東京都交響楽団

スコアの深読み

第16回

ニールセンとランゴー ~20世紀前半のデンマークの交響曲

 デンマークのカール・ニールセン(1865~1931)とフィンランドのジャン・シベリウス(1865~1957)。実際の演奏機会としては前者の方が少ないにもかかわらず、2人は同い年かつ北欧を代表するシンフォニスト(交響曲作家)として、名前を並べられることが多い。
 しかしながら評価されるまでの経緯は、両者で大きく異なっていた。長命だったシベリウスの国際的な評価は、存命中の1930年代から始まる。大きな役割を果たしたのは、1930年と32年にフィンランドの指揮者ロベルト・カヤヌス(1856~1933)がロンドン・フィルやロンドン交響楽団を指揮した管弦楽曲の録音と、スコットランドの作曲家で音楽評論家のセシル・グレイ(1895~1951)による評伝『シベリウス』(1931)だったとされている。こうして北欧の外では英語圏から評価が高まり、演奏機会が増えていったのだ。

ニールセンの何が、どう評価されたのか?

 ニールセンで同等の事象が起こるのは1950年代である。1950年8月23日にエディンバラ国際フェスティヴァルのなかで、エリク・トゥクセン(1902~57)指揮のデンマーク国立交響楽団がニールセンの交響曲第5番をイギリス初演し、会場およびBBCのラジオ放送を聴いていた聴衆に衝撃を与え、イギリスの作曲家で音楽学者のロバート・シンプソン(1921~97)による評伝『カール・ニールセン:シンフォニスト』(1952年初版/79年改訂版)がこの作曲家を理解する素地を形作った。
 シンプソンによる評伝が広めたのは、ニールセンの独自性を特徴付ける「発展的調性(progressive tonality)」や「出現的調性(emergent tonality)」と呼ばれる概念だ。日本語では「発展的調性(progressive tonality)」という表現が用いられる場合が多いのだが、これはもともとシェーンベルク研究者であるディカ・ニューリン(1923~2006)の著書『Bruckner, Mahler, Schoenberg』(1947)で使われたものであるという。シンプソンはそれを踏まえた上で、「発展的(progressive)」というよりも「流動的(fluid)」「可動的(mobile)」の方がベターであり、おそらくベストな表現といえるのが「出現的(emergent)」であると提案している。

ニールセンの「出現的調性」

 具体例を挙げよう。マーラーの交響曲第2番《復活》では第1楽章がハ短調であるのに対し、第5楽章はヘ短調で始まって変ホ長調で終わる。これを(前へ進んでいくという意味合いが強いprogressive を用いて)「発展的調性(progressive tonality)」と捉えることは、転調のプロセスをひとつの連続する流れであると強調する狙いがある。それは、古典派を基準にすると常識外れに見えるマーラーの交響曲における冒頭と終わりの調性配置を、第2番《復活》(冒頭はハ短調→終わりは変ホ長調)と《大地の歌》(イ短調→ハ長調)では平行調(調号が同じ調)へ進むと捉え、第5番(嬰ハ短調→ニ長調)と第7番(ロ短調→ハ長調)では導音から主音へ進む……といったように、最初と最後の調の関係をなんとかして説明しようとしがちなこととも繋がっている。
 それに対し、emergentは「(隠れていたものが)突然現れる」というニュアンスである。「出現的調性(emergent tonality)」とシンプソンがみなしたニールセンの交響曲(特に第4~6番)においては、主調らしきものはなく連続性も重視されていないのだ。
 今回、注目したいのはニールセンがそのような作品を生み出した経緯ではなく、イギリス人のシンプソンがニールセンを評価したのは何故だったのかという点である。
 フロリアン・シャック(Florian Schuck)による論文『イギリス音楽における伝統主義思想:ロバート・シンプソンによるニールセンとシベリウスの振興活動(Traditionalist Thought in British Music: Robert Simpsonʼs Promotion of Nielsen and Sibelius)』によれば、シンプソンは、イギリス人の音楽評論家ドナルド・フランシス・トーヴィー(1875~1940)の「バッハからブラームスに至るドイツ音楽を古典とみなす」姿勢や、「モダニズムもフォークロア(民族音楽)も良しとしない」音楽観に影響を受けており、さらには20世紀に入ってもロマン派的な作風を続ける作曲家を保守的とみなして好まなかったからだ、という。
 こうしてドイツにもイギリスにも自分のモデルとすべき20世紀の作曲家を見つけられなかったシンプソンは、交響曲第1番ではブラームスから影響を受けつつ、後の作品では後期ロマン派とモダニズム(≒この場合はシェーンベルク以降の系譜を指す)のどちらの轍も踏まずに独自の作風を確立していったニールセンに目をつけたのだった。

ロマン主義者ながらアウトサイダーとみなされたランゴー

 こうしてニールセンは、音楽史の上でシベリウスと同格の存在として扱われるようになっていくのだが、同じデンマークでもニールセンより28歳年下となるルーズ・ランゴー(1893~1952)は、生涯に16の交響曲を手掛けたシンフォニストであるのだが、現在に至るまで限定的な評価に留まっている。
 ランゴー研究の第一人者で、公式な校訂版の編集も担当しているベント・ヴィーンホルト・ニールセン(Bendt Viinholt Nielsen/1953~)によれば、ランゴーの作風は4つの時期に分けられるという。第1期(~1916年)はリストやR. シュトラウスの影響下にあったが、第2期(1916~24)になるとニールセンから影響を受けるようになる。だがこの時期の始まりを告げる作品のひとつ、交響曲第4番《落葉》(1916/20)を聴けば分かるように、基調となるサウンドは後期ロマン派のままだ。それでも冒頭から9分ぐらいの箇所(276~290小節)では明らかにロマン派から逸脱した反復フレーズが現れたりもするが、そうした先進的なサウンドは、後にジェルジ・リゲティ(1923~2006)が管弦楽によるトーン・クラスターの先駆であると驚いた《天体の音楽》(1916~18)へと結実する。今日でもランゴーの先進性を評価する際の筆頭として挙がる作品だ。
 ところが第3期(1925~45)になるとランゴーは、シューマンの影響下にあるデンマークを代表するロマン派の作曲家ニルス・ゲーゼ(1817~90)や、ワーグナーを模範とするロマン派の様式へと立ち戻ってゆく。B. V. ニールセンによれば「意識的に“匿名的” なスタイルを採用」していたという。ニールセンが1931年に亡くなった後も、デンマークでは引き続き「反ロマン主義」が主流となっていくのだが、ランゴーは反対にかつて影響を受けたニールセンへの批判を強めていく。簡単にいえば、自分のロマン派的な音楽が評価されないのは、ニールセン(特に交響曲第4番《不滅》)のせいだと考え、憎しみを強めていったのだ。
 第4期(1945~52)でもロマン派的な作風が基調となっているのだが、作品の内部には絶望や不条理がこめられることが増えていく。その最たるものが、1948年に作曲された《カール・ニールセン、我らの偉大な作曲家》である。タイトルは皮肉屋ランゴーの嫌味で、楽譜にはわずか32小節の讃歌を「永遠に繰り返す」よう指示されている。ランゴーがどれほどニールセンの存在を疎ましく思っていたか、そしてランゴーがいかに面倒な人柄だったかということが伝わってくる作品だ。

ランゴーの再評価

 不遇のままランゴーは1952年に亡くなってしまうが、再評価は1960年代末にやってくる。スウェーデンの音楽学者で、ステンハンマルの研究者であるボー・ウォルナー(Bo Wallner/1923~2004)が1968年に発表した、1920~60年代の北欧の音楽を紹介する書籍や、前述した《天体の音楽》を再発見した論考がきっかけとなった(マーラーやブルックナーといった後期ロマン派の交響曲に注目が集まっていた時流も追い風となったようだ)。
 この時にウォルナーはランゴーを「恍惚のアウトサイダー(Ecstatic Outsider)」と評した。恍惚という表現はもちろん後期ロマン派と紐づくものだが、問題はランゴーをアウトサイダーに位置づけることで、暗黙のうちにニールセンをメイン・ストリームとする価値観を強化しているという点にあるだろう。B. V.ニールセンも「デンマーク音楽史における問題児」と位置づけているので、ランゴーの音楽史における立ち位置は変わらぬままだ。しかしながらランゴーの音楽が通常の意味で「変わっている」のは第2期だけで、それ以外の時期は時代の潮流とランゴーのロマン派志向が一致しなかっただけであることを、忘れてはならない。
 実際、『20世紀のシンフォニー』(平凡社、2013年)という700頁ほどの大著で世界各国のシンフォニストを総ざらいした大崎滋生氏は「作曲活動におけるシンフォニー創作の絶対量、そしてなかんずく作品全体の質の高さと独創性、という点で、ランゴーは20世紀前半の最大のシンフォニストのひとりといってよい」と極めて肯定的な評価をくだしている。

 2022年10月16日、1998~2007年にデンマーク国立交響楽団と共にランゴーの交響曲全集(第1~16番)を録音したトーマス・ダウスゴーが都響に客演。ランゴーの代表作の交響曲第4番《落葉》をとり上げるのだが、同じ交響曲第4番であり、同じ年に完成し、それでいてランゴーが憎んだニールセンの《不滅》がメイン・プログラムとなっているのが実に興味深い。ゲーゼを通して間接的にランゴーへ影響を与えているシューマン(チェロ協奏曲が演奏される)も含めて、ランゴーという作曲家への理解を深めることができるまたとない機会となりそうだ。

小室敬幸(作曲・音楽学)
CD
【CD】
ランゴー/交響曲全集(第1~16番)

トーマス・ダウスゴー指揮 デンマーク国立交響楽団 他
〈録音:1998~2007年〉
[Dacapo /6200001(7CD)]CD&SACDハイブリッド
*多作家のランゴーは400曲以上の作品を遺した。交響曲は16曲で、第7番以外はすべて標題をもつ。この7枚組BOXは、交響曲全曲とともに、《ドラーパ~エドヴァルド・グリーグの死に寄せて》、交響詩《スフィンクス》など5曲を収め、ランゴーのオーケストラ作品の魅力を俯瞰できる。