小田桐寛之

トロンボーン 首席奏者

小田桐寛之 (おだぎりひろゆき) ODAGIRI Hiroyuki

(1986年7月1日入団)

 北海道札幌市出身。洗足学園音楽大学卒業と同時に東京ブラスアンサンブルに入団。1982年、東京トロンボーン四重奏団(TTQ)結成。1986年、都響へ首席奏者として入団。現在、東京トロンボーン四重奏団、東京メトロポリタン・ブラス・クインテット、東京メトロポリタン・トロンボーン・クァルテット、各メンバー。ソロ・アルバムをマイスター・ミュージックから多数リリース。洗足学園音楽大学教授。昭和音楽大学、国立音楽大学、各講師。


●CD情報

ノスタルジア
東京メトロポリタン・トロンボーン・クァルテット
メンバー:小田桐寛之、井口有里、青木昂、野々下興一
2016年8月3日発売  ¥2,700(税抜)
フォンテック

曲目/
フラッケンポール:トロンボーン四重奏曲
シャルル=アンリ:夢の形で
J.S.バッハ:パッサカリア
バルトーク:トロンボーン四重奏のための組曲
いずみたく:見上げてごらん夜の星を
中村八大:明日があるさ
中村八大:上を向いて歩こう
ノスタルジア<br />
東京メトロポリタン・トロンボーン・クァルテット<br />
¥2,700(税抜)
ノスタルジア
東京メトロポリタン・トロンボーン・クァルテット
¥2,700(税抜)

私の音楽はじめて物語

左:4歳ころ 右:中2ころ
左:4歳ころ 右:中2ころ
 子どものころは腕白小僧で、野球、卓球、スキー、スケートなど、身体を動かすことが大好きでした。小学校に野球部があって、3年生から入れたので、それからは野球一筋。プロ野球選手になって巨人に入るのが夢でした。
 一方で、学校の器楽大会ではその時だけ動員されて器楽合奏部に参加。小5の時にティンパニを叩き、曲の途中でリコーダー・ソロを吹いたことがあります。「野球やってないで器楽合奏部に入ったら?」と音楽の先生に誘われたりもしました。翌年、札幌市の器楽大会があり、同じくその時だけ参加してティンパニをやり、《ドナウ川のさざ波》を演奏しました。小学生時代はグループサウンズが大流行、それにも夢中になりましたね。
 北陽中学校へ進み、もちろん野球部へ入部。ところが中1の秋、体育大会のハイジャンプ(走高跳)選手に選ばれ、練習中に着地に失敗、右ひざを脱臼。ドクター・ストップがかかって「野球部をやめなさい」と言われ、退部することに。
 吹奏楽部(当時の名前は「ブラスバンド局」)でトランペットを吹いていたクラスメイトと仲が良く、また当時好きだった女の子がホルンをやっていたので、中1の終わりに入部しました。不純な動機です(笑)。入部の時、ティンパニかトランペットを希望したのですが、どちらも既に人数が一杯でダメ。顧問の平体(ひらたい)先生に「君は背が高くて手が長いからトロンボーンだね」と言われ、楽器が決まりました。
 中2から顧問が真部(まなべ)武弘先生に替わり、秋ころに「音大を目指してみたら?」と勧められ、それで受験を意識するようになりました。
 北海道立札幌北陵高校へ進学しましたが、新設校で吹奏楽部がなかった。それで市民バンドの札幌シンフォニックバンドを結成、活動は楽しかったですね。高1から真弓基教先生(札響首席トロンボーン奏者/当時)に師事、ピアノとソルフェージュも高校から始めたので大変でした。
 中学時代に加山雄三とイエペスのファンになり、フォーク・ギターとクラシック・ギターを両方、通信教育で勉強したことがあります。後者は《アルハンブラの思い出》を弾けるまでやりました(今は全く弾けませんが)。高校時代は井上陽水のファン。高3の時にフォーク・グループを作ってコントラバスを弾いたこともあります。
 そんなことをやっていて大学に合格するはずもなく(笑)、2年浪人して洗足学園へ。卒業後は東京ブラス・アンサンブルや東京トロンボーン四重奏団などアンサンブルを中心に7年ほど活動、都響入団は1986年です。
 「自分は50歳くらいまで吹いていられたらいいなあ!!」と思っていましたが、50代後半になった今も首席を吹かせていただいているのは嬉しいですね。都響のトロンボーン・セクションは音色(おんしょく)や方向性を共有できるメンバーが揃っていて、とても幸せです。そういう特色を保ちながらさらに進化できるよう、努力を続けたいと思います。

(『月刊都響』2014年4月号 取材・文/友部衆樹)

楽員紹介一覧