東京都交響楽団

スコアの深読み

第13回

楽章構成の論理
~《悲劇的》の中間楽章をめぐって

4楽章構成と3楽章構成

 18世紀後半、いわゆる古典派以降の時代に交響曲や弦楽四重奏曲の定型となってゆく、「ソナタ・アレグロ楽章」「緩徐楽章」「舞曲楽章」「軽快な終楽章」による4楽章構成。これは、イタリア風序曲の「急―緩―急」3つの部分を独立させることで生まれた3楽章構成に、舞曲楽章を加えたもの。もしくは5楽章以上の長さをもつディヴェルティメントなどから楽章を減らしたもの……と捉えることができる。
 それに対して、ピアノのためのソナタ(いわゆるピアノ・ソナタ)や、ピアノとヴァイオリンのためのソナタ(いわゆるヴァイオリン・ソナタ)については、ハイドン(1732~1809)やモーツァルト(1756~1791)は「急―緩―急」の3楽章構成をとっている。ベートーヴェン(1770~1827)も地元ボンで12歳ころに作曲したピアノのための《選帝侯ソナタ》(3曲/1782~83)では3楽章構成をとっていたが、ウィーン定住後に書かれたピアノのための3つのソナタop. 2(ピアノ・ソナタ第1~3番/1793~95)は、交響曲や弦楽四重奏曲型の4楽章構成で作曲されている。

舞曲楽章→緩徐楽章/フィナーレ志向が強まる

 ここまでは、あくまで前提となる話だ。今回、テーマとして取り扱いたいのは、この基本となる4楽章構成がどのように変化していくのかという問題だ。まず検討すべきは第2~3楽章の順番が逆――つまり、第2楽章に舞曲楽章、第3楽章に緩徐楽章が置かれる作品についてであろう。最も有名なのは「第九」ことベートーヴェンの交響曲第9番《合唱付》(1824年初演)だが、それ以前にも彼は1818年に完成したピアノ・ソナタ第29番《ハンマークラヴィーア》で同様の構成をとっていた。その理由は実に単純で、フィナーレ(終楽章)志向が強まったからだ。
 ハイドンやモーツァルトによる4楽章構成は、基本的に第1楽章に重きが置かれているので、その空気や雰囲気を変えるクッションとして第2楽章にゆったりとして静かな緩徐楽章が必要とされたのである。それに対し、ベートーヴェンの中期(1803年以降)では終楽章に作品全体のクライマックスを設定しているので、それを引き立てるためにも第3楽章が穏やかな音楽である方が、都合が良かったのだ。この発想は、3楽章構成をとるピアノ・ソナタ第21番《ヴァルトシュタイン》(1803~04)において、第2楽章を「第3楽章への前奏曲」にしてしまうというアイデアとほぼ一緒といえる。また交響曲第5番《運命》(1807)において、第3楽章は「舞曲楽章」なのだが、第4楽章へと切れ目なく繋がるアタッカの部分では拍節感を弱めることで、緩徐楽章に近づけていると捉えることもできるだろう。
 ところで、ベートーヴェンはピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲といった交響曲以外の晩年作において、全楽章のなかで緩徐楽章が最も長大で、最大の重みを置いた作品が多くなる。ベートーヴェンにとって「第2~3楽章の順番を逆にする」というのは、数ある可能性のうちのひとつに過ぎないことに注意したい。この楽章順は、メンデルスゾーン(1809~47)の《スコットランド》交響曲(1829~42)や、ブルックナー(1824~96)の交響曲第8番(初稿1884~87)・第9番(1891~96/未完)に直接的に受け継がれている。

5楽章構成

 4楽章構成を考える上で、実は19世紀以降に時折みられるようになった5楽章構成についても考えておく必要がある。全5楽章の交響曲としてはベートーヴェンの交響曲第6番《田園》(1807~08)が有名であるが、共にアレグロと速度指定された第3楽章と第4楽章は2つともスケルツォであり、各楽章の実演奏時間をみれば明らかなように、「第3楽章+第4楽章」で他の楽章の長さに匹敵するような構成となっているのだ。
 また《田園》第3~5楽章はアタッカで続けて演奏されるように指示されているが、《運命》第3~4楽章のアタッカと同様のアイデアであることも指摘できるだろう。そして「最終楽章とその前の楽章で主題が共有される5楽章構成」という観点から、《田園》と《運命》の間に位置するといえるのがシューマン(1810~56)の交響曲第3番《ライン》(1850)だ。
 《田園》と比べると革新性が明らかなのが、ベートーヴェンが亡くなった3年後に完成されたベルリオーズ(1803~69)の《幻想交響曲》(1830)で、こちらはアーチ型(シンメトリー型)の構造をとっている。舞曲楽章である第2楽章はメヌエットでもスケルツォでもなく、19世紀らしいワルツを採用。それに対し、アーチ型で対比対象となる第4楽章「断頭台への行進」はその名の通り、マーチとなっている。行進曲はダンスではないとはいえ、体の動きに合わせた音楽から生まれたという意味でも舞曲に準じる存在なのだ。つまり《幻想交響曲》は「ソナタ形式」「舞曲」「緩徐楽章」「舞曲」「(自由な)ソナタ形式」というアーチ型の5楽章構成となる。

マーラーの5楽章構成

 このアーチ型の5楽章構成を受け継いだ例のひとつに、チャイコフスキー(1840~93)の交響曲第3番《ポーランド》(1875)などもあるが、5楽章構成の可能性を発展させたのはやはりマーラー(1860~1911)だといわざるを得ない。現在は4楽章構成で知られる交響曲第1番《巨人》(1884~88)も、割と知られているように当初は全5楽章だった。第2楽章に「花の章」と通称される緩徐楽章があったので、本来は「ソナタ形式」「緩徐楽章」「舞曲楽章(スケルツォ)」「葬送行進曲」「ソナタ形式」という流れであったのだ。第4楽章の葬送行進曲は、行進曲とはいえテンポが遅く、(前述した中期以降のベートーヴェンのように)終楽章との対比が意識されているので、緩徐楽章に準じるものと見なしてよいだろう。テンポも雰囲気も大きく異なる第1楽章とフィナーレであるが、第1楽章のなかに既にフィナーレの予告がなされているので、「花の章」付き《巨人》はアーチ型の5楽章構成として構想されたものといって間違いない。
 交響曲第2番《復活》(1888~94)は、もとは歌曲である第4楽章「原光」が、挿入された感じに映るかもしれないが、「花の章」付き《巨人》と似たアーチ型の5楽章構成だ(ただしフィナーレの予告は第1楽章ではなく、第3楽章で行われる)。一方、細かいことを語ると長くなるので結論だけいえば、同じ構想から生まれた姉妹作である交響曲第3番と第4番は、ベートーヴェンが晩年に追求した緩徐楽章に重きを置く方向性をとっている(ただし第4番はアンチ・フィナーレという特殊な結末を迎える)。
 こうした試行錯誤を経て、マーラーは5楽章構成に対して、このあと事実上ふたつの結論を導き出す。
 ひとつは交響曲第5番(1901~02)のように「第1楽章+第2楽章」「第4楽章+第5楽章」をセットにして前者を後者の前奏曲に位置づけ、中央の第3楽章とともに全体を3部構成とみなすこと。ベルリオーズのアーチ型と異なり、線対称的ではなくしている。
 もうひとつは、交響曲第7番(1904~05)のように、長大な第1・第5楽章、共に「夜の音楽(Nachtmusik)」と名付けた第2・第4楽章、そして短い第3楽章と、線対称的なアーチ型を更に徹底したもの。このアイデアは、完成することが叶わなかった交響曲第10番(1910/未完)でより純度高く追求された。

マーラーの4楽章構成

 こうして見ていくと、マーラーの交響曲のなかで、構想段階から4楽章構成を前提としていたのは、第6番《悲劇的》(1903~04)と第9番(1909~10)だけであることに気付かされる(第4番は、第3番における全7楽章構想が崩れた結果生まれたものに過ぎない)。交響曲第9番は、チャイコフスキーの第6番《悲愴》(1893)のように第4楽章が緩徐楽章によるフィナーレとなるので、その前の第3楽章にはコントラストをつけるためにスケルツォを置くというアイデアは誰の目にも明らかだ。それに対して、第6番《悲劇的》は見解が分かれている。
 第1楽章がイ長調で終わり、「スケルツォ」がイ短調で始まるのは、明らかにこの曲におけるモットー動機(イ長調→イ短調)を意識したものであろうし、「アンダンテ・モデラート(緩徐楽章)」が変ホ長調で終わったあと、第4楽章が冒頭8小節だけハ短調(変ホ長調の平行調)になっているのは楽章間の繋がり故であろう。初版も第2楽章「スケルツォ」、第3楽章「アンダンテ・モデラート」で出版され、初演に向けたリハーサルもこの順で進めたのだが、実際の初演演奏会では中間楽章の順番を逆にしてしまった(アンダンテ→スケルツォ)のだ! マーラーがこの曲を生前に指揮した3回(1906年5月27日エッセン〔初演〕、同年11月8日ミュンヘン、1907年1月4日ウィーン)は全て第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「スケルツォ」の順で演奏された(出版譜もそのように変更するよう、指示がなされた)。
 マーラーの没後もしばらくは「アンダンテ→スケルツォ」の順で演奏されていたようだが、1920年頃に指揮者のメンゲルベルク(1871~1951)がマーラーの妻アルマ(1879~1964)の証言に基づき、順番を当初の構想通り「スケルツォ→アンダンテ」に戻してしまう。以後は、指揮者の判断に任されていたが、1960年代に国際グスタフ・マーラー協会から出版された校訂版は「スケルツォ→アンダンテ」が正しいと結論づけたため、マーラーが普及していったルネッサンス期はこの順序で広まったのだ(1907年1月4日は、プログラムに印刷された楽章順に反して「スケルツォ→アンダンテ」で演奏されたとの報告が少数だがあり、それが生前最後の演奏だったためマーラーの“結論”と見なされた)。
 ところが2000年代に出版されていった国際グスタフ・マーラー協会の新しい校訂版では再び、マーラー自身が指揮したとされる順番に戻された(1907年1月4日は、その場に立ち会った多くの評論家が楽章順に触れていないため、プログラムの記載通り「アンダンテ→スケルツォ」の順に演奏されたとの説に基づく)。
 大作曲家マーラーの当初のコンセプト「スケルツォ→アンダンテ」に従うのか、名指揮者マーラーの判断「アンダンテ→スケルツォ」に従うのか? その違いであると捉えると、指揮者ごとのスタンスが見えてきて興味深い。

小室敬幸(作曲・音楽学)
CD
【CD】
マーラー:交響曲第6番《悲劇的》
キリル・ペトレンコ指揮 ベルリン・フィル
〈録音:2020年1月25日 ライヴ〉
[ベルリン・フィル・レコーディングス/KKC9612~25(10CD+4BD)]
* 8人の指揮者による、ベルリン・フィル最新のマーラー交響曲全集(2011~20年のライヴ録音)に含まれている演奏。中間楽章の順序は「アンダンテ→スケルツォ」。ベルリン・フィルの高い機能性を活かしたバランスのとれた名演で、現代オーケストラによるひとつの到達点を示している。