2/16定期B、2/17都響スペシャル 祈り、新たに―
インバルのカディッシュ

都響スペシャル「チック・コリアに捧ぐ」

2016年3月の定期で演奏し絶賛を博した、バーンスタイン《カディッシュ》を、マエストロ・インバル88歳の誕生日(2/16)にふたたび採り上げます。当時(2015年12月)のインタビュー記事を改めて掲載致します。

※当初2016年と同じサミュエル・ピサール版テキストを使用予定でしたが、そのテキストを唯一語ることが許されているピサール夫人と令嬢の来日が叶わなくなったため、バーンスタイン自身によるオリジナル版テキストを用い、2022年ラヴィニア音楽祭での同曲演奏(マリン・オルソップ指揮シカゴ交響楽団)にも出演した米国の俳優ジェイ・レディモアが語り手として出演します。



インバル スペシャルインタビュー [全4回]

 「カディッシュ」とは死者のための祈りです。亡き父のために、息子がカディッシュを捧げます。しかし、バーンスタインの≪カディッシュ≫は、政治、宗教、人種的背景ゆえの不正行為や、大虐殺の犠牲となったすべての無実の人々、子供たち、市民のための祈りです。私たちの不穏な世の中にはアウシュヴィッツ、広島、クメール・ルージュ、アルメニアやルワンダのジェノサイド、「イスラム国」(IS)…不幸にもそれらは限りなく続きます。そして、世界中が死者への追憶と敬意を表すカディッシュを語らなければなりません。ーー エリアフ・インバル

インタビュアー/石合 力 ISHIAI Tsutomu(朝日新聞国際報道部長、現編集委員)

 バーンスタインに才能を見いだされ、個人的な親交があった指揮者エリアフ・インバルにとって、この曲を振ることは特別な意味を持つ。聖地エルサレムで宗教的な家庭に育ち「カディッシュ」の祈りをそらんじていたインバルはその後、この曲の改訂に自らかかわることになる。そしてユダヤ教の祈禱にちなむこの曲から、より普遍的な人類と神との関係、世界の抱える矛盾と平和へのメッセージを読み取る。いま、なぜこの曲を演奏するのか……。
 中東での紛争地取材が長い国際ジャーナリスト、石合力氏が聞いた。

石合 力

 1964年生まれ。中東特派員として1998年から2001年、11年から13年までの2度、カイロに駐在。イスラエル・パレスチナ紛争、「アラブの春」、シリア内戦などを現地取材。紛争地取材のほか、音楽関係の取材、執筆も多く、01年にダニエル・バレンボイムがイスラエルでワーグナーを演奏した際に会場でインタビュー取材。イスラエル・フィルのシーズン開幕(11年)を飾った大野和士(現・都響音楽監督)を現地で取材した。ヨーロッパ総局長などを経て、21年から現職。著書にサントリーホールの音響設計や、イスラエル・フィル本拠地の音響改修にも関わった豊田泰久氏に密着取材した「響きをみがく 音響設計家豊田泰久の仕事」(朝日新聞出版)がある。

  • スペシャルインタビュー Vol.1
    バーンスタインとの出会い

    Photo by Paul de Hueck, Courtesy of the Leonard Bernstein Office

    ※2015年12月当時のインタビューです。

     交響曲「カディッシュ」を作曲したレナード・バーンスタイン(1918〜90)は指揮者、作曲家、ピアニストと多彩な顔を持つ。
     米マサチューセッツ州でユダヤ系移民の2世として生まれたバーンスタインは、ナチス・ドイツのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を経て第2次大戦後の1948年に建国された「ユダヤ人国家」イスラエルとの深い結びつきを続けた。名門ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任したのは1958年。その年にイスラエル・フィルを振りに来た40歳の若き巨匠は、イスラエル軍所属のオーケストラでヴァイオリンを弾きながら指揮者を目指していた青年インバルの才能に目を留めることになる。

    バーンスタインが私の人生に現れなければ、進む道がどうなっていたかわかりません

     バーンスタインは私の人生にとって極めて重要な存在でした。私は軍のオーケストラに所属していました。それが私の兵役だったのです。銃を撃つことはなく、軍オーケストラのコンサートマスターとしてヴァイオリンを弾いていたのです。

    当初はヴァイオリニストとして音楽のキャリアを積まれたのですね。

     そうなんです。ある日、電話がかかってきて明日、バーンスタインのためにイスラエル・フィルを振ってほしいというのです。私は軍オケの副指揮者もしていて、イスラエル・フィルの人たちは、若くて才能のある音楽家がいるということを耳にしていたんですね。それで突然、私に電話をかけてバーンスタインのために指揮に来るようにと言ったわけです。

    それはいつのことですか。

     1958年です。私はインフルエンザにかかっていて高熱だったんですが、振りに行きました。ベートーヴェンの「コリオラン序曲」を振ったのです。彼らが私に何を期待していたのかは分かりません。当時、ほかにも比較的、名前の通ったイスラエル人の指揮者がいましたが、22歳の私ほど若い人はいなかった。そんなイスラエル人指揮者たちにまじって指揮したのです。

    いかがでしたか。

     バーンスタインは「君に決めた。君は偉大な指揮者になるだろう」といって私を選んだのです。「海外で勉強するための奨学金の推薦状を書いてあげよう」と推薦してくれました。そのおかげで私は海外で勉強することができたのです。本当に幸運なことでした。もしバーンスタインが私の人生に現れなければ、進む道がどうなっていたかわかりません。私自身、もちろん指揮者になりたいと思っていました。けれど、彼がいなければ、海外に渡り、著名な指揮者たちに学ぶといった可能性はまずなかったでしょう。私の音楽キャリアを後押ししてくれたのです。彼は当時すでに非常に人気がありました。


     バーンスタインの推薦でイスラエルから欧州に渡ったインバルを待ち受けていたのはそうそうたる巨匠指揮者たちだった。「音楽に限らず、子どもの頃からいつも素晴らしい恩師に恵まれてきた」と語るインバルが最初に教わったのは、アバドやバレンボイム、ムーティらを育てたことでも知られるイタリア出身の作曲家、指揮者フランコ・フェラーラ(1911〜85)。録音嫌いで知られる孤高の巨匠セルジュ・チェリビダッケ(1912〜96)にはイタリア・シエナで学んだ。パリではパリ管弦楽団の創設メンバーでもあるルイ・フォレスティエ(1892〜1976)に3年間、その後は、ラヴェル最後の直弟子マニュエル・ロザンタール(1904〜2003)に薫陶を受けた。そして1963年、イタリアのカンテッリ指揮者コンクールで優勝する。コンクールは飛行機事故で早世したイタリアの指揮者グィード・カンテッリ(1920〜56)にちなむ。カンテッリがパリで乗った事故機の行き先はニューヨーク。振るはずだったニューヨーク・フィルの演奏会を代演したのはバーンスタインだった。
     その年、1963年はバーンスタインがユダヤ教の祈りの言葉をテキストに使った交響曲第3番「カディッシュ」を作曲した年でもあった。
     作曲者自身によるイスラエルでの「カディッシュ」世界初演を直前に控えた63年11月22日、世界を揺るがす事態が起きる。米テキサス州ダラスでケネディ米大統領が凶弾に倒れ、暗殺されたのだ。ともにボストン近郊の出身で、ハーバード大に学んだバーンスタインとケネディは個人的にも深い親交を結んでいた。インバルはその知らせを留学先のパリで知った。バーンスタインが追悼公演で演奏したのは、マーラーの交響曲2番「復活」。当時、演奏されることが今ほど多くはなかったこの曲を選んだ理由について、彼はこう述べている。
     「なぜレクイエムや定番の(ベートーヴェンの交響曲3番「英雄」の)葬送行進曲ではないのかと問う人がいる。我々がこの交響曲を演奏したのは、愛する人(ケネディ)の魂の復活だけでない。彼を悼む我々すべてにとっての希望の復活のためなのだ」
     優勝したインバルは67年、イスラエル・フィルに凱旋公演することになる。
     祖国に戻ったインバルを待ち受けていたのは、イスラエル・フィルで「復活」のリハーサルをしていたバーンスタインだった。師弟はそこで再会した。

    「カディッシュ」のすべてのリハーサルに立ち会うことができたのです

    バーンスタインとはその後も連絡を取り合っていたのですね。

     そうです。指揮者コンクールに優勝したことで私は67年、イスラエル・フィルを振ることになりました。本拠地テルアビブのほか、エルサレムやハイファなど各地を回り、同じプログラムで定期演奏会を14回もするのです。そのとき、バーンスタインは「復活」を練習するために来ていました。私が夜の演奏会で指揮している間、バーンスタインは午前中にリハーサルをする。それで私は彼のリハーサルに立ち会うことになったのです。
     実は後にも彼との間で、演奏会とリハーサルの組み合わせがありました。興味深いことにそのときに彼がリハーサルで取り組んでいたのが改訂版「カディッシュ」だったのです。

    そんなことが本当にあるのですね。

     「カディッシュ」は63年に書かれた後、77年に改訂され、彼はそれもイスラエルで指揮しています。そのとき、私もイスラエルにいて、私の演奏会と彼のリハーサルが同じ時期だったのです。それで、「カディッシュ」のすべてのリハーサルに立ち会うことができたのです。指揮台のそばで議論することもありました。
     彼はまさに音楽の天才でした。作曲家であり、優れたピアニストでもありました。言うまでもなくカラヤンとともにあの時代の最も偉大な指揮者であり、本を執筆し、大学で音楽の講義もした。あらゆることができる人間だったのです。大いなる影響を受けましたがそれは、私が彼をひとりの人間として敬愛していたからでしょう。
     たいした話ではないかもしれませんが、彼はいつも朝の4時、5時まで起きていて、朝リハーサルに来ると少々機嫌が悪い。イスラエル・フィルの奏者の多くは私の友人ですが、彼らにすれば、不機嫌なのは自分自身になのか、彼らになのか、あるいは音楽に対してなのか、なんだかわからない、といったことがありました。もちろん、音楽家としての彼の仕事には全く影響のないことなのですが(笑)。


    (注)イスラエル・フィルのアーカイブ(演奏記録)によると、インバルがイスラエル・フィルを振ったのは67年の7月3~6日。バーンスタインはマーラーの交響曲第2番「復活」を同月8、9日に演奏している。
     インバルは77年3月末から4月にもイスラエル・フィルに登場。77年版の「カディッシュ」をバーンスタインがイスラエル・フィルで演奏したのは4月4、5、6日だった。いずれもリハーサルは午前中に行われており、夜のコンサートを振るインバルはバーンスタインのリハーサルに同席することができた。

    (2015年12月当時)

  • スペシャルインタビュー Vol.2
    ホロコーストと「カディッシュ」の祈り

    ©Rikimaru Hotta

    ※2015年12月当時のインタビューです。

    ※2024年2月の公演では2016年と同じサミュエル・ピサール版テキストを使用予定でしたが、そのテキストを唯一語ることが許されているピサール夫人と令嬢の来日が叶わなくなったため、バーンスタイン自身によるオリジナル版テキストを用います。詳細はこちら

      バーンスタインに才能を見いだされたインバルは1963年9月、イタリアのカンテッリ指揮者コンクールで優勝した。
     その約2カ月後、バーンスタインが個人的にも親交を結んでいたケネディ大統領が暗殺された。そして交響曲3番「カディッシュ」が作曲者自身の指揮でイスラエル・フィルの演奏によってテルアビブで初演されたのは暗殺の衝撃から間もない、その年の12月10日のことだった。
     指揮者としての道を目指し、パリに留学したインバルは、そこでポーランド出身のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)生存者サミュエル・ピサールと知り合いになる。ハーバード大、ソルボンヌ大で博士号を取り、その後、米国で作家、弁護士として活躍したピサールは、ケネディの経済、外交政策の補佐官を務めた経歴を持つ。
     インバルとピサール、ピサールとケネディ、そしてケネディとバーンスタイン。「カディッシュ」は4人の交友のなかで新たな光を放ち始める。

    強制収容所にいたあなたこそカディッシュの朗読テキストを書くべきだ

    この曲は暗殺されたケネディに捧げられたといわれていますね。

    インバルとピサール(2012年プラハにて)  バーンスタインが「カディッシュ」を作曲したのはケネディ暗殺の前でした。暗殺の数日前に書き上げたのです。そして暗殺が起きて彼はこの曲をケネディへの追憶として捧げたのです。ですから、ケネディの暗殺によって作曲されたというわけではありません。
     バーンスタインが1981年にワシントンでこの曲を演奏した際、彼に幻影が見えたことがあります。ケネディ大統領と(弟の司法長官で)やはり暗殺されたロバート・ケネディ、そしてバーンスタインの亡くなった夫人(フェリシア・モンテアレグレ)の姿でした。彼女は米国初演の際の朗読者でした。3人の幻影を頭上に見て、彼は指揮をしながら涙を流したのです。

    ピサールは60年の大統領選に出馬したケネディ陣営のスタッフだったことがありますね。

     冷戦のまっただ中だった当時、彼は、ロシア(当時はソビエト連邦)との経済関係を強めて利害が深まれば、戦争の危険は減ると考えていました。それが彼の理論でそれについての著作もあります。だから彼はケネディ(大統領)の補佐官になったのです。もちろん、ケネディには何人もの補佐官がいて彼はその1人ですが、当時(20代で)非常に若かった。

    ピサールとバーンスタインはどのように知り合ったのですか。

     サミュエル・ピサールと結婚したジュディスがニューヨーク在住でバーンスタインとは仲のいい友人だった。それでピサールもバーンスタインと知り合った。バーンスタインは90年に亡くなる前、彼にこう言ったのです。「あなたはナチスのユダヤ人強制収容所にいて苦しんだ。あなたこそカディッシュの朗読テキストを書くべきだ」と。ピサールから聞いたのですが、彼は当初は尻込みしていた。でもバーンスタインの死後、1、2年経ってから考えた末、執筆にかかるようになったのです。すいぶん時間がかかりましたが完成した。ある日、彼は私にそのテキストで一緒に演奏できるかと尋ねたのです。
     私は「OK。テキストを見せてください」と応じた。最初にチェコ・フィルとプラハで演奏し、その後、フランクフルトでも演奏しました。

    2012年、チェコ・フィルの常任指揮者を退任する際の演奏会で取り上げたのですね。

     はい。それからフランクフルトでの(hr交響楽団の)定期演奏会でも取り上げました。今回の都響とが3度目になるはずでしたが、残念ながらピサールは今年(15年)7月に亡くなりました。夫妻とはバーンスタインを通じてではなく、(自宅のある)パリでの知り合いでした。

    ある意味で彼は「カディッシュ」にとりつかれていたのだと思います

    この曲は、朗読と音楽を分けずに、朗読しながら演奏されますね。聴いていて、不思議な感じがします。

     私は新たなテキストで表現されたものを音楽の中に取り込みました。バーンスタイン版のテキストは「神との対話」でしたが、今回のテキストは第2次大戦に起きたこと、つまり戦争だけではない(ホロコーストを含む)迫害について語ったものです。ピサールは東京公演を前に広島(の核兵器)についてもテキストに加えようとしていました。もちろん、それを音楽に取り込みました。

    どのように「取り込んだ」のですか?

     それは指揮者としての秘密ですよ(笑)。私はその音楽をもっと悲しく、劇的にすることも、もっと悲劇的に、あるいはより幸福なものにすることもできます。テキストに基づいて私が音楽に影響を及ぼす。そうすることで、ピサールとの演奏では、テキストと音楽が一体のものになったのです。

    楽譜には、どう書かれているのですか。

     楽譜にはテキスト全文が書かれていて、フレーズの最初のところで私が朗読者であるピサールにキュー(合図)を出すのです。彼は楽譜を読めなかったので私に頼るしかなく、とても緊張していました。合図が彼に対するものなのか、ヴァイオリンへのものなのか、はっきりしないこともあったのでしょう。演奏を終えたときには彼は憔悴しきっていました。

    彼の声がクレッシェンドのように大きくなるところがありますね。これは楽譜に書かれているのですか。

     それは彼自身によるものです。彼は耳が遠いうえ、非常に弱い声で話す人だったので、こんな話し方でどうやってカディッシュを朗読するのだろう、と思ったことがあります。ところが朗読するなかで彼自身の声が劇的に進化したのです。もちろん、リハーサルの中で、私からここはもう少し強くとか、もう少し静かにといった指示を出すことはありました。ただ、彼自身が書いたテキストですから、意味は当然わかっている。そして彼は、それをどう表現すべきか分かっていたのです。

    ピサールのテキストをだれが音楽と組み合わせたのですか。

     最初はバーンスタイン財団の支援を受けて、彼自身が取り組みました。その後、私が彼とテキストについて様々な議論をするなかで、私たち2人で改訂していきました。彼は熱狂的なまでに毎日のようにテキストの改訂に取り組んだのです。こうすればよかった。いや、こうしようと。さらに言葉を盛り込みたいという彼に「テキストは音楽と合わせるのだから、もっとシンプルに、短いものにした方がいい」と助言したこともありました。ある意味で彼は「カディッシュ」にとりつかれていたのだと思います。

    そして「カディッシュ」は生まれかわり、「復活」(resurrect)したというわけですね。

     音楽と合わせる以上、バーンスタイン自身が書いた朗読テキストと語数はさほど変わりません。ただ、ピサール版のテキストが次第に長くなるなかで私は音楽の一部を繰り返すようにしたのです。指揮者によっては朗読が終わるまでその音を引き延ばす、というやり方で演奏する人もいるかもしれません。私は演奏を反復することで、テキストと音楽をより一体化させようとしたのです。

    (2015年12月当時)

  • スペシャルインタビュー Vol.3
    ユダヤ教の瞑想思想とブルックナー

    ©Rikimaru Hotta

    ※2015年12月当時のインタビューです。

     ユダヤ、キリスト、イスラムの3大宗教の聖地エルサレムで敬虔なユダヤ教徒の家庭に育ったインバルにとって、ユダヤ教の祈り「カディッシュ」とはどのようなものだったのだろうか。
    インタビューは恩師バーンスタインの宗教観、さらにはユダヤ教の瞑想思想とブルックナーの音楽との関係へと展開する。

    少年時代、親戚が亡くなると、私もカディッシュを暗唱していました

    バーンスタインと「カディッシュ」のテキストの解釈などについて議論したことはありますか。

     実はあまりありません。朗読テキストに目を通し、彼が何を考えていたのか、そして初演時のテキストと77年の改訂版との違いについても読みました。ただ、バーンスタインが書いたテキストにある「1人の人間が神と議論する」といったたぐいの内容は誰にでも受け入れることができるものではありません。寛大な心を持った、しかもあまり宗教的ではない(世俗的な)人にとって、彼の神との対話は極めて魅力的なものでしょう。しかし神の手をつかみ、彼に現実を見せ、人類を再び愛するよう諭すといった内容は宗教的な人間にとって受け入れることは不可能で、その点から彼は批判されたのです。

    バーンスタインは、いわゆる正統派(オーソドックス)のユダヤ教徒ではなかったのですね。

     このテキストを読めば、そうではないと思います。ただ、彼はユダヤ教徒の伝統のなかで育ち、シナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)や祈りの言葉などに精通していました。彼自身おそらく正統派ではなかったけれども、こうした点で非常に影響を受けていたのです。

    日本人の多くはユダヤ教やトーラー(モーセ五書などの律法)について多くを知りません。「カディッシュ」は一般のユダヤ教徒にとってなじみの深いものなのでしょうか。

     宗教的な人、あるいは宗教やその伝統に接している人にとっては極めてなじみの深いものです。神をあがめ、褒めたたえる祈禱です。死や死者に対することが書かれているわけではありませんが、我々ユダヤ教徒は死者のための祈りだと受け止めています。私は非常に宗教的な家庭で育ちました。少年時代、週に2、3回はシナゴーグに通っていました。親戚が亡くなると、私自身もカディッシュを唱えていたほどです。当時は暗唱していました。いま暗記しているかはわかりませんが。

    聖地エルサレムで育ったのですね。

     はい。先祖はアデン(現在のイエメン南部)やダマスカス(現在のシリアの首都)出身で、いわゆるアシュケナジ(欧州出身のユダヤ人)ではなく、中東系(オリエント)のユダヤ人です。親戚の中には第2次大戦に参加して命を落とした人もいますが、ホロコーストの犠牲者ではありません。おじたちはみなユダヤ教のラビ(聖職者)で、そのうちの1人はカバラー(ユダヤ教の神秘思想)の権威でした。これはユダヤ教徒にとって瞑想の思想なのです。当時、私もこうした瞑想思想に接していました。それなので私はブルックナーの音楽に親近感を覚えるのです。

    ブルックナーは、交響曲のなかで「次に来る世界」を探し求めていたのだ

     ブルックナーの音楽は瞑想的で、マーラーの音楽とは対照的です。マーラーも瞑想的ですが、より劇的(ドラマティック)です。興味深いことに、いい音楽家なのにブルックナーを理解できないという人がいます。どう受け止めていいかわからないというのです。私の説明はこうです。もしあなたがこの音楽を劇的な展開として捉えようとしても理解できない。音楽の静的な側面に心を開き、瞑想のようなものとして受け止めなければならないのです。
      多くの作曲家は劇的な進展をダイナミック(動的)に描きます。主題があり、例えばベートーヴェンの「運命」なら「パパパ、パーン」から「パパパ、パン」となる。こうした展開が何百回も起きるのが通常の西洋音楽です。ブルックナーの音楽はあまり動的ではなく、むしろ東洋音楽に通じるものです。

    確かにブルックナーの交響曲には何かほかの交響曲とは違うものを感じます。

     ブルックナーは、交響曲のなかで「次に来る世界」を探し求めていたのだと思います。もちろん、宗教的な要素や「キリストの復活」といった要素もあるでしょう。彼は今日的な問題にはあまりとらわれていなかった。もっと霊的(スピリチュアル)なもの、解決策といったものを求めたのです。一方で、マーラーやベートーヴェンは今日的な課題と未来の解決策の両面を示そうとしたように思います。
     マーラーの交響曲は迫害やこの世の問題を示したうえで、こうした問題をどう乗り越えるかという解決策や「復活」に至るのです。それは第2番の「復活」だけでなく、第1番「巨人」にもみることができます。第3番、第4番では博愛の交響曲になっている。マーラーの音楽は最初から最後まで「聖書」のようなものです。我々を導いてくれる。
     ブラームスは自然への愛着を通じて、より解決策に近いものを作ろうとしました。シューマンもそうでしょう。ブラームスやシューマンには(個人として)悲劇的な側面があります。彼らの描く悲劇は人類全体のものではなく個人的な悲劇であり、愛情や宗教、霊的なものの中にその解決策を見いだそうとしたのです。一方で、ブルックナーの場合は、一個人としての人間よりも、もっとスケールの大きなものを描こうとしたのだと思います。

    (2015年12月当時)

  • スペシャルインタビュー Vol.4
    現代の悲劇と「カディッシュ」の人類愛

    ©Sayaka Ikemoto

    ※2015年12月当時のインタビューです。

     今年2月、インバルは80歳になった。3月の公演はマエストロにとって、日本でのバースデーコンサートになる。
    その記念の公演に選んだのが「カディッシュ」だった。ホロコーストの体験をもとに新たな朗読テキストを書き、インバルとの共同作業で「改訂版」をつくったサミュエル・ピサールは生前「世界中の場所でできる限り多く演奏したい、それもインバルの指揮で」と望んでいた。24日の演奏会では、15年7月に急逝した彼の代わりにジュディス夫人と令嬢のリアさんが朗読する。平和を希求したピサールの思いとは逆に、世界はいま、シリア内戦と難民の流出に苦しみ、「イスラム国」(IS)によるテロが相次ぐ。現代の悲劇に「カディッシュ」はどのような意味合いを持つのか。そこに、解決のヒントは含まれているのだろうか……。

    人間どうしの間で調和を見いだしていく。それこそが音楽なのです

    日本にとって「3月」は特別な意味があります。2011年に起きた東日本大震災と津波。そして3月10日は東京大空襲の日でもあります。いわばドレスデン空爆の日本版ともいえるものです。

     それなら、「カディッシュ」はとてもふさわしい曲ですね。いずれにせよ、今日の世界では「カディッシュ」のテキストがまさに現実になるような多くの悲劇的なことが起きています。ある意味で、ベートーヴェンの「第九」交響曲にも通じるものでしょう。
      「第九」とは何か。世界に起きていることへの絶望です。その上で我々には、誇るべき希望と解決策がある、ということなのです。それはまさに今、私たちのまわりで起きていることではないでしょうか。ベートーヴェンの考えが今ほど現実味を帯びている時代はありません。だからこそ人類愛(ヒューマニティー)を想起し、敵になるのではなく兄弟になる方がいいと常に心がけることが重要なのです。

    (15年11月にパリで起きた)同時多発テロの際、パリに滞在されていたとうかがいました。

     その通りです。自宅で友人と夕食をとっているときに起きたのです。想像もできないほどひどいことが起きた。でも、私たちに何ができるのでしょうか。私はこうした事件を起こす人々のことを理解できません。なぜ宗教を殺戮(さつりく)のために使うのか。宗教で何をしたいのか。わかりません。彼らは彼らと同じ宗教の人々も殺害したのです。この問題は何とか解決しなければなりません。

    「カディッシュ」の曲の中に、現状への解決策に向けたヒントはありますか。

     人間どうしの間で調和(ハーモニー)を見いだしていくべきだということでしょう。それは(シラーの「歓喜の歌」で第九を作曲した)ベートーヴェンの曲にも見ることができます。それこそが音楽なのです。詩のテキストではなく、その音楽の中で「我々はみな同じ人類なのだ」と感じ取ることができるのです。
      我々はみなこの地球上に住まなければならない! だれもが兄弟のように!、と。

    いま起きていることはある日、第3次世界大戦に発展しかねない

    狂信的な過激主義者は人間のことを忘れ、彼らが信じる神のみを考えているのではないでしょうか。

     ヒトラーの例を挙げるまでもなく、政治家の対応はいつも後手に回ります。彼らが対応するときには破滅的な戦争になってしまうのです。早めに対応しようとしても民衆の支持を得られない。人々にはそれぞれの生活があり、戦争を望んではいない。もし政治家がここに行って、これを破壊しなければならない、と言っても「どうしてなんだ」と反応するでしょう。いま起きていることはある日、第3次世界大戦に発展しかねない、と思います。政治家はもうそれ以上待てないところまで待ってから行動を起こす。だから、その行動は甚大で破滅的なものになるのです。
     私の友人で、著名な作家、歴史家のヨアヒム・フェストはヒトラーに関する有名な本(邦訳「ヒトラー、最期の12日間」)を書き、大ベストセラーになった。彼は、我々人間の本性には、何か悪いもの、残酷なものがあり、時折それが表出すると述べています。私は自分がいい人間だと思っていますが、ある種の条件下で何が起こるかは分かりません。もしかしたら悪人になるかもしれない。そのことを常に念頭に置かないといけない。人間のそういった要素に対して、あらがわなければならないと思います。

    イスラエルの人々はホロコーストの被害者であると同時にパレスチナの占領者でもあります。政治的なコメントを求めるつもりはありませんが、現状をどうご覧になりますか。

     和平以外に解決策はないと思います。その実現には双方が相手の存在を認めることが必要です。でも双方に狂信的な人々がいて互いのことを認めません。唯一の解決策は和平であり、そうでなければ戦争が何度も何度も繰り返されることになります。それは解決策になるとは思えません。双方の当事者に信頼関係がありません。より多くの人が平和を求めていても、相手側が同じでなければ、十分とはいえない。平和を得るには信頼が必要です。第2次大戦後の独仏は、ある時点で双方が信頼しはじめた。今では重要な友好国です。このような可能性は(イスラエルとパレスチナとの間でも)あると思います。

    音楽、人類愛、神……。破局を防ぐ手立てとして、インバルさんご自身はどれが最も有効だとお考えですか。

     この点であまりに純真でありたいとは思いません。神は破局を防ぐことはできなかった。破局的な宗教戦争もありました。では音楽か? もし音楽で解決できるなら、すばらしいことです。シリアやイラクに行って、大音量のスピーカーで音楽をかければすべて解決となる。そうはならない。私は「人間の本性」こそが重要だと思います。我々は、自らの本性の中にある「悪魔的な要素」が表に出てこないような方策を見いだす必要がある。音楽を奏でるとき、こうした悪魔的な要素を持つことは不可能だと思います。ただ、ヒトラーやその側近たちも音楽愛好家でした。音楽は役に立たなかったのです。

    「カディッシュ」を日本で演奏する意味について、どのようにお考えですか。

    (ユダヤ教の)「カディッシュ」は人間の神に対する信頼を象徴するものです。それに対して、音楽作品としての「カディッシュ」は、人類に被害をもたらしたあらゆる厄災、様々な戦争や今日におけるテロ行為、あるいは日本で起きたこと(震災と津波)などを繰り返さないために、人類が何を共有すべきかを探るものだといえるでしょう。この曲が我々に与えてくれる解決策は、ベートーヴェンの「第九」と似ています。
     解決策はそこにあるのです。我々は、人間の内面にある最悪の部分を出さないために日々努力するということなのです。破局をもたらした人々は、私やあなたのような人間なのです。我々と違いはない。ただ、彼らは本性の最悪の部分を表に出してしまった。そのことを我々は自覚して、そうしたことが起きないよう毎日努力しなければならないのです。そして人類愛の行く末に対して信頼を寄せる必要がある。過去におけるベートーヴェンの「第九」とその後の「カディッシュ」という二つの楽曲によって、私たちはその解決の可能性を見いだすことができるのではないでしょうか。

    マエストロ、ありがとうございました。(完)

    (2015年12月当時)



  • 8年後の世界と《カディッシュ》再演の意味


    石合 力 Tsutomu ISHIAI(朝日新聞編集委員、インタビュー時は国際報道部長)

     ホロコースト(ナチスのユダヤ人大虐殺)の生き残りだったサミュエル・ピサール(1929~2015)による語りテキストで、インバルと都響がバーンスタインの交響曲第3番《カディッシュ》を演奏した2016年春から8年、当時から激変した世界でいま、インバルが再び《カディッシュ》を取り上げる。
     前回の演奏は、その前年にパリで起きた同時多発テロ犠牲者の鎮魂と平和への思いを込めたものだった。そして演奏から間もない2016年5月には、当時のオバマ米大統領が現職の米大統領として初めて広島を訪問した。
     実は、この広島訪問に生前のピサールは直接関わっている。《カディッシュ》語りテキストに広島と長崎の惨禍を盛り込み、人類を破滅に導く危険なものとして、ホロコーストと核兵器の脅威を訴え続けた彼は、オバマ政権で国務副長官を務めたブリンケン(現国務長官)の継父。オバマの先遣隊として来日したブリンケンは筆者に「父と2人で大統領に広島行きを説得した」と打ち明けた。高校生だった時に継父ピサールとともに家族で広島を訪れ、被害と復興の実相を見て、大きな衝撃を受けたとも語った。
     だが、いま振り返れば、2016年は「和解と共存」ではなく、「対立と分断」の起点の年だったのではないか。ポピュリズムの嵐が吹き荒れるなか、英国は6月の国民投票で欧州連合(EU)からの離脱(ブレグジット)を決定。欧州統合に暗雲が垂れ込めた。ロシアによるウクライナ侵攻では、核兵器使用の可能性が公然と語られている。
     2016年11月には、米大統領選で共和党のトランプ候補が当選した。就任後、イスラエルとの関係を強化し、帰属が定まっていない聖地エルサレムをイスラエルの首都と認定。米大使館をテルアビブからエルサレムに移転した。
     イスラム組織ハマスによる昨年10月の奇襲攻撃と人質の拉致が、非人道的な行為だったことは間違いない。一方で、その後のイスラエル軍によるガザ地区への大規模空爆や地上侵攻では、女性や子どもを含む2万人以上のパレスチナ人が殺害された。米国は当初「自衛権」として容認したが、ジェノサイド(集団殺害)との批判が国際的に高まるなか、ブリンケン長官による自制の呼びかけと仲介外交が続く。
     ピサールが生きていたら、いまの状況をどう受け止めただろうか。その前に、ピサール版テキスト成立の流れに触れておきたい。
     1963年に完成した《カディッシュ》は、バーンスタインが晩年、ピサールに新たな語りテキストを依頼したことで生まれ変わる。2001年の米同時多発テロ事件(9・11)などを盛り込んだ新版は、2003年に初演。その後も改訂は続いた。ヒロシマ、ナガサキに言及した最終稿を初めて演奏したのがインバル、都響だった。ユダヤ教の祈り「カディッシュ」に想を得た作品は、オリジナル版の「神との対話」から、ピサール版へと変遷するなかで、より普遍的な人類愛へとテーマを広げていったのである。
     聖地エルサレムで育ったインバルは、パレスチナとイスラエルが国家として共存する中東和平の推進を求めている。2015年12月のインタビューの際、和平に立ちはだかる「狂信的な人々」が双方にいるとも語っていた。和平交渉を認めないハマス、そのハマス殲滅を理由にパレスチナ市民の多数の犠牲をいとわないイスラエルの現政権という今の図式を見通すかのような発言だ。
     かつてホロコーストで民族絶滅の危機を体験したユダヤ人が、隣人パレスチナ人に対して、占領とこれほどまでの殺戮になぜ踏み切るのか。ピサールが苦悩した、ユダヤ人としての「イスラエルの平安」と「人類の行く末」(ピサール版テキスト)の両立が今ほど難しい時はない。
     ピサール版のナレーターとして、ピサールの没後、バーンスタイン財団が唯一認めている夫人ジュディスと娘リアの来日がかなわなかったことから今回は、オリジナル版での演奏となる。ピサール版テキストの改訂に関わったインバルの演奏は、原典版への単なる回帰にはとどまらないはずだ。オリジナル版の演奏から、ピサール版に通じる人類愛のメッセージを日本の聴衆は聴き取ることができるだろうか。(文中敬称略)

公演情報

第994回定期演奏会Bシリーズ

2024年2月16日(金) 19:00開演(18:00開場)サントリーホール

都響スペシャル(2/17)

2024年2月17日(土) 14:00開演(13:00開場)サントリーホール

出演

指揮/エリアフ・インバル
語り/ジェイ・レディモア*
ソプラノ/冨平安希子*
合唱/新国立劇場合唱団*
児童合唱/東京少年少女合唱隊*

曲目

【マエストロ・インバル88歳記念】
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 変ホ長調 op.70
バーンスタイン:交響曲第3番《カディッシュ》*(日本語字幕付き)

聴きどころ

2016年3月の定期で演奏し絶賛を博した、バーンスタイン《カディッシュ》を、マエストロ・インバル88歳の誕生日(2/16)にふたたび採り上げます。当初2016年と同じサミュエル・ピサール版テキストを使用予定でしたが、そのテキストを唯一語ることが許されているピサール夫人と令嬢の来日が叶わなくなったため、バーンスタイン自身によるオリジナル版テキストを用い、2022年ラヴィニア音楽祭での同曲演奏(マリン・オルソップ指揮シカゴ交響楽団)にも出演した米国の俳優ジェイ・レディモアが語り手として出演します。 前半は、やはり第2次世界大戦と因縁浅からぬショスタコーヴィチの交響曲第9番。軽妙洒脱な表情を見せながら、その奥に戦争(とそれを引き起こしたもの)への鋭い皮肉が込められていると言えるショスタコーヴィチの“第九”もまた、時代の証言として聴かれるべき名曲です。