東京都交響楽団

スコアの深読み

第28回

ジョン・アダムズの魅力(前編)

最大の成功を収めた現役作曲家

 ジョン・アダムズ(1947~)は、存命中のクラシック音楽および現代音楽の作曲家のなかで最大の成功を収めた存在のひとりだろう。例えばオペラ『ニクソン・イン・チャイナ』(1985~87)から抜粋して編曲された、管弦楽のためのフォックストロット《主席は踊る》(1985)は出版社が公開している情報によれば2022年だけで29回演奏されており、パンデミック以前の2017年には42回も演奏されたという。(人気の映画音楽を除いて)管弦楽曲やオペラのような大規模作品がさまざまな国々でこんなにも再演を重ねている現役の作曲家は他にいないはずだ。
 2024年1月18・19日、都響に指揮者として客演するのだが、これが日本のオーケストラを指揮する初めての機会となる。そんな人気と評価を両立させた作曲家がどのように生まれ育ったのか、その作品の魅力はどこにあるのか? この連載で2回をかけて迫ってみたい。

学生時代

 1947年、アメリカのマサチューセッツ州生まれ。両親ともにアマチュア音楽家であり、7歳頃から父にクラリネットを習い始める。13歳になる1960年からボストン交響楽団のバスクラリネット奏者にレッスンを受けるようになり、1962年からはアマチュアオーケストラで演奏したり、指揮の経験も積んでいく。大学生以降はエーリヒ・ラインスドルフ時代のボストン交響楽団でエキストラとして何度もクラリネットを演奏。例えば1966年のシェーンベルクのオペラ『モーゼとアロン』アメリカ初演にも参加しているという。
 作曲については9歳頃からレッスンを受け始め、1962年には自身が参加していたアマチュアオーケストラで弦楽のために書いた楽曲を自ら指揮しているが、作品リストには載せられていない習作だ。ティーンエイジャーのアダムズは「アメリカのベートーヴェン」になりたいと妄想するようになっていき、1964年にはナディア・ブーランジェ門下だった2人の先生に和声や指揮などを師事。1965~71年にかけてハーヴァード大学・大学院で学んだ(ハーヴァード大学に音楽学部のイメージはあまりないかもしれないが、レナード・バーンスタインの出身校のひとつである)。
 在学中は新ロマン主義の先駆者として知られるデイヴィッド・デル・トレディチ(1937~)から対位法を学んだりしているが、学部の3年までは創作が停滞。当時は、アダムズにとって拷問のような存在だった12音技法を発展的に取り扱う「音列主義」と、バーンスタインの交響曲第3番《カディッシュ》やバーバーのヴァイオリン協奏曲のような「感情主義(emotionalism)」のあいだで板挟みになっていたと振り返っている。論理と感情、どちらか一方に振り切ることができなかったのだと言い換えることもできるだろう。
 学部4年から師事するようになったレオン・キルヒナー(1919~2009)は、理論を重視する厳しい指導を行っていたシェーンベルクの弟子でありながら、実際の創作においては無調的とはいえ方法論を重視しない作曲家で、アダムズがハーヴァード時代に最も刺激を受けた存在だった。彼のもとで卒業作品として、バルトークの《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》とメシアンの《クロノクロミー》から影響を受けた楽曲を制作。これも現在の作品リストには載っておらず聴くことはできないが、モデルにした2曲は非常に高い論理性を持ちながら無味乾燥ではないという共通点を持っており、アダムズ青年が目指していた方向性が透けて見える。

ミニマル・ミュージックとの出会い

 大学院を修了する1971年頃、作曲仲間が聴かせてくれたLPレコードでアダムズはテリー・ライリー(1935~)の《In C》(1964年初演/1968年録音)と出会う。こうした初期のミニマル・ミュージックについてアダムズは、ヒッピー世代に熱烈に支持されたアレン・ギンズバーグ(詩人/1926~97)やジャック・ケルアック(作家/1922~69)のようなアメリカ文学におけるビート・ジェネレーション(ビート文学)が、「庶民の話し言葉のなかに詩を見つけた」ことに喩え、音楽の基本的な要素である「規則的な律動」「調性的な和声」「動機の反復」を抹消せずに新しい音楽を生み出せていることに感銘を受けたようだ。
 加えて1974年に出会ったスティーヴ・ライヒ(1936~)の《ドラミング》(1970~71)に対しては、「ハプニング」的なパフォーマンス・アートと異なり、対位法を駆使して丁寧に作り込まれたことを賛辞。学生時代に追い求めた、論理と感情を両立する新たな道を見出したのだろう。自らも反復要素を取り入れた作品を試作し始める。実質的な“作品1”とアダムズが位置づけたピアノ曲《フリジアン・ゲート》と、そのショート・ヴァージョンといえる《チャイナ・ゲート》が完成したのは1977年のことで、アダムズは30歳を迎えていた。
 その翌年である1978年には弦楽七重奏曲《シェイカー・ループス》(今日では1983年に編曲された弦楽オーケストラ版の上演が多い)を完成させているが、この曲はその2年前から《ウェーヴメイカー》というタイトルで試作してきた音楽で、当初はシンセサイザーを録音したテープ音楽として作りはじめ、一旦は弦楽四重奏で書き上げられたが、クロノス・カルテットによる1978年8月の初演が失敗。年内に3つの楽器を加えて改訂し、《シェイカー・ループス》とタイトルも改められた。

ターニングポイントとなった《ハルモニーレーレ》

 ミニマル・ミュージック路線に足を踏み入れる前にも、いくつかアダムズは管弦楽曲を書いており、そのうちアンビエント・ミュージック風の《キリスト教徒の熱意と行動(Christian Zeal and Activity)》(1973)は現在も作品リストに残されており、ブライアン・イーノ(1948〜)のプロデュースで録音。1975年にリリースされている。アダムズ初のミニマル的な管弦楽作品となったのは《Common Tones in Simple Time》(1979)だが、彼らしい豊饒なオーケストラ・サウンドが爆発するのは、合唱がジョン・ダン(詩人/1572~1631)とエミリー・ディキンソン(詩人/1830~86)の詩を歌う《ハルモニウム》(1980)からだ。
 その次に書かれた編成の大きな作品が、ピアノ2台と管打楽器アンサンブルと女声のための《グランド・ピアノラ・ミュージック》(1982)なのだが、この曲の第2部「On The Dominant Divide」は初期ミニマリストたちも避けがちだったドミナント・モーション(和音VからIに解決する和声の基本となる進行/例えばピアノで「起立→礼→着席」を弾いた際の「礼→着席」の部分)を反語(アイロニー)的に取り入れたことなどが原因で、初演時に大ブーイングをくらってしまう。他にもいくつかの要因が重なったようで、アダムズは自分の進み始めた道に自信がもてなくなっていく……。
 1年半も続いたというこの困難な時期を乗り越えるターニングポイントとなったのが、1985年3月21日に初演された40分ほどの大作《ハルモニーレーレ》であった。作曲者自身が「調性の将来が不安だった時期に、調性の力を信じることを表明した」と語っている通り、アダムズが自らの信念を表明したマニフェスト(声明文)のような作品で、いわばベートーヴェンにとっての《英雄》交響曲に相当するといえるだろう。
 ちなみに《ハルモニーレーレ》という題名はシェーンベルクの理論書からとられたもの。アダムズは自身にとって大師匠(先生の先生)にあたるウィーン出身の巨匠に対して畏敬の念を抱きつつも、彼が広めた音列的な作曲技法にはまるで興味がもてなかった。シェーンベルクは夢のなかにまで出てきてうなされるほどだったというが、《ハルモニーレーレ》においてマーラーの交響曲第10番、シベリウスの交響曲第4番、そしてシェーンベルクの初期作、さらにはワーグナーを反面教師的に学んだドビュッシー作品のサウンドを、ポストモダンの精神でトリビュートすることによって――こちらはアイロニー無しで直接的に!――、悪夢から逃れることができたのだった。

代表作となった『ニクソン・イン・チャイナ』

 少し時代は戻って1983年の8月。アダムズは自分よりも10歳年下で、大学の後輩にあたる演出家ピーター・セラーズ(1957~/同名のイギリス人喜劇俳優とは別人)と音楽祭で出会った。25歳のセラーズは当時既に、モーツァルトやヘンデルの斬新な演出(ファストフード的と評されていた!)で風雲児となっており、アダムズ作品も何曲か聴いていたので早々にオペラの共同制作を提案してきたという。その内容が1972年2月にニクソン大統領が中華人民共和国を訪問した史実をオペラ化するというもので、提案段階で『ニクソン・イン・チャイナ』というタイトルも決まっていた。
 ところが前述したようにこの頃のアダムズは創作上の危機のさなか。独唱曲さえ書いたことのない自分にオペラを持ちかけたセラーズから、からかわれているんじゃないかと疑っていた。だがセラーズが諦めずに説得を続けていくうちにアダムズは考えを変え、ハーヴァードの同窓生である詩人のアリス・グッドマン(1958~)を台本作家に推薦。1985年12月から本格的に制作を開始した。加えてミュージカル『レ・ミゼラブル』に投資して成功を収めていた実業家ロジャー・スティーヴンスから支持を得られたことで、資金面で困ることもなかった。1987年5月に演奏会形式で、同年10月に演出付きで初演されると、翌年6月にはヨーロッパでも舞台にかかるようになり、ガーシュウィンの『ポーギーとベス』(1935年初演)以来となる、全世界で称賛されたアメリカ・オペラと言われるほど『ニクソン・イン・チャイナ』は成功を収めた。こうしてアダムズの名声は確立されたのだった。

小室敬幸(作曲・音楽学)

CD
【ディスク】
ジョン・アダムズ・エディション

〔ハルモニーレーレ/ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン/シティ・ノワール/ロラパルーザ/シェエラザード2/ウンド・ドレッサー/もうひとりのマリアの福音書 他〕
ジョン・アダムズ、アラン・ギルバート、グスターボ・ドゥダメル、キリル・ペトレンコ、サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィル 他
〈録音:2016年9月〜2017年6月〉
[ベルリン・フィル・レコーディングス/KKC9271(4CD+2BD)]

*ベルリン・フィルが自主レーベルでリリースした『ジョン・アダムズ・エディション』は現時点での決定盤となる演奏ばかり。Vol.1では《ハルモニーレーレ》の自作自演に加え、アラン・ギルバートやドゥダメルの指揮でアダムズの代表作を堪能できる。6枚組のうち2枚はBlu-rayによる映像だが、残り4枚分の録音は配信もされている。