東京都交響楽団

スコアの深読み

第15回

「発話旋律(Speech Melody)」とは何か~ライヒとヤナーチェク

オペラに代わる新しい音楽劇を模索したライヒ

 「オペラ座を爆破せよ」と言ったのは若き日のピエール・ブーレーズ(1925~2016)であったが、晩年にはサミュエル・ベケット(1906~89)の不条理劇『ゴドーを待ちながら』をオペラ化してスカラ座で初演される……という噂が(事実であるかどうかはさておいて)世界中の新聞や音楽誌で報道されていた。
 音楽観はブーレーズと全く相容れなかったであろう、ミニマル・ミュージックのスティーヴ・ライヒ(1936~)だが、彼もまた「舞台ではベルカントで歌われ、管弦楽はオーケストラ・ピットで演奏するというやり方には笑ってしまう」と、歌劇場で上演されるようなオペラ(フィリップ・グラスやジョン・アダムズの現代作品を含む)に否定的であった。だからこそ1970年代末からオペラの委嘱を受けていたにも関わらず「私が(オペラを)楽しめないのに、人を楽しませるものを作れるだろうか」と断っていた。
 ところがライヒはその後、audio-visual music theatre workと名付けられた『洞窟(The Cave)』(1990~93)と、A documentary video operaと名付けられた『3つの物語(Three Tales)』(2002)という2つの舞台作品を手掛けている。これらが生まれる発端となったのが《エレクトリック・カウンターポイント》(1987)と《ディファレント・トレインズ》(1988)であった。前者の作曲中、ギターのサウンドをシミュレーションすることができるキーボード型のサンプラーを、初演者であるギタリストのパット・メセニー(1954~)から提供されたことで、それ以後もサンプラーやコンピューターを作曲のツールとして活用するようになったのだった。
 サンプラーはその名の通り、楽器の音でなくとも録音であれば何でも切り出して(サンプリングして)演奏できるようにする電子楽器だ。それをクロノス・クァルテットのための作品である《ディファレント・トレインズ》でライヒは「スピーチ(人の話し声)の録音が、楽器のための音楽素材を生み出す」ために用いた。もう少し分かりやすく言えば、スピーチの音程を聴き取ってメロディ化し、それを元のスピーチの録音と重ね合わせたのだ。この手法にライヒは「スピーチ・メロディ(Speech Melody)」と名付け、前述した2つの舞台作品や1993年の世界貿易センター爆破事件などを題材にした《シティ・ライフ》(1995)、2001年のアメリカ同時多発テロ事件を題材にした《WTC 9/11》(2011)で発展的に用いていった。
 《ディファレント・トレインズ》の作曲後、ジュリアード音楽院でこの作品について語った際、見知らぬ老紳士から「ヤナーチェクの著作を読んだことがあるか?」と尋ねられたことをきっかけにしてライヒは、レオシュ・ヤナーチェク(1854~1928)が似たようなアイデアで先駆的に作曲していたことを知るのだった。

「発話旋律(Speech Melody)」でヤナーチェクが表現したもの

 ヤナーチェクが人々の話し言葉を五線譜に書き取るようになったのは1897年からだという。オペラ『イェヌーファ』第1幕の作曲が1894~96年頃とされているので、実は「発話旋律」を意識しながら作曲された可能性があるのはこのオペラの第2幕以降なのである(作曲者自身が自筆の資料を破棄しているため、創作過程の詳細は分からないそうだ)。ただし第1幕も初稿と改訂稿を比べると、非常に興味深い違いがみられる。
 一例を挙げれば、第1幕第1場で主人公イェヌーファが祖母に対して歌う「おばあちゃん、怒らないでね! (Stařenko, nehněvejte se!)」という台詞にあてられた歌の旋律が、初稿と改訂稿とで大きく異なっている。初稿【譜例2】ではイェヌーファのパートはオーボエによる主旋律【譜例1】をなぞっているが、これはモーツァルトからプッチーニまで用いているオペラ作曲における常套手法だ。
 それに対し、1908年に変更が加えられた改訂稿【譜例3】では、イェヌーファのパートはオーボエをはじめとする管弦楽から独立して動く。具体的にいえば、アクセントの付いた音符は音の高さが上がり、台詞を繰り返す際にリズムを大きく変えているのだ。ヤナーチェク研究の権威ジョン・ティレルはこの違いを、祖母をなだめるためにイェヌーファが言い換えている表現なのだと考察し、こうした変化を“器楽的な旋律線”から“スピーチに基づく変則的な旋律線”へと近づいたもので、後期オペラでより顕著に表れる傾向だと説明している。
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 この“スピーチに基づく変則的な旋律線”は次第に、管弦楽の書法にも浸食していく。例えば、流刑地を舞台にした最後のオペラ『死の家より』(1927~28)第3幕第1場では(ここから初めて登場する)シシコフという囚人が身の上話をするのだが、歌も管弦楽も8分音符と4分音符を中心にしたシンプルなリズムで始まる。だが感情の高ぶりと共に歌のパートに連符が現れ、管弦楽とリズム的にコンフリクト(衝突)を起こしはじめる。ここまでなら先ほど紹介した『イェヌーファ』と大差ないが、こうした晩年の作品では拍子から逸脱したリズムが管弦楽にも波及することで、シシコフという人物が抱える悲しみと苦しみの表現が深められていくのだ。
 こうした手法こそ、ヤナーチェクが人々の話し言葉を五線譜に落とし込む研究の成果であり、「発話旋律」という技法の実例だ。ヤナーチェク自身がこの技法を「魂を覗き見るための窓」と説明していた事実とも呼応している。もう少し細かいことを言えば、この発言は英訳だと“my window through which I look into the soul.”(下線は引用者による)で、直訳すれば「私が魂を覗き見るための私の窓」となるように、ヤナーチェク自身の視点が強調されていることは忘れないようにしたい。ちなみにこのヤナーチェクの発言は、ライヒも好んで引用しているので、ライヒ作品にも当てはまるのだろう。

発話旋律への誤解

 しかし同時に疑問を感じた方もいるであろう。民謡の引用のように、ヤナーチェクは実際に楽譜に書き取った話し言葉の旋律を音楽に活用していないのだろうか? 音楽学者のズデニェク・スコーマルは、ティレルを含むこれまでのヤナーチェク研究を総括した上で「発話旋律は、ヤナーチェクにとって特定の状況に適した旋律を生み出す方法を学ぶ手段であったとはいえるが、(実際の作品上では)旋律やリズムの反復といった音楽的に考慮すべき事柄がどんな時も最も重要なのだ」と述べている。
 そもそもヤナーチェクが楽譜に書き取っていたのは人々の会話だけではなかった。鳥や動物の鳴き声といった自然の音も含めてreáln motivyと呼んでいたのだ。英訳すればreal motives――つまり現実に存在する本物に基づくモティーフ(動機)であり、作られた人工物である(ワーグナーに代表される)Leitmotiv(ドイツ語leitの意味は「導く」)との違いを意味する呼び名であったのだろう。そして「発話旋律(Speech Melody)」はその構成要素のひとつなのである。
 ヤナーチェクが現実の音を書き取って自作に取り入れたことを、これまで音楽史の上では、バルトークが同じ民謡の地域ごとに異なるヴァリアントを集めて参考にしていたことと関連づけることが多かったように思われる。それも決して間違いではないのだが、スコーマルはヤナーチェクがこのような取り組みをしたバック・グラウンドとして、文学や美術においてロマン主義の反動として生まれた写実主義(リアリズム)との関わりを指摘している(オペラ『死の家より』の原作者ドストエフスキーもリアリズムの作家だ!)。抽象的で人工的な西洋音楽の世界に、現実世界を持ち込もうとしたヤナーチェクの試みだったのである。

《グラゴル・ミサ》の改訂問題

 オペラではリアリズムを表現するための手法だった「発話旋律」だが、《グラゴル・ミサ》(1926~28)ではどうか。日常会話では使われない(古代)教会スラヴ語に基づく作品だが、より興味深いのはここでも第1稿との比較だ。管弦楽だけによる「序奏(Úvod)」は、演奏される機会の多い改訂稿では、全パートが4分の3拍子に当てはまるリズムで書かれているのだが、自筆譜に基づく第1稿では1小節を「3分割」(ホルンとトランペットとティンパニ)、「5分割」(前記以外の管楽器とハープ)、「7分割」(弦)するモティーフが混在して、リズムのコンフリクトを起こしている。改訂稿でリズムが単純化されているのは、『イェヌーファ』の改訂とは逆の現象が起きているが、これは一説によればヤナーチェクが初演の際、楽器が揃わずリハーサル時間も足りなかったため意に沿わぬ改訂をさせられた結果なのだという。その説を支持する音楽学者のポール・ウィングフィールドによって1993年に第1稿が出版された。
 しかしヤナーチェク研究の泰斗ティレルは、ウィングフィールド校訂の第1稿に問題があることを指摘。意に沿わぬ改訂という証言をしているのが1名しかいないこと等を理由にして、必ずしも第1稿がヤナーチェクの最終的な意向とは断言できないと反論している。このように専門家の間でも意見は分かれている。あなたはどちらを支持するだろうか?

小室敬幸(作曲・音楽学)