楽員紹介 - 都響について

ヴィオラ
堀江和生 (ほりえかずお) Kazuo HORIE
(1983年6月1日入団)
私の音楽はじめて物語

師事したのは、東京藝大出身の外岡協子先生で、中3までお世話になりました。言葉は優しく、内容は厳しく、というレッスン。良い先生で、小さな街から、私以外にも音楽の道へ進んだ子がたくさんいるんです。小学生時代は遊ぶ時間が少ないのがつらくて、「やめたい」と言うと、父に「自分でやりたいと言ったんだから」と諭され、やめるにやめられず(笑)。一方で小4のころ、オイストラフがレニングラード・フィルと弾いたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(東京文化会館)を聴いて、これはすごかった。オーケストラを突き抜けてヴァイオリンの音がスーッと耳に届くんですが、全くキツくなくて柔らかい音色なんです。
中1の時、外岡先生に「東京藝大附属高校を受けてみない?」と勧められ、音楽は好きでしたし、他の道は考えられなかったので受験を決めました。3ヶ月に1回くらい、外岡先生の師だった藝大の岩崎洋三先生のレッスンを受けるために東京へ通い、ピアノとソルフェージュは中1から始めたので大変でした。
当時から、岩崎先生は「この子はヴィオラに向いているかもしれない」と外岡先生に言っていたようです。私はその話を直接聞いていないのですが、自分はわりと低音域に志向があって、太めの音でしっかり弾いていたみたいですね。
もちろん藝高はヴァイオリンで受験しましたが、ヴィオラの浅妻文樹先生が気に入ってくださって、ヴィオラ科に入ることに。最初はアルト記号を読むのに苦労しましたけれど、アンサンブルでは脇役のようでいて実は音楽の流れを主導していく、そんな役割が面白いと思いました。
東京藝大卒業後、すぐに東響へ入団して1年半ほど在籍、その後はエキストラ時代を含めて2年ほど新日本フィルで弾かせていただきました。当時、新日本フィルは創立10周年を迎え、小澤征爾さんの指揮で《ファルスタッフ》《エリヤ》など意欲的なプログラムをやっていて、楽しかったですね。そんな時期に、都響の首席コントラバス奏者でいらした相葉武久さんに声をかけていただき、幸いにもオーディションに合格。入団は1983年です。
若杉弘さんやベルティーニさん、インバルさんなどと、大曲をたくさん経験できたのは幸せですね。都響は音のまとまりが良くて、オーケストラとしての一体感が強い。そういう伝統と、近年、若く優秀なメンバーが増えてきたことのブレンドが上手くいっている気がします。今後、さらにオケの発信力を磨いて、より多くの人に聴いてもらえたら、と思っています。
(『月刊都響』2013年11月号 取材・文/友部衆樹)