東京都交響楽団

スコアの深読み

第25回

楽器の置き換え

 今回のテーマは、作曲時に想定された楽器以外での演奏についてである。都響では9月18日のプロムナードコンサートにおいて、ヴィオラ奏者のタベア・ツィンマーマンがモーツァルトのクラリネット協奏曲(ヴィオラ版)を演奏することになっているのだ。
 クラリネットのパートをヴィオラで演奏するケースといえば、ブラームスが置き換えを公認した2つのクラリネット・ソナタ op.120(1894)が有名だし、そこから派生してクラリネット五重奏曲 ロ短調 op.115(1891)も同様に置き換えられて演奏されることがある。これらの例に比べれば、モーツァルトの晩年に書かれたクラリネットを主軸においた作品が、ヴィオラで演奏されることは珍しいように思われるかもしれないが、前例がないわけではない。
 さて、こうした「楽器の置き換え」に対して必ずと言っていいほど議論にあがるのが、作曲者自身が認めていないことをやるべきではないという意見だ。これから歴史を振り返り、その是非を検討してみよう。なお、管弦楽をピアノ独奏にトランスクリプションするような楽器編成全体に大きく変更が加えられるケースは対象外とする。

モーツァルトのオーボエ/フルート協奏曲

 まずこのテーマで取り上げるべきは、モーツァルトのフルート協奏曲第2番 ニ長調とオーボエ協奏曲 ハ長調(ケッヘル番号はともにK.314〔285d〕)だろう。独奏パートこそ細部が異なっているが、全体としては2つの楽曲に大きな違いはない。そもそも20世紀初頭まで、この作品はフルート協奏曲として認識されていたが、1920年頃から徐々にオーボエ版の楽譜の存在が知られるようになり、1947年に音楽学者アルフレート・アインシュタイン(1880~1952)が改訂したケッヘル目録第3版へ加えられた。アインシュタインによる「オーボエ協奏曲がフルート協奏曲第2番の原曲」という推論が今日でも追認されることが多いのだが、現在まで確たる証拠が見つかっているわけではない。
 例えばリコーダーおよびフルート奏者で指揮者のフランス・ブリュッヘン(1934~2014)は、もともとフルート協奏曲として書かれたものを編曲したのがオーボエ協奏曲で、それを再度編曲したのがフルート協奏曲第2番である、という説を主張していた。更には、それぞれの版に対する評価も様々で、オーボエ奏者ロバート・ブルーム(1908~94/アルトゥーロ・トスカニーニが率いたNBC交響楽団で首席奏者を務めた)は、フルート協奏曲に改訂された際に作品自体が改善されているため、オーボエ奏者もその改訂を取り入れるべきだと主張した。結局のところ、確定的なことは言えず、個々人の音楽観に基づいて判断するしかない。

楽譜販売の都合

 とはいえ、個々が現代の価値観に沿って判断を下す前に考慮しなければいけないこともある。楽譜の販売がビジネスになって以降(特に、録音産業によって売上が大きく抜かれていく以前)の時代は、なるべく異なる楽器でも演奏可能であることが売上増に繋がったのだ。例えば、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 op.27-2《幻想曲風ソナタ》(1801)―いわゆる「月光ソナタ」の初版譜(1802)の表紙をみてみると、「クラヴィチェンバロもしくはピアノフォルテのための幻想曲風ソナタ」と印刷されている。だが、第1楽章の冒頭には当時のピアノフォルテを前提とした演奏指示が書かれていることからも、ベートーヴェン自身はチェンバロでの演奏を想定していないことは明らかなのだ。「クラヴィチェンバロもしくはピアノフォルテのための」と表紙に書かれた理由は、楽譜の販売部数を伸ばすため以外には考えづらい。
 類似例としてシューマンのオーボエとピアノのための《3つのロマンス》op.94(1849)なども挙げられる。ジムロック社から出版された初版譜(1851)の表紙には「ヴァイオリンまたはクラリネット」でも演奏可能と印刷されているが、このことにシューマン自身は「もしヴァイオリンかクラリネットのために書いていたら、全く別の作品になっていたでしょう」と語り、出版社の意向に否定的だった。しかしこちらは現在、ヴァイオリンやクラリネットに加え、チェロやフルートでも演奏されるレパートリーになっている。
 このように作曲者本人の意思とは関係なく、様々な楽器で演奏される作品としては他にフランクのピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調(1886)も挙げられるだろう(ただしチェロ版だけは作曲者公認で、第三者が編曲している)。

【図】 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番《月光》の表紙
(初版譜/ウィーン、カッピ社、1802年)
 上部に「SONATA quasi una FANTASIA per il Clavicembalo o Piano Forte(クラヴィチェンバロもしくはピアノフォルテのための幻想曲風ソナタ)」と記されている。中央に大書されているのは、献呈された伯爵令嬢ジュリエッタ・グイッチャルディ(1784~1856)の名前。
図

ブラームスのクラリネット/ヴィオラ・ソナタ

 それに対し、類似しているようで内情が異なるのが先述したブラームスによる2つのクラリネット・ソナタだ。初版譜には「クラリネット(またはヴィオラ)とピアノフォルテのための2つのソナタ」と印刷されているが、シューマンのケースと異なり、ヴィオラのためのパート譜はブラームスの意向で作られ、彼自身の手によって編曲されている。クラリネットとヴィオラは得意とする音域が似ているのだが、興味深いことにブラームスは第1番第1楽章冒頭の第1主題をヴィオラでは1オクターヴ下げている。この時点で、単なる「楽器の置き換え」ではなくどうやって曲を編み直すか、作曲者自身が真剣に向き合っていることは明らかだ。
 ところで、一説によればブラームスは親友のヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831~1907)宛の手紙で自らのヴィオラ版への不満を漏らしており、それが今度はヴァイオリンへの編曲に繋がったと思われる。ヴァイオリン版では第1番第1楽章の第1主題をクラリネットと同じ高さを保っているが、足りない中低音域についてはピアノ・パートにも手を加えて補うなど、ヴィオラ版よりも若干手の込んだ編曲をブラームス自身が行った。だが皆さまご存知のように、ヴィオラ版に比べるとヴァイオリン版は著しく演奏機会が少ない。

【譜例】 ブラームスのクラリネット・ソナタ第1番の第1楽章冒頭
(初版譜/ベルリン、ジムロック社、1895年)
 上からクラリネット版(in B表記のため実音は1音下)、ヴィオラ版、ヴァイオリン版。演奏者へのガイドとして、最初の4小節にはピアノ・パートの音が小さな音符で書かれている。ヴィオラ版はクラリネット版より1オクターヴ下で始まるが、ヴァイオリン版はクラリネット版と同じ音域に戻されている。
譜例1

プロコフィエフのフルート/ヴァイオリン・ソナタ

 同様に作曲者自身が編曲を行っているのが、プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ長調 op.94bis(1944)である。フルート・ソナタ ニ長調 op.94(1943)を原曲とする本作で興味深いのは、同時期に作曲が続けられていたヴァイオリン・ソナタ第1番 ヘ短調 op.80(1946/完成はフルート・ソナタおよびヴァイオリン・ソナタ第2番より遅れた)と作曲のアプローチが大きく異なっている点だ。第1番ではヴァイオリンとピアノのためにシリアスで抽象的な作品を書いたのに対し、プロコフィエフ自身がこれまでのフルートのためのレパートリーに不満をもっていたことから生まれたフルート・ソナタは、どの楽章も明瞭かつキャッチーな旋律にあふれている。
 フルート・ソナタの初演後、20世紀を代表する大ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフ(1908~74)に勧められたことで、プロコフィエフはピアノ・パートには手を加えず、ヴァイオリン版に編曲した。原曲の初演からおよそ半年後にヴァイオリン版も初演されている。ちなみにヴァイオリン・ソナタ第1番が初演されたのは、それから2年後のことだ。現在では原曲のフルート版より、そしてヴァイオリン・ソナタ第1番よりも、ヴァイオリン・ソナタ第2番の演奏機会が多い。

ハチャトゥリャンのヴァイオリン/フルート協奏曲

 プロコフィエフとは反対に、原曲のヴァイオリン・パートがフルートに置き換えられたのが、ハチャトゥリャンのフルート協奏曲だ。フルートの巨匠ジャン=ピエール・ランパル(1922~2000)がハチャトゥリャンにフルート協奏曲の作曲を依頼しようとしたところ、新作は書けないがヴァイオリン協奏曲(1940)をフルートで吹いてはどうかと、作曲者自身が提案したのだという。ただし独奏パートの編曲はハチャトゥリャンではなく、ランパルが行った。こちらは現在、フルート奏者のレパートリーとして認知されているといっていいだろう。

ベートーヴェンのヴァイオリン/ピアノ協奏曲

 さて、ここまで様々な時代の「楽器の置き換え」事例をみてきたが、演奏レパートリーとして定着するかどうかは、作曲者公認の編曲であるかはさして関係がないことがお分かりいただけたはず。言ってしまえば当たり前のことだが、作品自体がどれほどの傑作であっても、その楽曲を演奏することで自ら(と自分の楽器)の良さが出せなければ、演奏家は無理にレパートリーにはしないのである。
 そのために必要なものがもうひとつある。それは置き換えた楽器に見合った適切な解釈を見つけることだ。おそらくベートーヴェンのピアノ協奏曲 ニ長調 op. 61a(1807/ヴァイオリン協奏曲の作曲者自身による編曲)あたりは、ピアニストにとって扱いの難しい楽曲になっているように思われる。このピアノ版の良さが分からないという方は騙されたと思って、ロナルド・ブラウティハム(1954~)の録音を聴いてみてほしい。ピアノフォルテ(古楽器)の名手として知られるブラウティハムが、モダンのグランドピアノを駆使して、原曲のヴァイオリン的なアプローチに引っ張られすぎることなく、ピアノならではの新鮮な作品解釈を披露してくれる。
 レパートリーは作曲家や編曲家が一方的に供給するものではなく、演奏者の適切な解釈が合わさることで定着していくのだ。

小室敬幸(作曲・音楽学)

CD
【CD】
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op.58
(1808年改訂版)
ピアノ協奏曲 ニ長調 op.61a(作曲者自身によるヴァイオリン協奏曲の編曲)
ロナルド・ブラウティハム(ピアノ)
アンドルー・パロット指揮 ノールショピング交響楽団
〈録音:2007年11月〉
[BIS/BISSA1693](海外盤)SACDハイブリッド
*ピアノ協奏曲 ニ長調の独奏パートは両手のオクターヴ・ユニゾンが多い。作曲者が残したシンプルな編曲に対し、テヌートで弾いてヴァイオリンを模倣するのではなく、歯切れの良いタッチでリズムを強調、打鍵楽器としてのピアノの魅力をブラウティハムは引き出した。併録のピアノ協奏曲第4番にも注目を。ベートーヴェンは初演の際、譜面に書かれたよりもはるかに多くの音を弾いたとのことで、この改訂版はそれを復元したもの。独奏パートのあちこちに華やかな走句が加えられ、初演時は現在のイメージよりきらびやかな曲として鳴り響いた可能性がある。驚きと発見に満ちた1枚。