東京都交響楽団

スコアの深読み

第11回

《英雄の生涯》再考
~リヒャルト・シュトラウスを理解するために

シュトラウスはワーグナーの後継者ではない!?

 これまで様々な作曲家について「スコアの深読み」(あるいは歴史的文脈の深読み)をしてきた本連載ではあるが、第2期の初回となる本稿で遂にリヒャルト・シュトラウス(1864~1949)をメイン・テーマにせざるを得なくなった(テーマは当月の都響公演の演奏曲目に関連するもの、という“縛り”があるので……)。なぜ、困っているかといえば、「作曲家◎人と作品」シリーズの岡田暁生 著『リヒャルト・シュトラウス』(音楽之友社、2014年)という名著の存在がちらつくからだ。
 数々の刺激的な著作で知られる岡田だが、音楽学者として博士号を取得したテーマが「リヒャルト・シュトラウス」だった。博士論文をもとにした『バラの騎士の夢』(春秋社、1998年)、それを改訂した『オペラの終焉』(ちくま学芸文庫、2013年)という著作もあるが、前述した『リヒャルト・シュトラウス』は伝記である。「作曲家◎人と作品」シリーズは、前半で生涯、後半で作品について取り扱うというのが基本構成なのだが、作品の取り上げ方については著者の方針によってかなり毛色が異なる。最も多いのはオペラ、管弦楽曲、室内楽曲……のように編成ごとに分けて、時系列順に代表的な作品を解説していくというスタイルだ。
 それに対し岡田は、作品篇においてまず「作曲技法」という項目をたて、「響き」「和声法」「終止カデンツ」「無調」「複調」「フォルム」「引用と歴史主義」「作曲プロセス」「自己評価」という9つのポイントから、シュトラウスという作曲家の特徴(=他の作曲家との違い)を明快に説明するところから開始する。これらの項目を熟読していただければ、《英雄の生涯》がなぜあのように書かれているのか?――はっきり言って、その主だったところは納得できてしまう。
 なかでも驚かれる方が多いのではないかと思われるのが、(交響詩と楽劇の作曲家という点から)リストとワーグナーの後継者とみなされることの多いシュトラウスだが、「三和音を好み、変化和音をあまり用いない」という観点からいってワーグナーとは和声法が大きく異なるのだという指摘だ(ということはリストとも異なる)。双方に共通する音楽の濃厚さゆえに、語法も直接的に受け継いでいるように思われがちだが、内実は大きく違っているのだ。

《英雄の生涯》の形式を再考する

 アカデミックな見地をもちながら、一般の愛好家にも伝わるかたちでシュトラウスの本質を伝えてくれる著作があるにもかかわらず、これ以上、何を語れるというのだろう?――と悲観的になってしまいそうになるが、本稿では《英雄の生涯》を形式上の観点から再考してみたいと思う。
 岡田は、シュトラウスの「フォルム」の本質として「尻すぼみ」と「ソナタ形式」を挙げている。前者についていえば、交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》を例に、第1部「導入」が音楽的なピークで、第9部「夜のさすらい人の歌」が静かに終わることを、最たるケースとして挙げている。それに比べれば《英雄の生涯》は、楽曲の後半にクライマックスが置かれているように思えるが、それでも最終的には伴侶を表すヴァイオリン独奏の後、管打楽器によるサウンドで、まさに軍楽隊が軍人や貴族を弔うかのようなエンディングを迎える。更に言えばそれは改訂版で、初稿ではそうした荘厳な送り出しさえなく、伴侶に見守られながら静かに息を引き取る……という雰囲気であった。まさに「尻すぼみ」の典型例である。
 それに対して、「ソナタ形式」について「第二次ミュンヘン時代の四つの交響詩のうち最もソナタ形式に忠実なのは、《英雄の生涯》である」とした上で「提示部で英雄、英雄の敵、英雄の伴侶という三つの主題が対置されてから、展開部で戦いの場面に入り、とてつもない高揚とともに英雄の主題が戻ってくる。しかし〔……〕、各セクションのサイズをあまりにも大きくしたせいで、全体形式に緩みが生じていることは否めない」と岡田は指摘している。実に面白いことに、その緩みをドラマの「場面」とみなし、「映画音楽」から参照されるネタの宝庫となっていった(つまり映画音楽の先駆である)と結論づけていく岡田の視野の広さには驚かされるばかりなのだが、今回は違う視点から検討していこう。

提示部が長過ぎる?

 ご存知のように《英雄の生涯》は6つのセクション(英雄/英雄の敵/英雄の伴侶/英雄の戦い/英雄の平和時の所産/英雄の隠退と完成)から構成されており、(演奏によってもちろん異なるが、自作自演の録音をもとにすると)各セクションの演奏時間はおおよそ「4分:3分:11分:7分:6分:9分=全40分」となる。岡田が「緩み」と評したのは、「英雄」「英雄の敵」「英雄の伴侶」という最初の3つのセクションを提示部とみなしているからだ。つまり「提示部18分:展開部7分:再現部とコーダ15分」という配分の(自由な)ソナタ形式であるということになる(シューベルトやブラームスには提示部がその楽章の半分近くを占めるような楽章も存在するが、それは提示部を反復しているか、協奏ソナタ形式として二重の提示部を持っているからに過ぎない。《英雄の生涯》は反復なしでこの時間配分なのだ!)。
 最初の3つのセクションを提示部とみなしているのは岡田だけでなく、広く共有されている作品理解なのだが、今回はここに疑問を呈したい。改めて分析すると、3つのセクションそれぞれがソナタ形式を内包しているように思われる。

第1部「英雄」

 まずは第1部「英雄」からみていこう。冒頭4小節で全ての主題の原型となる第1主題(変ホ長調/譜例1)を提示し、16小節目まで様々なモティーフを生み出してゆき、17~20小節で第1主題を再提示。その後、21小節から遠隔調であるロ長調に転調するのだが、ここから第2主題群(譜例2)が始まるとみなしていくと新たな視座が拓けてくる。
 45小節に至るとハ長調で第1主題が登場。ここからが展開部となり、47小節からは分解された第2主題群も絡んでくる。56小節から長いクレッシェンドを築いていき、84小節でfffに到達。10小節の長いカデンツ(終止形)となるのだが、ユニークなのはその過程で84小節から93小節にかけて第2主題群が主調(変ホ長調)で先だって再現されたあと、94小節から第1主題が再現されるのだ(提示部とは逆順で主題が再現されている)。
【譜例1】第1部「英雄」 第1主題 1小節~
譜例
【譜例2】第1部「英雄」 第2主題群 21小節~
譜例

第2部「英雄の敵」

 118小節から始まる第2部「英雄の敵」は、(ト短調の導音「ファ♯」を除く、12音のうち11音が使用されている半音階的な)フルートによるパッセージが第1主題(譜例3)となる。副次的な主題のなかでは、122小節から5小節周期で繰り返される「あくび」のような(評論家の「無関心」「無能」を示すとされる)並行5度の低音フレーズが、後にも存在感を発揮する。137小節からは第1部第1主題に由来する旋律の派生形が登場するのだが、これが第2部における第2主題(譜例4)に相当。169小節から、これら第1主題と第2主題が交互に奏されることで展開部となる。ところが再現部らしきものが現れぬまま、188小節からは次の第3部「英雄の伴侶」に突入してしまう。やはり独立したソナタ形式とみなすのは無理筋か?……いや、第3部終盤の354小節に再び登場する第2部の第1主題群を再現部とみなすことはできないだろうか。
 そう考えると、第3部の大部分を第2部の展開部の延長と捉えることさえ可能になる。この場合は根拠として、第3部の328小節のアウフタクトから第1ヴァイオリンが奏する甘い旋律を、第2部の第1主題(譜例3)を変型したものとみなすことができるなど、第2部に由来する主題が第3部で変奏されていくことが挙げられる。
【譜例3】第2部「英雄の敵」 第1主題 118小節~
譜例
【譜例4】第2部「英雄の敵」 第2主題 137小節~
譜例

第3部「英雄の伴侶」

 同様の関係性は第3部「英雄の伴侶」と第4部「英雄の戦い」にも当てはめることができる。191小節からヴァイオリン独奏によって提示される第3部の(妻パウリーネを示すとされる)第1主題(譜例5)は、第1部第2主題群の一部から派生したものであり、204小節の低音で最初に登場する第2主題(譜例6)は、214小節から明らかにされるように、第1部第1主題をもとにしたモティーフだ。これら2つの主題は274小節あたりから交互に絡みあいながら展開されてゆくが、やはり第3部の中では明確な再現部が置かれていない。その代わりに、第3部冒頭188小節のシグナル音型が、第4部終盤の616小節で再現され、625小節からは第3部第2主題も(274小節から登場した形で)再現されている。
【譜例5】第3部「英雄の伴侶」 第1主題 191小節~
譜例
【譜例6】第3部「英雄の伴侶」 第2主題 204小節~
譜例

複合的なソナタ形式

 このように、「第1部」「第2部+第3部」「第3部+第4部」はそれぞれがソナタ形式になっているだけでなく、第4部の631小節からは第1部の再現も置かれているので、これまで指摘されてきた通り「第1部~第4部」もソナタ形式であると分析可能なのだ。このように複合的なソナタ形式になっていると捉えれば、前述した「緩さ」は微塵もない。そして、ソナタ形式の可能性をこれまでとは異なるやり方で追求した結果、第5部「英雄の平和時の所産」では異なる展開をもたせるために、自作の引用を行ったと考えれば、単に自己顕示欲のために引用されているわけではないようにも思えてくる。
 本作が書かれる上で、かの《英雄》交響曲が強く意識されていたというが、《英雄の生涯》もまた、ベートーヴェンが19世紀初頭に起こした革命的な交響曲に匹敵するような、高度で複雑な構造をもった作品であることは、どうにもこうにも疑いようがない。

小室敬幸(作曲・音楽学)