クシシュトフ・ウルバンスキよりメッセージ(ショスタコーヴィチ交響曲第5番に寄せて)
ニュース- 都響に初登場するクシシュトフ・ウルバンスキから、5/16定期演奏会Bシリーズ及び5/17都響スペシャルで採り上げるショスタコーヴィチ交響曲第5番のメッセージをいただきました。
「真の傑作であるこの曲は、ショスタコーヴィチを取り囲んでいた世界を鏡のように映し出しています」
ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、間違いなく最も偉大な交響曲であり、私個人としても非常に好きな作品の一つです。真の傑作であるこの曲は、ショスタコーヴィチを取り囲んでいた世界を鏡のように映し出しています。彼はこの作品で、1937年のレニングラードにおける生活の現実を、自分の視点から描き出しました。彼にとってそれは「最悪の時代」でした。オペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の初演後、このオペラに対するスターリンの厳しい反応に端を発した糾弾の後、ショスタコーヴィチは当局から厳重に監視されることになったのです。彼は尋問に呼び出されましたが、運命のいたずらによって逃れることができました。彼を担当するはずだった尋問官自身が逮捕されてしまったのです。ショスタコーヴィチは日々、自分の命と家族の安全を脅かされていました。それというのも、「大粛清」の時代には、多くのソヴィエト市民が予告なく逮捕され、秘密裏に処刑されるか、あるいは強制収容所(グラーグ)に送られていたのです。自分もいつ逮捕されてもおかしくないと考えたショスタコーヴィチは、小さなスーツケースに荷物を詰めこみ、昼夜を問わず準備を整えていました。
しかし、このような脅威を感じながらも、彼の作曲に対する思いは途絶えることはありませんでした。彼は圧力に耐えながら、弾劾の危険を回避すべく、当局を満足させる新たな音楽を生み出す方法を見つけなければなりませんでした。彼の交響曲第4番は、不協和音、陰鬱な雰囲気、そして沈黙へと消えゆく終わり方が批判の対象となりました。そこで交響曲第5番では、彼は意識的に音楽言語を簡素化し、当局が「親しみやすい」と判断する作品を生み出そうとしました。それはつまり、明るい精神に満ち、力強く勝利を描く交響曲でした。
このような疑わしい状況下において、才能ある若い作曲家が打ちのめされ、ソヴィエトのプロパガンダを担ぐ者に変えられてしまったと思われるかもしれません。というのも、表面上この交響曲は、オーケストラの華麗な響きに満ち、楽観的で「幸せ」そうに聞こえるからです。しかし私は、この交響曲こそ極めて悲劇的であると感じています。注意深く聴けば、多層的な意味を発見することができるでしょう。ロシアのマトリョーシカ人形を開けると、中からさらに次々と小さな人形が出てくるように、多層的な入れ子構造のようになっているのです。本作の真の魅力とは、作曲家の最も個人的な思いが、音符の間に隠されている点にあります。
この交響曲は、少なくとも私には、大きく2つの部分に分かれているように思えます。最初の2つの楽章では、ショスタコーヴィチは観察者、客観的な語り手として世界を描いています。彼は窓辺に座り、外の奇妙で無秩序な世界を眺めているかのようです。その世界は白黒のくすんだ色調で現れ、完全に希望を失ったように見えています。第1楽章では、どのフレーズも希望を持って高揚しますが、やがて悲観主義に落ち込んだ状態へと戻ってしまいます。
第2楽章「アレグレット」にもやはり隠されたメッセージがあります。表面的には喜劇、冗談、スケルツォのように聞こえるかもしれませんが、真実を語ることが死へとつながりかねない非人道的な環境下では、皮肉や風刺、グロテスクな表現が現実を偽装する手段となることを忘れてはなりません。この楽章でショスタコーヴィチは、カーニバルの歪んだ鏡に映る世界を見せているのです。まるで、泥だらけの汚れた通りで、ぼろをまとった酔っ払いたちが、優雅なチャイコフスキーのバレエの「ワルツ」を踊っているかのようです。
私にとって、この交響曲全体の鍵となるのは第3楽章です。この楽章でショスタコーヴィチは、まったく異なる超個人的な次元へと私たちを導きます。ここでのドラマは、彼の魂の内部で起きているものです。これは間違いなく、彼が書いた最も個人的な音楽でしょう。楽章全体が祈りであり、彼の内なる自己との対話となっています。弦楽器はロシア正教会で歌われる聖歌隊の音楽のように響き、管楽器のソロは彼自身の個人的な思いを親密に打ち明け、心を揺さぶります。そしてこの楽章は、2音の「アーメン」で終わります。
そして、本当の悲劇が始まります。私が「恐怖のモチーフ」と呼ぶ主題によって、スターリンの秘密警察NKVDが登場するのです。彼らは本気で作曲家を追い始め、命懸けの逃走劇となります。ここでショスタコーヴィチのメトロノーム記号を分析すると、興味深いことがわかります。彼は「アレグロ・ノン・トロッポ」を4分音符=88という比較的穏やかな、歩く程度の速さで始めますが、8小節目では「アッチェレランド・ポコ・ア・ポコ」、つまり徐々にテンポを速くするように指示しています。その3小節後には、メトロノーム記号は104となり、そしてほんの数ページの間に108、120、126、132……とさらに加速します。後ろを振り返ると、追っ手は迫って来ており、彼はさらに速く走り続けます。そしてついには逃げ切ったかのように思われますが、それは幻想であることがわかります。メトロノーム記号は最速に達し、2分音符=92という冒頭のほぼ倍の速さとなっています。ところが、ここで聞かれるのは威圧的な冒頭のテーマです。元の音価の倍の長さで記譜されているため、「恐怖のモチーフ」は最初と同じ速さで聞こえるのです。巡り巡って同じ場所に戻ってきただけのこと。主人公は罠にはまり、辛い現実を目の当たりにします。どれだけ速く走っても、追っ手から逃れることは決してできないのです。
続いて、ティンパニが執拗に叩きつける低いA音のオスティナートとともに、犠牲者の洗脳が始まります。そして交響曲の終わりが来ると、「恐怖のモチーフ」にまったく新しい光が注がれます。明るく開放的なニ長調の響きとなり、勝利のフィナーレを告げるかのようです。しかし、執拗に、そしてほとんど神経質に繰り返される属音のA音が、今やオーケストラ全体で鳴らされます。それはロシアの民衆、ひいては作曲者自身の頭をも打ちつける棍棒であり、音楽は「歓喜せよ! 歓喜せよ! 歓喜することこそが、おまえたちの務めだ!」と繰り返し叫んでいるのだ、そうショスタコーヴィチが述べたと言われています(※)。ここで彼が言及しているのは、ムソルグスキーのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』の一場面です。冷酷な貴族たちが民衆を殴りつけ、新たな皇帝を自称するボリスに対して歓喜の賛辞を贈らせるのです。これは、普遍的で絶対的な称賛を求め、異議を唱える者に対しては残忍な処罰を行った独裁者スターリンを暗に示していたのです。
同様にショスタコーヴィチもまた、自らを独裁体制の無力な道具として描き、迫害者の方へと向き直って、こう繰り返すのです。「然り ! ソヴィエトの芸術家として、私の務めは歓喜することだ。私の務めは歓喜することだ……」。この騒々しい歓喜こそ、実は彼の内面の悲劇を描いているのです。
(ジョン・ソーンリーによる英訳からの重訳/飯田有抄)
※ ソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』(英語版1979年刊行)
(ロシア語原稿から翻訳された日本語版は中央公論社から1980年刊行、水野忠夫訳)
by courtesy of Alpha Classics
2025年5月16日(金) 19:00開演 サントリーホール
都響スペシャル(5/17)
2025年5月17日(土) 14:00開演 サントリーホール
指揮/クシシュトフ・ウルバンスキ
ピアノ/アンナ・ツィブレヴァ
【ショスタコーヴィチ没後50年記念】
ペンデレツキ:広島の犠牲者に捧げる哀歌
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 op.102
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 op.47
5/16第1021回定期演奏会Bシリーズ 公演詳細
5/17都響スペシャル 公演詳細