例を挙げれば、ヴァイオリン協奏曲について別宮自身が「友人の作曲家達の反応としては、私の作品の中でこれが一番いい。特にはじめの少し神秘的な感じのところが良しとされる」と語っているのだが、おそらくインスピレーションの元となったのはバルトークの弦楽四重奏曲第3番の冒頭ではないかと思われる。別宮は曲がりくねった旋律線を受け継ぎつつも、全体的なサウンドはバルトークとは異なる、別宮以外の何者でもない独自の音楽へと昇華させることに成功。それゆえに仲間内でも高く評価されたのだろう。紛うことなき傑作だ。

    最愛の人との別れが迫るなかで書かれた音楽

     一方、今回のコンサートにプログラミングされたもうひとつの作品、チェロ協奏曲《秋》(1997)はヴィオラ協奏曲の作曲から26年も経ているだけあって作風が大きく変化。ブラームスの晩年の作品から滲みでてくるような晩秋感が、交響曲第1番よりも更に切実に迫ってくる音楽なのだ。それもそのはず。この作品を書いた頃の作曲者は、脳梗塞で半身麻痺となった最愛の妻の余命と向き合っていたのだから……。
     別宮は作曲当時を振り返って「〔妻が〕老人ホームにうつっていくらかの余裕が出来たところで、不安から逃れるには仕事が一番とさとって手をつけたのがこの作品である。〔中略〕初演をきくことなく妻が逝ったので、私には曲が彼女の身代りのように思われて大へんなつかしい、愛着のある作品になった」と語っている。諦念と気丈さが混ざり合いながら進んでいく空気感はエルガーのチェロ協奏曲にも近く、感情移入してしまうと自然に涙がこぼれてくる作品だ。

     何度も繰り返すが、普段は現代音楽を避けている方にこそ今回の演奏会をお聴きいただきたい。日本にもロマン派の延長線上で、耳に残る旋律を用いて構築力のある音楽を生み出せる偉大な作曲家がいたことを、体感いただけるはずである。


メッセージ

  • 下野竜也氏よりメッセージ

    © Fumiaki Fujimoto
  • 映像

    • 【ソリスト・インタビュー】チェロリスト 岡本侑也

    • 【ソリスト・インタビュー】ヴァイオリニスト 南紫音

    • 【ソリスト・インタビュー】ティモシー・リダウト

    公演情報

    第959回定期演奏会Aシリーズ

    2022年9月30日(金) 19:00開演(18:00開場)東京文化会館

    出演

    指揮/下野竜也
    ヴァイオリン/南 紫音
    ヴィオラ/ティモシー・リダウト
    チェロ/岡本侑也

    曲目

    【別宮貞雄生誕100年記念:協奏三景】
    別宮貞雄:チェロ協奏曲《秋》(1997/2001)(23分)
    別宮貞雄:ヴィオラ協奏曲(1971)(30分)
    別宮貞雄:ヴァイオリン協奏曲(1969) (25分)

    公演詳細ページ→https://www.tmso.or.jp/j/concert/detail/detail.php?id=3578