東京都交響楽団

スコアの深読み

第12回

コープランドとブーランジェ
~「アメリカらしさ」はどのように生まれたのか

アメリカ芸術音楽の始まり~ドヴォルザークの「後継者」たち

 アメリカにおける西洋芸術音楽(≒クラシック音楽)の歴史は、第一次世界大戦(1914~18/ただしアメリカが参戦するのは1917年)を境に変化していったとされる。それ以前は、アメリカ音楽の父と呼ばれるスティーブン・フォスター(1826~64)がアイルランド系だったように、ブリテン諸島からの移民が持ち込んだ旋律感覚によってアメリカ独自の音楽は作られはじめ、19世紀末にはドヴォルザークがニューヨークのナショナル音楽院の院長になったことが象徴的なように、ドイツ・オーストリア系に基礎をもちつつも、そこに民族性を織り込んだ音楽様式が目指されるようになってゆく。
 しかしながら院長として活動した期間は1892~95年と短く、目立った弟子もいないことから、ドヴォルザークのアメリカにおける教育者としての側面は軽視されてしまうこともある。だが、アメリカ時代の弟子であるルービン・ゴールドマーク(1872~1936/作曲家カール・ゴルトマルクの甥)はアーロン・コープランド(1900~90)とジョージ・ガーシュウィン(1898~1937)を指導したことで知られる。またゴールドマークの弟子として忘れてはならないのがヴィットリオ・ジャンニーニ(1903~66)で、ジャンニーニ門下からアルフレッド・リード(1921~2005)とジョン・コリリアーノ(1938~)が輩出されたことを思えば、ドヴォルザークが蒔いた種は充分にアメリカで花開いたといえるのではないか。
 ところが前述したように、第一次世界大戦が大きな影を落とす。1917年にドイツに対して宣戦布告をすることでアメリカも第一次世界大戦に参戦。敵国となったドイツの印象が悪くなり、ドイツ音楽信奉が陰るのだ(現在、日本が直接ウクライナ危機に関与していなくても嫌ロシアの風潮が強まっていることを思えば、想像に難くないだろう)

アメリカ国民音楽の創出~ナディア・ブーランジェの影響

 コープランドがゴールドマークに習いだしたのも1917年からで、徹底してドイツ・ロマン派式のソナタ形式に基づく作曲法を仕込まれた結果、コープランドらしからぬピアノ・ソナタ ト長調(1921)を書き上げている。ところがこの師に見せることなく書かれたピアノ曲《猫とネズミ》(1920)では明らかにドビュッシーを模倣。つまるところ、若いコープランドにとってゴールドマークの指導は窮屈なもので、アメリカにおける嫌ドイツの空気も相まって1921年からパリへと留学したのだった。
 非常に興味深いことに、1921年というタイミングが非常に絶妙で、この年にパリ郊外のフォンテーヌブローにアメリカ音楽院が設立されている。本来はフランスに駐在するアメリカ人の軍楽隊を指導するための機関で、ここに教師として呼ばれていたのが後に20世紀最大の音楽教師として名を馳せるナディア・ブーランジェ(1887~1979)だった。プライベートでは作曲の指導を以前からしていたが、音楽院で和声・対位法などを教えるようになったのは1920年からと、当時はまだ若手教師。ところがバッハからストラヴィンスキーまで広範囲の音楽に精通している上、心を開いて親身に接してくれる彼女の指導に惚れ込んだコープランドは3年間みっちり指導を受けた。そして1920年代なかばからは、ウォルター・ピストン(1894~1976)、ヴァージル・トムソン(1896~1989)、ロイ・ハリス(1898~1979)と、コープランドより数歳年上のアメリカ人たちも後追いで師事するようになってゆく。
 こうして、名前の挙がったアメリカの作曲家たちはフランス由来の指導を受けながら、新古典主義音楽を学んでいった……というのが、沼野雄司 著『現代音楽史』(中公新書、2021年)で語られている、アメリカ国民音楽を創出していった(とみなされている)作曲家に対する解説だ。この見立てに異論はないのだが、なぜナディア・ブーランジェから学んだのが新古典主義音楽であったのかは、もうちょっと補足する必要があるだろう。

ナディア・ブーランジェの新古典主義志向

 ナディア・ブーランジェは、《オルガン交響曲》などで知られるシャルル=マリー・ヴィドール(1844~1937)と、ガブリエル・フォーレ(1845~1924)に師事。彼女の妹リリー(1893~1918)の方が作曲家として才能があったにもかかわらず夭折してしまったこと、そして自らは作曲の筆を折ってしまったことで知られる(正確にいえばナディアは妹が亡くなった後の1922年にも歌曲を数曲手掛け、出版している)。ナディアが作曲した管弦楽曲は少ないのだが、1912年に書かれたピアノと管弦楽のための《変奏幻想曲(Fantaisie variée)》は実に興味深い。おそらくモデルになったのはセザール・フランクのピアノと管弦楽のための《交響的変奏曲》(1885)で、フランクを通してドイツ音楽の要素も明らかに含まれているのだ。
 加えて、冒頭の主題は《交響的変奏曲》の始まりをシンプルにしたような動きとなっており、ロマン派的な音楽と性格を異にしている。楽曲が進むほどテクスチュアの明瞭さは際立ち、中盤で独奏ピアノとトランペットが主旋律を牽引するセクションは、明らかにフランス近代音楽やドイツ・ロマン派音楽の典型的なサウンドと異なっている。新古典主義スタイルによる音楽がヨーロッパでムーヴメントになる1920年代にナディアは(1922年に歌曲を書いているとはいえ)作曲家としての活動をやめてしまったが、作曲家時代の自分が志向していた、湿っていない明瞭な音楽……という観点からナディアはストラヴィンスキーらによるドライな新古典主義を高く評価し、コープランドら弟子の指導にもその価値観が活かされたというのが実情に思われる。

コープランドの転換~モダンなサウンドから「課された単純性」へ

 加えて、コープランド研究家のアングレット・ファウザーが指摘しているように、アメリカ人としてのアイデンティティ(≒アメリカをどう音楽で表現するかという問題意識)は、フランス文化を通して構築されたものであった。どういうことかといえば、当時のフランスでは「工業化された大量生産の地としてのアメリカ合衆国」というステレオタイプ的イメージがあったようで、そこから機械的かつ都会的な表現を、(アフリカ系という起源から切り離した上で)ジャズを取り入れたモダンなサウンドで表現しようとしたわけだ。そのピークに位置するのは、おそらく《ピアノ変奏曲》(1930)であろう。ところがこの作品以降、コープランド自身が「課された単純性(imposed simplicity)」と呼んだ作風へと舵を切る。
 そのきっかけとなったのが1929年の世界恐慌である。フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策(1933~37)による経済立て直しは、自由の国アメリカらしからぬ全体主義的政策とも指摘されるが、意外なことにアメリカ共産党は当初、反対を表明。1935年になってから賛成に立場を変えたことで、共産党が資本主義と実質的に手を組むことになり、反ファシズムの姿勢を打ち出して異なる政治勢力が手を結ぶ「人民戦線(popular front)」がアメリカにも現れた。一般的に共産党シンパとして知られるコープランドは、この頃からアメリカの都市部とジャズだけでなく、田舎と古い音楽にも目を向けるようになり、舞台作品に力を注ぐにようになってゆくのが興味深い。

単純性を捨て去ったコープランド~西部劇の音楽スタイルは全世界へ

 シカゴのナイトクラブでの殺人事件とその裁判を描いたバレエ《聴け、汝ら!(Hear Ye! Hear Ye!)》(1934)は都市部を舞台にしていたが、コープランドにとって初のオペラとなった『ザ・セカンド・ハリケーン』(1936)はアメリカ南東部を舞台にして、アメリカ独立戦争(1775~83)時代の歌が引用されている。この手法は、開拓者たちを描いたバレエ《アパラチアの春》(1944)での19世紀半ばのシェイカー派のメロディ(シンプル・ギフト)からの引用の先駆けとなった。
 こうして、「都市部と田舎」「現代と過去」「華やかさと孤独」といったアメリカの両面性を、旋律・和声・リズムの「単純性」を保ったまま音楽で表現できるようになった1940年代のコープランドを代表する作品が《市民のためのファンファーレ》(1942)であり、それを第4楽章に組み込んだ交響曲第3番(1944~46)だといえるだろう。「市民」と訳されている“the Common Man”が、特定の誰でもない「普通の人々」を指しているのは、コープランドがアメリカの都市部と田舎、両方に目が向くようになったからに他ならない。
 ところが1949年にヨーロッパを訪れたコープランドは、ピエール・ブーレーズ(1925~2016)に代表される新世代の作曲家の台頭を意識せざるを得なくなり、自分自身も12音技法に取り組むなどして単純性を捨て去ってゆく。
 一方、コープランドがバレエ《ビリー・ザ・キッド》(1938)、《ロデオ》(1942)で生み出した西部劇の音楽スタイルは、コープランドの孫弟子にあたるエルマー・バーンスタイン(1922~2004)らに引き継がれ、映画『荒野の七人』(1960)などの西部劇映画における音楽のモデルとなる。コープランドが1950年以降に捨てゆくサウンドは映画音楽の世界で生き残り、アメリカ的な音楽を全世界へ広めたのだった。

小室敬幸(作曲・音楽学)
CD
【CD】
コープランド:交響曲第3番、バレエ組曲《ビリー・ザ・キッド》 他
アーロン・コープランド指揮 ロンドン交響楽団
〈録音:1958年〉
[日本ウエストミンスター/JXCC1077]
* 定番の名盤として知られるバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの新録音(1985年)と比べると、この自作自演盤は全体的に響きがドライで、新古典主義的な性格を持った作品であることが伝わってくる。第3楽章の主部は都市の孤独を、中間部は田舎を描いていると捉えると、この作品からもアメリカの両面性が聴こえてくる。