東京都交響楽団

スコアの深読み

第17回

ブルックナー 改訂の真相 ~有機的統一とドラマトゥルギーの狭間で

ブルックナーの改訂癖は交響曲第5番以降に現れる

 アントン・ブルックナー(1824~96)による交響曲創作を概観してみると、第5番がターニング・ポイントとなっていることに気づかされる。それは第1~9番の折り返し地点だからというわけではない(第1番の前後に作曲された、いわゆる第00番ヘ短調と第0番ニ短調も残されているので、ブルックナーの交響曲は全部で11曲なのである)。ブルックナーを考える上で第5番(作曲:1875年2月~76年5月/1877年5月~78年1月)が重要な意味を持つ理由は、この作品の完成後に「改訂癖」が現れるからだ。
 この作曲家が繰り返し自作を改訂したことは知られているが、それがどのようなものであったのか、一例として第4番《ロマンティック》のケースを挙げてみると……

・1874年1~11月:第1稿(1874年稿)
・1878年1~12月:第2稿(第4楽章に「民衆の祭り(Volksfest)」と付題)
・1879年11月~1880年6月:第4楽章の第3稿
 (「第1~3楽章第2稿+第4楽章第3稿」が「1878/80年稿」となる)
・1887~88年2月:第1~3楽章の第3稿+第4楽章の第4稿(1888年稿)

 このような改訂歴を経ている。ややこしいことに第4楽章だけは4種類残されているが、(第三者による改訂を除くと)現在、第4番《ロマンティック》は「1874年稿」「1878/80年稿」「1888年稿」という3つのヴァージョンがあると説明される(1878年の改訂における第4楽章「民衆の祭り」はその3つのヴァージョンには含まれておらず、新全集では「補遺」として個別に出版されている)。このうち「1888年稿」はブルックナー本人の意向に沿わない改訂だったという見解が長らく通用してきたため、主に「1878/80年稿」が演奏されてきた。
 一部の交響曲を除いて、ブルックナーはこのような改訂作業を、2つの時期―第5~6番の間、第8~9番の間―に、集中的に行った。その始まりとなったのは、指揮者ヨハン・ヘルベック(1831~77)の説得による第2番の改訂(1873年10月の初演時)だったというが、その後に自ら進んで他の交響曲にも手を加えていったのは何故なのだろうか? 今回は第5番―より正確には第5~6番の間―をターニング・ポイントとみなして、その理由を探ってみよう。

第4楽章に第1楽章の素材が回帰する

 そもそも今日からみて我々が「ブルックナーらしい」と感じるスタイルは、第1稿が1872年に完成した交響曲第2番ハ短調からだとされる。分かりやすい例を挙げれば、第1楽章第1主題が弦楽器のトレモロを背景に提示されるというお馴染みの手法(いわゆる「ブルックナー開始」)も第2番が最初なのだ(前作にあたる第0番ニ短調では第1主題自体がトレモロで奏されるという前段階はあったにせよ)。
 今回、特に注目したいのは、第4楽章において第1楽章の素材を再度用いる手法についてだ。これも第2番が初めてのことで、第1楽章の20~21小節に初登場するトランペットのファンファーレが、第4楽章(初出は190小節~)でも重要な要素として要所要所に現れる。
 では第3番ニ短調ではどうだろう。今日、演奏機会の多い第3稿「1889年稿」では、第4楽章451小節からの長調に転じるコーダにおいて、第1楽章第1主題が明るく鳴り響く。だが実は、それに加え第1稿「1873年稿」では(再現部後半に当たる)641小節から、第2稿「1877年稿」では(短縮されているので)519小節から第1楽章第1主題が聴こえてくるのだ。これが単なる回想や引用以上の意味を持っているのは、【譜例1】のように第4楽章第1主題と併置されているので、両者が同じリズムになっていることが意図的な統一であると明らかにしてくれるからだ。


【譜例1】交響曲第3番「第1稿/1873年稿」 第4楽章 641~647小節
譜例
 続く第4番変ホ長調《ロマンティック》は「1878/80年稿」と「1888年稿」の第4楽章では79小節から、そして全曲が終わる9小節前からの2度、第1楽章第1主題がはっきりと聴こえてくる。だが、やはり改訂前は異なっており、「1874年稿」では早くも第4楽章11小節から第1楽章第1主題が登場するだけでなく、【譜例2】のように反復と切迫を繰り返した結果として、29小節から第4楽章第1主題が姿を現すというプロセスを踏むのだ。
 分かりやすく言い換えれば、初稿たる「1874年稿」では第1楽章と第4楽章の主題を有機的に関連づけようとしているのに対し、改訂後である「1878/80年稿」と「1888年稿」では第1楽章と第4楽章の主題は個別のものであるように受け取れるのである。

【譜例2】交響曲第4番《ロマンティック》「第1稿/1874年稿」 第4楽章 15~31小節
譜例
 この有機的に素材を結びつけるコンセプトをさらに推し進めたのが第5番変ロ長調(1876年に一旦完成したが、これは現存しておらず、1878年に改訂された稿が実質的な初稿として扱われている)といえる。【譜例3】【譜例4】のように、まず最初に作曲された第2楽章アダージョの伴奏音形が、第3楽章においてテンポが速くなってスケルツォになったり。あるいは第2楽章5小節に現れるオーボエの旋律は、第1楽章31小節から登場して対位法的に扱われながら変容して素材のヴァリアント(変奏形)を生み出し、その後にアレグロで提示される第1主題へと繋げられたり……。

【譜例3】交響曲第5番 第2楽章冒頭                        【譜例4】交響曲第5番 第3楽章冒頭
譜例
 第5番においてはこうした有機的な関連づけが楽章間を越えて行われていくのだが、同時に興味深いのは第4楽章462小節(再現部の第3主題あたり)から改めて第1楽章第1主題がはっきりと再登場【譜例5】し、執拗に繰り返されていくことだ。この交響曲は複数の旋律を絡ませる対位法の技術を徹底的に追求しているため、その一環として冒頭楽章の主題も投入されたと考えられるが、複数の主題が有機的に結びつけられていてもなお、過去の主題が絡んでくることによるインパクトは非常に大きい。

【譜例5】交響曲第5番 第4楽章 460~466小節
譜例
 そして、この第5番の完成(1876年5月)後に、ブルックナーは前述した第2番「1877年稿」から始まり、第3番「1877年稿」、第5番「1878年稿」、第4番「1878/80年稿」と改訂を重ねていくことも合わせて考えてみると、ひとつの仮説が浮かび上がってくる。
 第4番「1878/80年稿」あたりで、複数の楽章で主題を共有する際に、その関連性をプロセスとして聴かせることを重要視しなくなったのではないだろうか?
 これまた簡単に言い換えてみると、複数の主題が「有機的に統一」されていることを聴覚的に理解してもらうことよりも、第4楽章で第1楽章の主題が回帰することによって聴衆に興奮をもたらす「ドラマトゥルギー」を重視するようになったように思われるのだ。シェーンベルクがモーツァルトやブラームスに通じる手法として用いた「発展的変奏」から、ワーグナーから影響を受けたフランクやチャイコフスキーが用いた「循環主題」へと、重心が移ったという見方もできる。

ドラマトゥルギーの絶大なインパクト

 第6番イ長調(1881年完成/改訂なし)は、改訂で作品を短く凝縮する作業を経た後に書かれているため、巨大な第5番に比べてかなり短くなっている(インバル指揮による都響の録音で比べると、拍手込みとはいえ第5番が72分台なのに対し、第6番は54分台だ)。【譜例6】【譜例7】をご覧いただこう。例えばハンス=ヨアヒム・ヒンリヒセン(1952~)が指摘しているように、第1楽章第1主題に含まれる3連符が、49小節からの第2主題の伴奏音形に繋がっているとみることもできる(第4楽章第1主題と第2主題の関係にも適用できるかもしれない)。
 けれども、第3番・第4番の初稿や第5番のようには聴覚上で「有機的統一」を聴き取ることは難しい。そして第6番第4楽章では、再現部の終わりに当たる349小節から第1楽章冒頭のリズムが回帰し、407小節(全曲の終わりからわずか9小節前!)のアウフタクトから第1主題が回帰する。他の交響曲に比べると突発的な印象を受けなくもないが、「ドラマトゥルギー」上のインパクトは絶大だ。

【譜例6】交響曲第6番 第1楽章 3~6小節                        【譜例7】交響曲第6番 第1楽章 49~50小節
譜例
 第7番ホ長調(1883年完成/改訂なし)は、比較的知られている通り【譜例8】【譜例9】のように、第4楽章第1主題は第1楽章第1主題の変奏形である。第4楽章331小節(やはり全曲終わりから9小節前!)から第1楽章第1主題が明快に再現されることで「ドラマ」を生み出すが、反対にこれ以外の「統一感」は希薄である。そのため、初演から好評を博した親しみやすい作品であるにもかかわらず、今日では第5番、第8番、第9番に比べて評価が高くないのだろう。

【譜例8】交響曲第7番 第1楽章 3~6小節
譜例

【譜例9】交響曲第7番 第4楽章 冒頭
譜例
 このまま第8番ハ短調(初稿1887年/改訂稿1890年)と、未完に終わった第9番ニ短調(1896年/1894年に第3楽章まで完成)についても検討したいところだが、第8番は完成後に大きな改訂が施されたという点からも第6番・第7番とは違うし、さらには第2番第1稿(1872年)以来となる「第2楽章スケルツォ+第3楽章 緩徐楽章」という構成も、それまでとは異なる。ここから新たなスタイルの模索が始まっているのだと考えると、また別稿を設ける必要がありそうだ。

小室敬幸(作曲・音楽学)