デイヴィッド・メイソン

ヴィオラ

デイヴィッド・メイソン (デイヴィッド・メイソン) David MASON

(2022年10月17日入団)

1991年、米国ウィスコンシン州生まれ。8歳よりヴィオラを始める。2009年、インターロッケン・アーツ・アカデミーを卒業。その後、ボストンのニューイングランド音楽院で全額奨学金を得て学び、2013年、学士号を取得。2015年、同じく全額奨学金を得てイェール大学で音楽修士号を取得した。デイビッド・ホランド、マーサ・カッズ、エトレ・カウサの各氏に師事。
2017年に来日し、兵庫芸術文化センター管弦楽団に入団。2020年、日本フィルハーモニー交響楽団に入団し、2021年に首席ヴィオラ奏者に就任。2021年、パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌、オーケストラ・アンサンブル金沢に客演首席奏者として出演。現在、東京都交響楽団ヴィオラ奏者。東京都在住。

私の音楽はじめて物語

ニューイングランド音楽院で<br />
(2012年12月/大学4年生)
ニューイングランド音楽院で
(2012年12月/大学4年生)
ヴィオラ

 アメリカ中北部ウィスコンシン州、ミルウォーキー近郊の街ケノーシャで生まれ育ちました。地元には音楽教育プログラムがあり、8歳の年の春に小学校の皆とミルウォーキー響を聴きに行きました(モーツァルトの交響曲第40番、リムスキー=コルサコフの《シェヘラザード》など)。その後、学校に音楽教育プログラム専任の先生が来て音楽の話をしてくれて、やりたい楽器があったらそのコースに申し込んでください、と。
 演奏会で弦楽器に興味を持ち、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを見た中でヴィオラを選びました。楽器の形の美しさと音色の深さに惹かれて。ほとんどの子がヴァイオリンを選んだので、ちょっと違うことをやりたかったのかもしれません。家族にも親戚にも音楽をやっている人はいなくて、両親は反対はしませんでしたが「やるのなら途中で止めない
ように」と言われたことを憶えています。
 6月にヴァイオリン/ヴィオラ混成の10~15人くらいのグループレッスンが始まり、まずは楽器の持ち方から習い、「きらきら星」など簡単な曲を弾きました。やがて3人の少人数レッスンに切り替わったころ、先生が「この子には才能があります。もっと本格的にやってみては」と両親に言ってくれて、9月に個人レッスンが始まりました。
 ヴィオラとの出会いから個人レッスンまで導いてくれたのは、エリザベス・ターセク先生。ウィスコンシン州には大きな音楽院がないですから、適性のある子を見つけたら早めにレッスンを受けるよう指導している方でした。この出会いがなければ今の自分はありません。先生にはとても感謝しています。ターセク先生には8歳から13歳までお世話になり、今でも交流があります。

音楽家になりたい

 11歳でインターロッケン音楽祭(ミシガン州)に初めて参加、プロの演奏家と出会い、音楽祭オーケストラも聴いて、とても刺激を受けました。音楽家になりたい、と意識したのはこの頃だったと思います。
 音楽祭で室内楽コースに参加、ハイドンからショスタコーヴィチまでカルテットを体験しましたが、13歳の時にデイヴィッド・ホランド先生に出会ったのが大きな転機になりました。人間として器の大きな方で、生徒を総合的に理解し、悲しい時や苦しい時にどう自分の感情をコントロールするか、前向きの気持ちをどう保つか、アドヴァイスしてくれる方でした。ホランド先生が「高校生になったらレッスンを受けに来てはどうか」と誘ってくださったので、先生が教えているインターロッケン・アーツ・アカデミー(高校/全寮制)を目指すことに。
 アメリカ中北部は保守的な土地柄で、人はあまり外へ出たがらない。両親も当初は高校から地元を離れることに反対でしたが、ターセク先生が「せっかく才能があるのだから、それを100%伸ばすには地元に居てはダメだと思います」と説得してくれて、情勢が変わりました。
 アカデミーでは数学や語学など一般教科も厳しく、大変でした。ヴィオラはホランド先生の下で基礎的な練習を続け、レパートリーを拡大。室内楽のクラスもあり、オーケストラではベルリオーズ《幻想交響曲》やチャイコフスキーの交響曲第5番などを演奏しました。
 進学を考えた時期に、ニューイングランド音楽院は弦楽器の教育で評価が高く、また古都ボストンに憧れがあったので、同音楽院へ。マーサ・カッズ先生に師事しました。キム・カシュカシャンら第一線で活躍している方が教えに来ていたのが励みになりましたし、ボストン響もよく聴きに行きました。
 ニューイングランド音楽院は良い学校でしたけれど、組織が小さく、全く違う空気のところへ行きたくなって、イェール大学修士課程へ進学。エトレ・カウサ先生に師事しました。イェール大学では学科も興味深くて、音楽理論や音楽史が面白かったですね。
 さらにボストン大学博士課程へ進学、ミシェル・ラコース先生に師事しました。しかし入学してから迷い始めまして。博士課程ですから、かなりアカデミックな勉強をして論文を書かなければならない。演奏家として精進することと両立できるのか。やはり後者を優先したいと考えた時期に、たまたま兵庫芸術文化センター管の公募を見て、オーディションを受け、博士課程は中退しました。
 もちろんアメリカのメジャー・オーケストラに入りたい気持ちはありましたが、あまりにも競争が厳しくて入団が難しい。ならば早く演奏の現場で腕を磨きたいと思いました。兵庫へ来たのはある意味偶然で、あの時ヨーロッパや他のアジアの楽団の公募があればそこを受けたかもしれません。

日本へ

 2017年に兵庫へ来ました。佐渡裕さん指揮のメシアン《トゥーランガリラ交響曲》、四方恭子さんがコンサートマスターを務めたヨエル・レヴィ指揮のプロコフィエフ《ロメオとジュリエット》などが思い出に残っています。
 兵庫は3年契約でしたので、間もなく次のオーディションを受け、2020年1月に日本フィルへ移籍。ところが直後にコロナ禍が始まり、この時期はつらかったですね。演奏会がなくなり、東京へ来たばかりで知り合いもなく、とにかく練習するのと、ネットでアメリカの友人と話したり、日本語の勉強をしたりしていました。演奏会再開後はカーチュン・ウォン指揮のマーラーの交響曲第5番などが印象に残っています。
 ご縁があって2022年3月に都響のオーディションを受け、5月から試用期間、入団は10月です。都響は集中度が高く、音のまとまりが良いオーケストラ。とても雰囲気が良くて、ストレスなく演奏に専念できます。日本は世界の中で平和な国で、東京は何をやるにも便利で、文化的に活気がある都市です。今はよほどのことがない限り東京を離れる気はありません。オーケストラに自分のような外国人が居ることで、日本人だけでは分からない何かに役立つことがあればいいなと感じています。

(『月刊都響』2024年1月号 取材・文/友部衆樹 通訳/等松春夫)

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