都響とフィンランドの音楽家たち

Finland

都響とフィンランドの音楽家たち

 都響3~7月公演は、次期首席指揮者ペッカ・クーシスト(2028年度に就任/2026~27年度はアーティスト・イン・レジデンス)を筆頭に、フィンランド出身の音楽家や作曲家の作品が揃いました。
 意外かもしれませんが、都響とフィンランドとの縁は古く、フィンランド人の母をもつ渡邉曉雄が第2代音楽監督・常任指揮者(1972~78年/1978~90年は名誉指揮者)を務めたことに始まります。都響初の海外ツアー(1977年9~11月/ポーランド、ソ連、フィンランド、チェコスロヴァキア、東ドイツ、ユーゴスラヴィア、ハンガリー、ルーマニア/国名は当時)では、フィンランド・ヘルシンキで公演を行いました(1977年10月4日/指揮は渡邉曉雄)。
 1982年にヘルシンキ・フィル来日公演を渡邉曉雄が指揮した際は、なんとオスモ・ヴァンスカがクラリネット奏者として出演していたというのも不思議な巡り会わせ。1990年7~8月に都響はフィンランド・サヴォンリンナ・オペラ・フェスティヴァルに参加、コンサート2公演、オペラ2演目7公演(指揮/大野和士、若杉弘、佐藤功太郎)を行っています。
 偶然にもフィンランドとの接点が多い都響の2026年公演をどうぞご注目ください!

  • ペッカ・クーシスト:ヴァイオリニスト、作曲家、指揮者
    (そして、あらゆる音楽の魔術師)

    文/マーク・セオウ(Mark Seow)
    日本語訳/飯田有抄


     YouTubeを根気よく探すと、わずか7歳のペッカ・クーシストの映像が見つかる。兄のヤーッコとともに、1938年の人気ジャズ・スタンダード「ジーパーズ・クリーパーズ」をヴァイオリン・デュオで演奏している。フィンランド・テレビのクリスマス特番「サンタクロースの夢のクリスマス」に出演した時のものだ。9歳のヤーッコは弟より達者で、鮮やかなヴィブラートと明瞭なボウイングで弾いている。一方のペッカは途中で少しつまずいてしまい、ヤーッコが支える場面もある。それでも、ペッカの演奏にはどうしようもなく人を惹きつける何かがある。恐れを知らないホッキョクグマのようにカメラをまっすぐ見据え、小さなヴァイオリンを自在に操り、和音やハーモニクスを繰り出す。間違いない——この少年はスターになる。


     12年後、ペッカはフィンランド人として初めてシベリウス国際ヴァイオリン・コンクールで優勝を果たす。その演奏を見返してみれば、のちにペッカの「トレードマーク」となる要素がすでに表れていることに気づくだろう。彼の奏でる旋律は、まるで空気を含んで泡立つようにきらきらと輝き、生き生きとして、この上なく自然なのだ。

     こうした演奏は、音楽に満ちた生い立ちを物語っている。ペッカの母は音楽教師で、彼が13歳になるまでヴァイオリンのレッスンに必ず付き添った。「母は先生の言ったことを一言一句書き留め、家での練習もすべて見守ってくれました。……母がいなければ、僕たちは真剣にヴァイオリンに取り組む人間にはならなかったでしょう」とペッカは語る。父イルッカ・クーシストは、著名な指揮者であり教会音楽家、さらにオペラを数多く手がけた作曲家でもあった。祖父タネリ・クーシストもまた作曲家で、12年にわたりシベリウス音楽院の院長を務めた人物である。
     そうしたフィンランド屈指の音楽一家(まさに王朝と呼べるほどの家系)で育ったわけだが、彼にとっては「日常」だった。ペッカは家族の舞台裏の賑やかな音楽的光景を語ってくれた。ある年のクリスマス・パーティーでは、兄と即興ソロで対決し、クリスマス・キャロルをどちらがより装飾的に引用できるかを競い合ったという。「僕たちだけが共有できる言語があったんです」と、ペッカは『ソングラインズ』誌のインタビューで明かしている。 コンクールでの優勝は、ペッカを一躍脚光の中へと押し出した。やがてソロ・ヴァイオリニストとして世界を巡るようになり、フィンランド人としての責任と誇りを背負うようになった。「どこにいても、シベリウスの協奏曲を弾くと、故郷の風景が見えるのです」と、ペッカは1995年に語っている。「庭の土を小さな箱に入れて持ち歩いているようなものですね。」

     ペッカは古典派の名曲も演奏し続けているが(ヴィルデ・フラングによる独奏、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンをペッカが指揮したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のように)、彼はむしろ新しい音楽の擁護者として広く知られている。彼に献呈された作品や協奏曲のリストはすでに長大で、さらに増え続けている。民族音楽と協奏曲形式を融合させたアンナ・クラインの《Time and Tides》を初演し、トマス・アデスの《Märchentänze》をフィンランド放送交響楽団との共演で世界初録音を2022年にリリースした。また、ニコ・ミューリーの2019年の協奏曲《Shrink》の録音は、ノルウェー室内管弦楽団との長年の関係を示すものでもある。フィンランドのピアニスト、ヨーナス・アホネンとのアルバム『Symmetria pario: Creation』は、天地創造の物語にインスピレーションを得た9つの世界初演を収めている。さらに未発表の作品もあるようだ。ペッカは今年のはじめに、あるジャーナリストにこう打ち明けた。「15年ほど前、フィンランドの電子音楽家トゥオマス・ノルヴィオとアルバムを録音したんです。二人でヴァイオリン協奏曲のアルバムに革命を起こすつもりでした。ところがレーベル側が『批評家がなんて言うだろうか?』と言い出し、結局リリースされませんでした。」



     フィンランド文化を広めるもう一つの方法として、ペッカは民族音楽の紹介にも力を入れている。2019年、賑わい溢れるアムステルダムの運河で、ペッカはフィンランドの民謡「Piupali Paupali」を演奏し、ヴァイオリンをバンジョーのように弾きながら歌ってみせた。2016年のBBCプロムスへのデビューでも別のフィンランド民謡をアンコールで聴かせ、ロイヤル・アルバート・ホールを埋め尽くした5000人の聴衆に、 「Minun kultani kaunis on」のリフレインを大合唱させた。ペッカのカリスマ的なエネルギーは聴衆を魅了し(多くの聴衆にとって、多音節のフィンランド語で歌うのは初めての体験だった)、その映像は瞬く間に世界中に広まった。


     ペッカは作曲にも取り組み、自らの国民的アイデンティティを探究している。作曲家でパーカッショニストのサムリ・コスミネン、ギタリストのヤルモ・サーリとともに、アニメシリーズ「ムーミンバレー」のサウンドトラックを手がけた。フィンランドの作家・イラストレーターであるトーベ・ヤンソンのムーミンの書籍やコミックを原作とするこのテレビシリーズは、世界中の視聴者を魅了している。アルバムでもリリースされた音楽には、ヴィオラのピッツィカートや透明感のある口笛など、クーシストらしい音のタッチが現れ、冒険と興奮に満ちた音の世界を創り出している。あるところでは、北欧らしい心地よさ(ヒュッゲ)を呼び起こし、またあるところでは危なげな雰囲気や、北極光のえも言われぬ煌めきを呼び覚ます。
     国際的なヴァイオリニスト・指揮者にとって、作曲は意外な活動に思われるかもしれない。しかしペッカの場合、ヴァイオリン演奏、作曲、指揮は分け隔てられた領域なのではなく、すべてはひとつの創造的な身振りの一部なのだ。それはきっと父から受け継いだものだろう(ちなみに父は、1970年代にヤンソンとの共同制作で《ムーミン・オペラ》を作曲している)。


     ここ数年、ペッカの人生に悲劇的な出来事が相次いだ。兄ヤーッコが2022年に脳腫瘍で亡くなったが、その頃は母もすでに食道がんのため入院していた。最新アルバム『ウィロウズ』に収録されたレイフ・ヴォーン・ウィリアムズの《揚げひばり》の録音は、母が亡くなるわずか数日前に収めたものだ。ペッカは2025年にアルバムを完成させたが、それは父が亡くなってからまだ2か月も経たない頃のことだった。
     それでも、彼の音楽にはどこか楽観的な明るさがある。音楽批評家のシャーロット・ガードナーは『グラモフォン』誌でこのアルバムを「魅力的で、圧倒的に力強く、美しい」と高く評価し、同誌の「今月の録音」に選出された。ガードナーは、ペッカの音楽が放つ希望の力を「光に満ちた夢の断片のように響く、変幻自在な民族舞踊」と表現している。


     そしてペッカ自身も、未来に希望を抱いている。もっとも、音楽界が存続するためには大きな変化が必要なことも認めている。2022年の「ザ・ヴァイオリン・チャンネル」のインタビューで、クラシック音楽の未来について問われた際、この途方もなく大きな問いに対して、いかにもペッカらしい賢明な言葉で語った。「ときどき感じるのは、僕たちがクラシック音楽の未来を心配するあまり、目の前の聴衆が居心地の悪さを感じてしまってはいないか、ということです」とペッカは嘆いた。「この分野や芸術形式そのものは、必ずしも容易にアクセスできるものではありませんが、あたかもそうであるかのように見せようとしている傾向があります。なんでも簡単で、楽しく、シンプルに——そう取り繕って単純化しようとしているように感じるのです。この世界はもっと細やかで、粒子感のある、興味深い方向へと向かっているというのに。」では、彼の提言とは何か。それは、音楽家自身が「この職業の持つ複雑さや奇妙さ」をそのまま引き受ける未来だ。——まさに、そうあってほしい!

  • アーティスト・イン・レジデンス就任記念公演のプログラムについて

    国塩哲紀(都響芸術主幹)

    © 平舘平

     ペッカ・クーシストは、スタンダードなレパートリーはもちろん、かねてから、私たちと同時代を生きる作曲家や、女性作曲家(歴史上見過ごされてきた人も含め)の作品の紹介にも熱心です。演奏家のさまざまな解釈を味わうクラシック音楽は、すなわち“多様性”を楽しむ芸術でもありますよね。
     とはいえ、知らない作曲家や知らない演奏家の名前を見ると、チケット料金に見合った感動が得られるかどうか不安になる気持ちはよく理解できます。しかし、考えてみれば、どれほど有名な作曲家でも最初に聴くまではどんな音楽だろう?と思ったはず。そして気に入ったらそこから“沼”が始まる…クラシック音楽ファンの人生は多くがそんな歩みなのではないでしょうか。つまり“出会い”もクラシック音楽の楽しみの一つ。

     ペッカとはこれから、新旧や有名無名にとらわれず、みなさまに聴いていただきたい曲を集めた多彩なプログラムを提供していくつもりですので、なんとなく気になる…と思ったら、好奇心を持っておつきあいいただければ幸いです。
    『音楽を注意ぶかくきくとき、ぼくらの精神はいつもよりはるかに目覚めているが、同時に目覚めていればいるほど、ぼくらの陶酔は深く、全身的だ。』――吉田秀和(中公文庫『主題と変奏』収録『ロベルト・シューマン』より)

     今回の2つのプログラムは、ペッカとウェブミーティングで意見交換しながら作りました。都響では初めて設けられたアーティスト・イン・レジデンスなるポジションに就いたペッカ・クーシストという稀有な音楽家と、どんなプレゼンテーションができるか、という一つの試みでもあります。
     以下、それぞれのプログラムについて簡単に紹介します。ちょっと風変わりなプログラムに見えるかもしれませんが、実際に聴いた後、聴衆のみなさまに少しでも豊かでさわやかな気持ちや、何かを発見したような新鮮な気分を抱いていただけたらそれにまさる喜びはありません。

    ◆6/13定期A

     フィンランドの作曲家オウティ・タルキアイネン(1985年生まれ)の《生命の激流》(2023)は、ペッカ指揮ヘルシンキ・フィルによって世界初演されました。彼女自身の妊娠・出産における「魔法のような」(作曲者記)体験から生まれたというドラマティックな作品で、生命の誕生、新しい始まり、といったメッセージが込められています。同時にこの作品を作曲中に亡くなったフィンランドの偉大な先輩カイヤ・サーリアホの思い出も反映されており、さらに終盤にはシベリウスの交響曲第4番冒頭の引用も。都響は、サーリアホ作品もタルキアイネン作品も、そしてもちろんシベリウス第4交響曲も演奏歴があるので、その流れから自然にこの曲を採り上げることにしました。



     ハイドンの「告別交響曲」は、ペッカならではのアイデアです。
     エステルハージ家の宮廷楽長を務めていたハイドンが、休暇をもらえないと嘆く単身赴任の楽員たちの訴えをニコラウス侯に伝えようと、終楽章で演奏者が一人ずつ舞台を去っていく仕掛けを施したことで知られるユニークな交響曲ですが、音楽的にも大変充実したハイドンの傑作の一つとして人気があります。
     この曲では、ペッカはコンサートマスターの位置に座り、ヴァイオリンも演奏しながらオーケストラ全体をリードします。その上で、終楽章でどのような演出がなされるのか、リハーサルが始まってみないと誰にもわかりません。ペッカと都響楽員の演技(?)にもご注目ください。

     ラウタヴァーラの交響曲第7番《光の天使》(1994)は、1997年に発表されたCD(レイフ・セーゲルスタム指揮ヘルシンキ・フィル)がグラミー賞にノミネートされるなどして広く知られ、世界各地のオーケストラのレパートリーに取り入れられていった曲です。
     前衛的な作曲技法に疑問を感じて、いわゆる“新ロマン主義”と“神秘主義”が融合したような作風に至ったラウタヴァーラの作品には「天使」という言葉をタイトルに持つ曲がいくつかあり、《光の天使》もその「天使シリーズ」の一つです。
     ラウタヴァーラにとっての「天使」は私たちのイメージに定着している翼を持った優美な姿のそれではなく、『ライナー・マリア・リルケの作品に登場する、聖なる怒りを漲らせた恐ろしくも力強い男性像に似ています。リルケは「…すべての天使は恐ろしい…」と述べています。これらの天使は、子供向けの童話に出てくるような存在ではありません。』と記しています。と同時に、特定の物語やプログラムなどはないとも語っており、聴く人それぞれに想像をふくらませれば良いと思います。セーゲルスタムやヴァンスカらの録音とはまた異なるペッカの解釈や表現を楽しんでいただきたいのと、何よりも大ホールでのライヴでしか味わえない立体的で夢幻的な音響に身をゆだねていただきたいと思っています。

    ◆6/19定期B、6/20都響スペシャル

     2つ目のプログラムは、ペッカからの提案がより多く反映されています。以前ペッカがとても好きだと語っていたシベリウスの交響曲第5番を最後に置くことを提案すると、彼は組み合わせる曲目についてあれこれ考えをめぐらせ、同じシベリウスの《恋人》とヒルボリの《バッハ・マテリア》を提案してくれました。

     シベリウス《恋人》は日本でもしばしば演奏される柔らかな表情の美しい小品。弦楽オーケストラと少しの打楽器のために書かれています。ペッカはこの曲もコンサートマスターの位置からオーケストラを率います。

     アンデシュ・ヒルボリ(1954年生まれ)の痛快この上ない《バッハ・マテリア》(2017)は、ペッカがトマス・セナゴー指揮ロンドン・フィルと共演しているビデオがYouTubeで観られますが、なにしろ即興演奏の名手でもあるペッカのために書かれた曲であり、しかも今回はセンターに立って弾き振りするとのことで、また違った味わいのエキサイティングな演奏になるのではないかと思います。



     以上の3曲では少し物足りないと思い、ペッカにもう1曲追加を相談したところ、提案されたのがアンドレア・タッローディ(1981年生まれ)の《きりん座》(2011)です。彼女自身が見た夢から発想した幻想的でスケールの大きな曲です、中間部ではファゴットによる夢見るような「キリンの歌」(作曲者記)が聞こえてきます。大自然や宇宙を感じさせる響きは、シベリウス5番への導入としてもぴったりだと思い、後半の1曲目に置くことにしました。



     6/13のプログラムのタルキアイネンもそうですが、今の作曲家たちは、もはやかつての“ゲンダイオンガク”のイメージなどはとっくに超越したところで自由な創作活動を行っています。
     アンドレアは、この演奏会のために東京に駆けつけるとのことです。余談ですが、私個人的には、彼女があのスーパー・トロンボーン奏者にして指揮者のクリスチャン・リンドバーグの娘さんだという情報が一番印象的でした。

     1つ目のプログラムに比べるとオーケストラの編成はやや小さいものの内容豊かで、フィンランドとスウェーデンの作曲家に絞ったぶん、全体にシンプルかつ、ややチャレンジングなプログラムになったと思います。サントリーホールの引き締まった雰囲気によく合うのではないでしょうか。




     私は昨年(2025年)9月下旬にペッカと契約書を交わすためにヘルシンキを訪れ、彼が指揮するヘルシンキ・フィルの演奏会を聴きました。会場のヘルシンキ音楽センターは満席。アメリカの作曲家ガブリエラ・スミス(本人も来場しプレトーク)のオルガンと管弦楽のための《呼吸する森》と、ベートーヴェン《田園》というプログラムで、ペッカは前者では純粋に指揮し、後者ではコンサートマスターの位置からリードするというスタイルでした。作品への共感に満ち、管打楽器奏者たちともアイコンタクトを交わしながらの生き生きした演奏や、彼の礼儀正しくもフレンドリーなステージマナーは、オーケストラのメンバーからも聴衆からもとても愛されていることがわかりました。
     ヘルシンキ・フィルのゼネラル・マネジャーはペッカの都響でのポストをとても喜んでくれましたし、たまたま前日にフィンランド放送響を指揮していたスザンナ・マルッキに会った時もペッカの話になりました。
     また、ヘルシンキの前にロンドンで多くの音楽マネジメント関係者に会いましたが、何人もの人がペッカと都響のコンビネーションに祝意と興味と期待を寄せてくれ、彼が各地の音楽祭などでもいかに人気があるかなどを話してくれました。
     ペッカとのコラボレーションが、都響が国内外からより注目を集める新しいきっかけになってくれたらいいなと思いますし、そうなるように知恵を絞りたいと思っています。

    © Rikimaru Hotta
  • 指揮者が生まれるフィンランド

    文/坂田亜希

    多くの指揮者・ソリストを輩出しているフィンランドの音楽教育について、東ヘルシンキ音楽学校で教鞭を執る傍ら、シベリウスアカデミー修士課程で学んでいる坂田亜希さんに寄稿いただきました。

    なぜフィンランドから指揮者がたくさん生まれるのか。
    © Reinhard Winkler

     なぜフィンランドから指揮者がたくさん生まれるのか。この疑問に答えるには、フィンランドの歴史、文化、音楽教育制度を理解することが避けて通れません。隣国に翻弄され続ける歴史や小国であるという自覚は、国民一人残らず育てないといけない危機感や必要性につながり、2000年代初頭にフィンランドの教育が世界中で脚光を浴びたのは記憶に新しいところです。同時に、小国であることはフットワークが軽く、変化や新しいものへ柔軟な態度、平等な人間関係や情報の透明性を生んできました。このような文化背景は音楽教育にも反映されているように思います。

     フィンランドの音楽を取り巻く環境を知るには、「芸術基礎教育(Taiteenperusopetus)」の理解が欠かせません。これは、小中学校のような学校教育とは別枠で教育省が定めている制度です。日本だと民間が運営する習い事教室の指導内容や基準が国によって定められていて、そこで教える先生たちの免許が学校の先生とは別に存在するということになります。歴史的に音楽からスタートした「芸術基礎教育」の内容は定期的に改訂され、最近ではダンス、建築、サーカスなどが含まれますが、今でも音楽が圧倒的な存在感を示し、規模も一番大きいです。生徒のほとんどは、職業として音楽家を目指しているわけではなく、あくまで習い事なのは日本と同じです。この指導要領に従わないと違法になるとか、免許を持たない人が教えることを禁止されている訳ではありません。ただ、この要領に従っている学校や教室は、国や自治体の助成金を受けることができ、助成金が運営費の7~8割を占めます。つまり、生徒が払う授業料はたったの2~3割。要領に縛られず教室を開くことは自由ですが、そういった学校は授業料でたちうちできないので、完全プライベートで音楽レッスンを受ける人の割合はかなり小さいです。
     構成主義に基づいている指導要領は「学ぶ側」の視点に立つことが徹底していて、ここでフィンランドのフラットな人間関係が生きてきます。子どもの時から先生とファーストネームで呼び合い、大学のレベルにもなれば先生と生徒は徹底的に議論。先生は生徒に何かを与える人ではなく、学ぶプロセスを一緒に歩んでくれる人なのです。
     そして、人を育てるには「時間、労力、お金がかかる」というコンセンサスが社会にあります。音楽学校の入学・卒業の年齢や在学年数は定まっていなくて、グレード試験を飛び級で合格していく子もいれば、何年も同じグレードで練習を続ける子います。
     先生の養成にも労力が割かれています。芸術基礎教育だけでなく「先生」と名の付く様々な仕事は、免許の有無が給料に影響するので、先生の自発的な研鑽に頼らずとも免許取得に具体的なインセンティブがあります。




     厳しい財政状況は、教育や文化予算も聖域ではなくなってきていますが、国会議事堂を取り囲むように立つシベリウスアカデミーの3つの校舎の立地は、国を挙げて芸術家を育てるという意気を感じます。
     指揮科の授業や演奏会ではステージマネージャーを学校が用意してくれて、学生が譜面台一本運ぶ必要なく、入学試験に合格した瞬間からプロとしての振る舞いを求められます。同時に失敗や新しいことへの挑戦に寛容で「決して誰かのコピーをするな」という言葉を、学科を超えた先生から耳にします。クラシック音楽では何世紀も昔の作品を演奏することも多いですが、あくまで今を生きる表現者として、今この瞬間に何をするのかということを模索。まず演奏者であることが指揮者に求められているのです。

    ヨルマ・パヌラ氏© Sinihappo
     さて、フィンランドから生まれる指揮者達のことは、ヨルマ・パヌラ氏抜きには語れません。95歳の大御所も10代前半の生徒にも「ヨルマ」とファーストネームで呼ばれるフィンランド文化は先ほど書いた通り。彼はビデオカメラが普及し始めた当時、きっと高価だったであろうカメラの予算をどこかから確保してきて、新しい技術をレッスンに導入しました。このエピソード一つとっても、新しいものをとりあえず試してみるというフィンランドの姿勢が伺えます。彼の作り上げた、本当の演奏者を前に指揮し、ビデオを撮り、「しゃべるな、(演奏者を)助けろ!(Älä puhu, auta)」という徹底した教えは、今でも脈々とシベリウスアカデミーで受け継がれています。「アラ・プフ、アウタ」。カタカナにするとたった7文字のこのフレーズに、彼のすべての教えはたどり着きます。全てを指揮棒と体や存在で示す。もともと無口でシャイなフィンランド気質が、一旦演奏が始まれば一音も発することができず、全てを演奏者に託すしかない指揮者という職業に絶妙にマッチしたのかもしれません。
     その延長に世界へ羽ばたいていっている指揮者たちがいるのです。

楽員インタビュー

  • 酒井 幸

    © 平舘平

映像

  • ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92

  • ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集《四季》op.8 nos.1-4

  • シベリウス:交響曲第7番 ハ長調 op.105/指揮 オスモ・ヴァンスカ

公演情報

第1039回定期演奏会Bシリーズ

2026年3月19日(木) 19:00開演(18:00開場)サントリーホール

出演

指揮/ピエタリ・インキネン
ピアノ/キット・アームストロング

曲目

ラヴェル:ラ・ヴァルス
サン=サーンス:ピアノ協奏曲第4番 ハ短調 op.44
プロコフィエフ:交響曲第3番 ハ短調 op.44

※公演終了


第1040回定期演奏会Cシリーズ(平日昼)

2026年3月26日(木) 14:00開演(13:00開場)東京芸術劇場

都響スペシャル

2026年3月27日(金) 19:00開演(18:00開場)サントリーホール

出演

指揮/オスモ・ヴァンスカ

曲目

シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 op.39
シベリウス:交響曲第4番 イ短調 op.63


※公演終了


第1043回定期演奏会Bシリーズ

2026年4月24日(金) 19:00開演(18:00開場)サントリーホール

出演

指揮/キリル・カラビッツ
ピアノ/久末 航
オルガン/オリヴィエ・ラトリー*

曲目

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 op.15
カイヤ・サーリアホ:地球の影(2013)* [日本初演]
プロコフィエフ:交響曲第4番 ハ長調 op.47(1930年初版)

※公演終了


第1045回定期演奏会Aシリーズ

2026年6月13日(土) 14:00開演(13:00開場)東京芸術劇場

出演

指揮&ヴァイオリン*/ペッカ・クーシスト

曲目

オウティ・タルキアイネン:生命の激流(2023)[日本初演]
ハイドン:交響曲第45番 嬰ヘ短調 Hob.I:45《告別》*
ラウタヴァーラ:交響曲第7番《光の天使》(1995)


第1046回定期演奏会Bシリーズ

2026年6月19日(金) 19:00開演(18:00開場)サントリーホール

都響スペシャル

2026年6月20日(土) 14:00開演(13:00開場)サントリーホール

出演

指揮&ヴァイオリン*/ペッカ・クーシスト

曲目

シベリウス:組曲《恋人》op.14*
アンデシュ・ヒルボリ:バッハ・マテリア(2017)*[日本初演]
アンドレア・タッローディ:きりん座(2011)[日本初演]
シベリウス:交響曲第5番 変ホ長調 op.82


第1047回定期演奏会Bシリーズ

2026年7月17日(金) 19:00開演(18:00開場)サントリーホール

第1048回定期演奏会Aシリーズ

2026年7月18日(土) 14:00開演(13:00開場)東京芸術劇場

出演

指揮/スザンナ・マルッキ
バス/ジョン・レリエ*
メゾソプラノ/シルヴィア・ヴェレシュ*

曲目

デュカス:歌劇『アリアーヌと青ひげ』第3幕への前奏曲
ドビュッシー:《夜想曲》より「雲」「祭」
バルトーク:歌劇『青ひげ公の城』 Sz.48(演奏会形式)*


プロムナードコンサートNo.418

2026年7月25日(土) 14:00開演(13:00開場)サントリーホール

出演

指揮/ミカエル・ロポネン
ピアノ/ヤンネ・メルタネン

曲目

ショパン:ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 op.11
シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 op.43