【リゲティの秘密-生誕100年記念-】
独創的な音響とあらゆる技法を超越した破格のスタイルで圧倒的な影響を残した、20世紀最大の作曲家の一人ジェルジ・リゲティの生誕100年を記念するスペシャルプログラムです。 なんと言っても、コパチンスカヤが独奏を務めるヴァイオリン協奏曲と、独唱(!?)を務める《マカーブルの秘密》が聴きもの(見もの)。2019年1月のシェーンベルクVn協奏曲以来となる大野都響との共演は、さらにパワーアップした彼女の超絶技巧とパフォーマンスが炸裂することでしょう。ユーモアと毒もちりばめられたリゲティの音楽に、耳も目もくぎ付けです。
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顰蹙と厳粛の曖昧な境界:リゲティとコパチンスカヤ
文/伊東信宏(大阪大学教授・音楽学)
©ERIC MELZER 顰蹙と厳粛の曖昧な境界:リゲティとコパチンスカヤ
ジェルジ・リゲティ(1923-2006)が完成した唯一のオペラ『ル・グラン・マカーブル』は色々と差し障りのある話である。主人公ネクロツァール(ネクロ=死体とツァール=皇帝の不器用な造語)は「ル・グラン・マカーブル(大いなる死者)」と名乗り、世界の終末を予告して大騒ぎするが、結局終末は来たのか来ていないのか、曖昧なままに消えてしまう。狂言回し的なピートは終始酔っ払っているし、その横でアマンドとアマンダの女性同士のカップルはオペラの間中、墓穴の中で愛を貪り合う。第二場の主役となる夫婦はSMカップルであり、第三場に現れる王は完全に形だけの存在で、実際には白大臣と黒大臣によって牛耳られている。そんな差し障りだらけの登場人物たちの中でもひときわ印象的なのがゲポポ長官だ。彼は秘密政治警察(ゲハイメポリティッシェポリツァイの略でゲポポ)で、これはもちろんナチスの時代の秘密国家警察(ゲシュタポ)のパロディである。ただ、リゲティ自身が家族のほとんどを収容所で亡くしているホロコースト・サバイバーの一人だったことを思えば、これは単なるパロディでは済ませられない背筋も凍るようなおふざけなのだ。
ゲポポ長官は「暗号」だの「陰謀」だの「機密事項」だの、不吉な言葉をつっかえながら撒き散らし、「あれ」(終末?原爆?)が来た、という情報だけをもたらす。初演の時には、鳥の格好をして、ローラースケートを履いて舞台を走り回ったらしい。ナンセンスとしか言えないが、歌の技術としては非常に高度なものが要求され、実際に舞台で演じられると、見事なソプラノの見せ場にもなっている。リゲティ自身もこの部分の出来には満足していたのだろう。これを「マカーブルの秘密」という作品として独立させた。
©Barbara Klemm 隅から隅まで「顰蹙」を敷き詰めると、それはどこか厳粛さを帯びてくる。リゲティの音楽はまさしくそれで、毒々しいアイロニーに満ちているのに、時折天上的な美しさを湛えることになる。リゲティ後期の紛れもない傑作、ヴァイオリン協奏曲は、独奏者とオーケストラを徹底的に追い詰め、管弦楽が軋み、悲鳴をあげるような難曲だが、第2楽章冒頭に現れて作品を最後まで支配する旋律には、意外にもある種の素朴さが漂う。この旋律は作曲家の最初期から、彼の頭に染み付いて離れなかったもので(彼の20代の作品にはもうこの旋律が現れる)、ルーマニアの民謡のようでもあり、どこか異世界の鼻歌のようでもある。
モルドヴァ出身のヴァイオリニスト、パトリツィア・コパチンスカヤは、一夜の演奏会で「マカーブルの秘密」を歌い、ヴァイオリン協奏曲を弾くことのできる世界で唯一の人物である。読み飛ばされた方にはわかってもらえないかもしれないから、もう一度書くが、コパチンスカヤが「マカーブルの秘密」を歌うのだ。彼女の『月に憑かれたピエロ』の録音を聴かれた方はご存知かと思うが、彼女はあの種の禍々しい音楽の演唱については、今や世界でトップクラスの表現力を持つ歌手でもある。もしリゲティが生きていたら、彼女の歌と演奏には目を丸くしただろう。
コパチンスカヤはリゲティと同じようにヨーロッパの東の果てから現れ、ヨーロッパの中心を異化し続けながら、その最前衛をリードしている。彼女はある時期、いつもリゲティのヴァイオリン協奏曲に現れる旋律を口ずさんでいて、「この不思議な旋律はどこから来たのかしら」と呟いていた。でもおそらく彼女も知っているはずである。それはトランシルヴァニアかモルドヴァあたりのどこか、リゲティやコパチンスカヤだけが行き来することが許されている超越的な場所から我々の元に届けられたのだ。この時代に生きていて、コパチンスカヤがリゲティを歌い、同時に弾くという驚天動地の演奏会を聴き逃すわけにはいかない。