第7回 ブルックナーとインバル・サウンド——初稿の前衛性を世界に紹介
取材・文/長坂道子(エッセイスト)Michiko NAGASAKA
(企画協力/平岡拓也)

©堀田力丸
ブルックナー:交響曲第8番(1887年第1稿)
エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団/2010年3月25日/東京文化会館
「修繕」の恩恵
インバル氏が心から愛する作曲家、グスタフ・マーラー(1860~1911)について、「彼は自ら指揮しながら、あるいは内なる耳で曲を再現しながら数々の修正を施した。そして彼の加えた変更で、曲は常により良いものとなった」と言うインバル氏の考えを前回、ご紹介した。では氏にとって、もう一人の大切な作曲家、アントン・ブルックナー(1824~96)についてはどういう思いを抱いておられるのか。それを今回はお聞きした。
「マーラーは優れた指揮者でしたが、ブルックナーはそうではなかった。指揮をすることもありましたが、偉大な指揮者ではなかった。そこがまず、大きな違いです」
「さらに、マーラーが非常に優れたオーケストレーターであったのに対し、ブルックナーはそうではありませんでした」
つまり、まずはその2点で両者は大きく異なっており、2人の作品を語る上で、その相違点は非常に重要だとインバル氏は考える。
「たとえばブルックナーの交響曲第2番、第2楽章の書き下ろし草稿では、トゥッティで非常に大きな音がするところがある。主テーマはフルートが吹いているのですが、聴こえるわけがない。そんな草稿を指揮者に託したら、おそらく“これは不可能だ、変えるべきだ”と言われるでしょう。次の稿ではそこが改良されていた。フルートだけでなく、木管全員が主テーマを吹くように変わっていたんです。ブルックナーという人は、いつもそんな具合で、時々、こうした間違いをやらかすんですね」
しかしその一方で、ブルックナーの最初の稿というのは「リズムの上でも音の上でも非常に難しいことを書いている」。その結果、一流だけれど、保守的でもあった当時の指揮者たちにとっては、これは無理だ、演奏できない、ということになる。「ブルックナーにとって、最も重要なのは彼の交響曲が演奏されること」。だから彼は「(演奏しやすいように)変更することにいつも同意した」のだという。(※)
「たとえば交響曲第3番。とにかく彼はそれを演奏してもらいたかった。だから言われた点を素早く直したんです。まるで衣服のそこかしこの穴を修繕するように」
「第4番にも同じ問題がありました。指揮者がこれは演奏できない、不可能だ、と言う。だからブルックナーはたくさん直しました。スケルツォを全く別の音楽に書き直し、全体のオーケストレーションも変えた。まるで別の交響曲のよう。スケルツォ以外は、一応同じ素材、同じメロディを保持していましたが、もはや単なる修繕ではなくて、まるで別の服になってしまったような感じでした」
そんなブルックナー自身の言葉に「私の初稿は図書館に収まるのだ。そして後世の人が、改訂前と改訂後のどちらが良いかを決めることになる」というものがあるそうだが、「まさにその通りになった」とインバル氏は考える。
驚くべき前衛性、近代性
「初稿では非常に難しいことを書いていた」とインバル氏がいう時、それは「ブルックナーの前衛性を示すものであった」ことを意味している。
「彼の調性や和声、とりわけリズムは非常にアヴァンギャルド。まるでイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882~1971)を先取りするかのよう」だと言う。
たとえば、ストラヴィンスキーにおける音楽のブロック・システム。「あるブロックではこのようなリズム、別のブロックではこのモチーフと気分、という具合に区切っていくそのシステムを、ブルックナーもいくつかの交響曲の初稿で使っていた」。「近代性とか先駆性という意味では、初稿の方がずっと面白いのです」
初稿のこうした前衛性にインバル氏が初めて出会ったのは、1980年、カッセルのベーレンライター出版社のチーフが氏の元へ持ち込んだブルックナーの初稿スコアを通してのことだった。最初に目にしたのは交響曲第4番。それを見て「これが本当にブルックナー?」と驚いたが、それは「これまで知っていたブルックナーに全然似ていない点がいくつもあったから」。そしてこの「新たな発見」に、氏は大きく感銘を受けたのだった。
というのも、インバル氏はそれまでに演奏されていた「伝統的なブルックナー」が「実はあまり好きではなかった」から。「至るところで耳にするブルックナーは、その多くが非常にゆっくりなテンポで、年寄りの作曲家の曲を年寄りの指揮者が振っているようにしか聴こえませんでした。ところが初稿で出会ったブルックナーは決してそうではなかったのです」
そうして実現したフランクフルト放送交響楽団とのブルックナー初稿演奏プロジェクト。取り上げたのは交響曲第3番、第4番、第8番。これがインバル氏にとり、フランクフルト放送響と演奏する初めてのブルックナーとなったが、最初はヘッセン放送大ホールで演奏、後にアルテ・オーパーで演奏され、これはテルデックにより録音された。それに続く他の交響曲に関しても、初稿に見えるスピリット、つまりブルックナーが本当に書きたかったこと、本当にやりたかったことをやろう、という姿勢で臨んだのだった。
その成果は全集録音として結実(1982~92年)。新しいブルックナー音楽を世に紹介、確立したという意味で、それはインバル氏のマーラー交響曲全集と双璧をなす名盤となり、フランクフルト放送響に「ブルックナー・オーケストラ」としての確固たるポジションを付与することとなったのだった。
交響曲第9番について
敬愛するブルックナーについて語るとき、インバル氏の声にはいつも以上に熱がこもる。
「ブルックナーの交響曲第8番、これは彼にとって大きなクライシスでした」――こう言って氏は大きなため息をつく。
「彼は素晴らしい作品を生み出したと思った。オーケストレーション上では確かに少々問題のある箇所もありましたが、実際、第8番は本当に素晴らしいものだったのです。なのに、当時非常に著名だったヘルマン・レーヴィ(1839~1900)、交響曲第7番のミュンヘン初演を成功に導き、ブルックナーも尊敬していた指揮者が「この音楽の意味を理解できない」と言ったんですね。それでブルックナーは打ちのめされました。何しろ、この第8番に彼は自分の全てを注いだのですから。数ヶ月間、鬱状態に陥り、何もできませんでした。しかしなんとか気を取り直して、修正に取り掛かったのです」
そうして直された第8番、あるいは第4番については、どの稿もそれぞれに良いところがあり、「それぞれの居場所がある」と氏は考える。一方、第3番に関しては、インバル氏は「初稿(第1稿)が好き」なのだという。
第3楽章までが仕上げられ、第4楽章フィナーレは未完成に終わった最後の交響曲、第9番に関しては、後世の音楽学者たちが幾度か補筆・完成を試みた。「各補筆で違いがありますが、主たる違いはやはりフィナーレのコーダの箇所でしょうか。ブルックナー自身が完成させた第3楽章までの演奏で私自身は満足なのですが、もし、第4楽章も演奏するとすれば――それは聴衆にとって興味深いことではあるでしょう――、SPCM(サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ/以上は校訂者の名前)版は良い解決策だと思います」
ただし、それは音楽学者の仕事、という意味での「良い仕事」。本当にブルックナーの第9番を完成させるためには「個人的には、音楽学者ではなく、作曲家が必要だと思う。ブルックナーは自らの交響曲第3番、第4番、第6番の主題を使ってフィナーレのコーダを書きたかった。しかし、これらすべての主題を雄大なコーダの中に取り入れると非常に複雑なものとなり、それはやはり真に偉大な作曲家でなければできない仕事でしょう」
インバル氏自身、こうして補筆された版で第4楽章を何度も演奏してきたし、録音ではSPCM版(正確には前身のサマーレ=マッツーカ1985年版)に忠実に演奏したというが、ライヴ演奏ではオーケストレーションを少し変えるところもあったとか。「我々指揮者は、それが音を良くしたり、ディテールがはっきりしたりすると思われる箇所で時にオーケストレーションを変えることがあります。歴史上、メンデルスゾーン、マーラー、バーンスタイン、ストコフスキーをはじめとする多くの指揮者たちが、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、シューマン、ブルックナー、その他大勢の作曲家の曲においてそうしてきたのです」
場の力によるさらなる飛躍
マーラー、ブルックナーをはじめ、インバル氏がフランクフルト放送響と演奏した大きなサイクルには、他にベルリオーズ、シューマン、ブラームス、新ウィーン楽派などがあり、これらのサイクルはいずれもホールでのライヴ録音を行い、歴史に残る名盤となった。
「通常、ライヴでのレコーディングというのは、ゲネプロを録音、そしてコンサートの初日と2日めを録音します。ライヴでは客席のノイズがあったりしますから、それを別の録音で修正します。つまり録音のベースはライヴ。それを必要な箇所だけ修正するのです」
そうして仕上がるレコーディング。「それが観客の存在によるものなのか、ホールの音響や気配によるものなのかはわからないけれど」、スタジオ録音では決して出せない「ライヴの味」がそこに出現する。そしてこうしたライヴ録音という形態こそは、インバル氏にとって「ベストなもの」なのだという。フランクフルト放送響による上記、重量級サイクルのライヴ録音が行われたのは、いずれも観客2千人のキャパシティを持つ新生アルテ・オーパー(それ以前のコンサートや録音はヘッセン放送大ホールで行われていた)。
インバル氏在任中の16年間で、フランクフルト放送響が名実共に大きな飛躍を遂げたことについては前稿でも触れたが、インバル氏との運命的な出会い、共に作り上げたマーラーやブルックナーの音という2大要素に加え、さらにもう一つ、氏が言及する点。それがまさにこのアルテ・オーパーという「場の力」である。
「同じオーケストラでもホールによって、違うキャラクターになる。その意味でもフランクフルト放送響がアルテ・オーパーで演奏できたのは本当に良いことでした。そのことが彼らにさらなる飛躍をもたらしたのです」
次号では、「家族のようにして共に成長した」フランクフルト放送響との16年間以降の時期について、インバル氏のさらなる発展と活躍の痕跡を追ってみたい。
※
ブルックナーの交響曲~作曲者による主な異稿について
ブルックナーの交響曲は改訂の多さで知られるが、すべての曲に異稿があるわけではない。異稿が存在するのは、前期作である第1~4番にほぼ限られる(習作的な第00番と第0番を除く/話が複雑になるのを避けるため、ここでは弟子たちによる改訂版や、国際ブルックナー協会による校訂版には触れない)。第5番以降、作曲者が自ら作品に不満を感じて改訂することはなくなる。第4番までの試行錯誤により、ブルックナーが「交響曲の書き方」を会得したことが窺える。
それだけに、自信作であった第8番(第1稿)を、尊敬するヘルマン・レーヴィに拒絶された衝撃は大きく、この時期の改訂は第8番のみならず、第3番と第1番にも及んだ。第9番の作曲には1887年8月に着手していたが、それを中断しての改訂作業は4年ほど続き、第9番の作曲再開は1891年。1896年10月に亡くなるブルックナーに残された時間は5年ほどしかなく(しかも病気がち)、晩年の改訂は第9番が未完成に終わる遠因となった。
交響曲第1番
1866年第1稿(リンツ稿)
全体の雄大な構成、3つの主題をもつソナタ形式など、ブルックナーの交響曲を特徴づける作風が明示されている。1868年5月、リンツで初演。作曲の地から「リンツ稿」と呼ばれる。
1891年第2稿(ウィーン稿)
1891年11月、ブルックナーはウィーン大学から名誉博士号を授与され、それへの答礼としてこの曲を同大学に献呈した。同年12月、ウィーンで初演。曲の構成はほぼ変化しておらず、楽器編成も同じだが、オーケストレーションが厚くなっている。改訂の地から「ウィーン稿」と呼ばれる。
交響曲第2番
1872年第1稿
冒頭の弦の6連符は、「ブルックナー開始(弦のトレモロ)」の萌芽。またブルックナーの交響曲の特徴である全休止が本格的に用いられたため、休止交響曲(Pausensinfonie)とも呼ばれた。この段階では、中間楽章は「スケルツォ」→「アダージョ」の順だった。1873年10月、ウィーンで初演。
1877年第2稿
1876年2月の再演(ウィーン)へ向けて大幅に改訂。再演後にも手を入れた。中間楽章は「アンダンテ(アダージョから変更)」→「スケルツォ」の順となる。
交響曲第3番
1873年第1稿
ワーグナー作品からの引用が多く、またワーグナー自身が献呈を認めたことから、ブルックナーは《ワーグナー交響曲》と称した。ただし、第2稿以降、引用はほとんどカットされたため、《ワーグナー交響曲》と呼ぶにふさわしいのは第1稿のみである。
1877年第2稿
第1稿が演奏の機会を得られなかったため、改訂。ワーグナー作品の引用はほとんどカットされ、形式的には最も整った稿。1877年12月にウィーン・フィルにより初演されたが不成功に終わる。
1889年第3稿
1888~89年、第8番の改訂作業を中断して第3番の再改訂が行われた。第3番として最も普及している稿。第4楽章にカットが多く、特に再現部において第2主題前半を残して前後をすべてカットしている。その結果、ソナタ形式としては著しくバランスを欠くが、展開部で第1主題を活用、コーダに第3主題が登場するため、聴き手に不足感はない。斬新な形式感と言える。
交響曲第4番《ロマンティック》
1874年第1稿
ブルックナーが書いた初の長調の交響曲であり、サブタイトルをもつ唯一の交響曲。
1878/80年稿
第1稿が演奏の機会を得られなかったため、改訂。1878年12月に一旦改訂を終了、その後、第4楽章のみ再度改訂して、これは1880年に完了。第3楽章スケルツォが第1稿とは別の音楽に差し替えられた。この「1878/80年稿」が最も普及している。
1888年稿
1889年の初版楽譜刊行へ向けて改訂されたもの。従来はレーヴェやシャルクなど弟子たちの手が入っているとして真正の改訂稿とは見なされていなかったが、ブルックナー自身が修正を認めていたとして、近年は再評価されている。
交響曲第8番
1887年第1稿
ブルックナー円熟期の大作で、完成した交響曲として最高傑作。スケルツォを初めて第2楽章に固定、第4楽章で編成を3管に拡大した。
1890年第2稿
ヘルマン・レーヴィの拒絶により改訂。全曲が3管編成。第1楽章の終わりを強音から弱音に変更、各楽章に細かなカットがある。

【CD】
ブルックナー:交響曲全集
エリアフ・インバル指揮 フランクフルト放送交響楽団
〈以下( )内は録音年月〉
(1992年5月) 交響曲(第00番)ヘ短調
(1990年1月) 交響曲第0番 ニ短調
(1987年1月) 交響曲第1番 ハ短調〔1866年第1稿〕
(1988年6月) 交響曲第2番 ハ短調〔1877年第2稿〕
(1982年9月) 交響曲第3番 ニ短調〔1873年第1稿〕
(1982年9月) 交響曲第4番 変ホ長調《ロマンティック》〔1874年第1稿〕
(1987年10月)交響曲第5番 変ロ長調
(1986年9月) 交響曲第6番 イ長調
(1985年9月) 交響曲第7番 ホ長調
(1982年8月) 交響曲第8番 ハ短調〔1887年第1稿〕
(1986年9月) 交響曲第9番 ニ短調(第1~3楽章)
(1986年9月) 交響曲第9番 ニ短調 第4楽章(サマーレ&マッツーカ補筆版)
〈録音:1982年8月~1992年5月 アルテ・オーパー、フランクフルト〉
[ワーナー/テルデック WPCS12440~50](11枚組)
