有馬純晴

ホルン

有馬純晴 (ありますみはる) Sumiharu ARIMA

(1983年4月1日入団)

 東京都出身。
 83年東京芸術大学音楽学部卒業と同時に東京都交響楽団入団。
 89年ロンドンに留学。アレキサンダー ホルン アンサンブル ジャパン並びに東京シンフォニエッタ メンバー。


●CD情報
アレキサンダー ホルン アンサンブル ジャパンのCD カーニバルCARNIVAL 発売中!

ベルリオーズ「ローマの謝肉祭」序曲 作品9  編曲:B.ロビンソン
ノイリンク 「バガテル」  編曲:小林健太郎
ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調 作品90より終楽章  編曲:B.ロビンソン
ベートーヴェン トリオ ハ長調 作品87  編曲:F.グンベルト
小林健太郎 ホルン10重奏のための断章「葛藤」
ワグナー 歌劇「タンホイザー」よりハイライト 編曲:H.ホンブッシュ
アレキサンダー ホルン アンサンブル ジャパンのCD カーニバルCARNIVAL
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私の音楽はじめて物語

ロンドンにて(3歳ころ)
ロンドンにて(3歳ころ)
 父の仕事の都合で3~6歳までロンドンで過ごし、3歳から英国人の女性の先生にピアノを習いました。あまり専門的ではなく、趣味の範囲で楽しく弾いていた感じですね。
 小学校入学直前に帰国。それまで英語を話していた生活から急に日本語を使うことになって、これには苦労しました。帰国して1ヵ月で英語を忘れてしまって、今にして思えば、かなりもったいないことをしたものです。
 日本では家にピアノがなかったのでしばらく中断しましたが、小3で再開。近所の先生にレッスンを受けましたが、中1の時に練習がイヤでやめてしまいました。
 中学は地元の公立で、テニス部に入りました。あまり厳しい部ではなかったので、結構自由に過ごした気がします。ピアノのレッスンをやめた後も、勝手に弾くのは好きでしたね。東京音楽学校(現・東京藝大音楽学部)出身の伯母がいて、専門はピアノではなかったのですが、楽譜をたくさん持っていたので、《悲愴》《月光》などを借りて独学でよく弾いていました。
 都立豊多摩高校へ進学。陸上か合唱をやろうかと考えていたのですが、入学してすぐクラスメートに「吹奏楽部の見学に行こう」と誘われて。音楽室へ行くと、OBで当時は東京藝大の学生だった脇本周治さん(現・神奈川フィル)が遊びに来ていて、ホルンを吹いていた。すごく良い音で、その場で「ホルンをやろう」と決めました。それまで演奏会でもレコードでもホルンを意識したことがなく、いきなり目の前で音を聴いたのが出会いです。
 吹奏楽部の活動は「めざせ金賞!」とか厳しいものではなく、楽しく吹いていたのですが、高2の夏、先ほどの伯母と将来の話をしていた時に「音楽の仕事をする気はないの?」と言われて。そんなことは全く考えていなかったのでびっくりしましたが、まずは可能性があるかどうか見てもらおう、と伝手をたどって笠松長久さん(都響首席ホルン奏者/当時)のレッスンを受けました。でも最初のレッスンで「全然ダメだ」と言われてしまい(笑)、マズいなあ、と頑張って練習して1週間後に行くと「すごくいいよ!」と。何とかなりそうだ、とピアノを再開。ソルフェージュなど受験態勢に入ったのが高2の秋です。
 さすがに間に合わず、最初の受験は失敗。1年浪人して東京藝大へ入りました。学生時代は芸術祭が思い出深いですね。3日間の日程で、オーケストラから室内楽まで毎年20ステージくらい乗りました。練習が大変でしたけれど、本当に勉強になりました。
 大学4年の終わりに都響のオーディションを受け、卒業と同時に1983年4月に入団、1986年から首席を吹かせていただいています。
 都響は若いメンバーが増えましたが、フルネさんの響きやベルティーニさんの集中力など、オーケストラの「色」が不思議と継承されているのを感じます。伝統を守りつつ、より良いオーケストラを目指して頑張りたいですね。

(『月刊都響』2014年3月号 取材・文/友部衆樹)

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