江口心一

チェロ 副首席奏者

江口心一 (えぐちしんいち) Shin-ichi EGUCHI

(2000年1月1日入団)

 3歳よりヴァイオリンを始め8歳の時にチェロに転向。
 1991年3月に桐朋女子高等学校音楽科(共学)を卒業。
 1991年8月にベルギーのブリュッセルに留学。
 1992年フランスのパリ国立高等音楽院に首席で入学。
 1997年同校で一等賞(プルミエ・プリ)を獲得。
 2000年より東京都交響楽団チェリスト。同時に室内楽奏者としても活躍中。
 作曲も手がけているピアニストの稲本 響との共演も多数行っている。稲本が音楽監督を務める映画、「長い散歩」、「イキガミ」、「スープオペラ」、「星守る犬」の中で流れるチェロも演奏している。

リリースされたCD
「ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲集」
「ジャパニーズチルドレンズソング・ヴァイオリン&チェロ」
「20世紀の無伴奏チェロ作品」
「日本弦楽三重奏曲の世界」

私の音楽はじめて物語

発表会で(小5)
発表会で(小5)
 姉(江口有香/ヴァイオリニスト)が習っていたので、私も同じスズキ・メソードの教室に通って安田廣務(ひろむ)先生に師事、ヴァイオリンを始めました。3歳からです。姉は練習をしっかりやる子だったので、身近にいた私は曲が全部耳に入っていて、練習が大嫌いだったのにもかかわらず、進むのは速かった。
 7歳の時、バッハ《2つのヴァイオリンのための協奏曲》の第2ヴァイオリンを弾きました。姉はもっと難しい第1ヴァイオリンを弾き、姉弟で共演できて自分では大満足だったのですが、それを聴いた母が「この子は姉を超えることはないだろう」と判断したらしい。「他の楽器にしない?」と勧められたのがチェロでした。
 ヴァイオリンは練習も本番も立って弾くのが基本ですが、チェロはずっと座って弾く。ラクでいいな、が第一印象でした。安易な動機です(笑)。佐藤満みつる先生に師事。先生との会話が楽しく、教則曲も基本的にヴァイオリンと同じでしたから、やはり進むのが速くて面白かった。
 小5、小6の時に「テン・チルドレン」(スズキ・メソードで学ぶ子どもたち10人による海外演奏ツアー)に選ばれてアメリカやオーストラリア、ヨーロッパへ行き、フォーレ《エレジー》を弾いたのが思い出に残っています。
 中1で松波恵子先生に替わりました。松波先生には、自分に一番欠けていた基礎を、本当に真剣に、一つひとつ細部まで徹底いただいたと思います。
 中2のころから音楽高校へ行こうと思い、その時期にピアノとソルフェージュを始めたので大変でした。桐朋女子高校音楽科(共学)へ進学。高2でジルベール・ザンロンギ先生(モネ劇場首席チェロ奏者/当時)の公開レッスンを受けた際、とても気に入ってくださって「今すぐヨーロッパへ来なさい。君ならパリ音楽院へ入れるから」と。さすがに高校をやめて行くことにはためらいがあり、卒業後に渡欧したのが1991年です。
 ブリュッセルでザンロンギ先生にプライヴェートでレッスンを受け、翌年パリ音楽院に入学。ジャン・マリ・ギャマール先生(パリ・オペラ座首席チェロ奏者/当時)に師事しました。
 パリ音楽院で5年間学び、1997年にプルミエ・プリを獲得。その後も3年ほどフランスに居て、オーケストラやオペラで首席チェロ奏者の募集があるたびにオーディションを受け、ずっと落ち続けていました。なぜトゥッティに応募しなかったのか、自分でも理解できないのですが(笑)。
 何も結果を出せず、このままでは日本に帰れないと思い詰めていた時に、姉から「都響がチェロ奏者を募集しているよ」と情報をもらいまして。急遽帰国してオーディションを受け、合格。入団は2000年です。
 都響で弾き始めて、改めてオケのトゥッティで弾くことの難しさを痛感しました。弓を構えるタイミング一つで全てが崩れたりする。まだまだ勉強の日々です。
 都響は素晴らしいオーケストラです。なのでもっと良くなる、もっと良い音を作れるはずだ、と欲が出てしまいます。今に満足せず、さらに先へ進んでいきたいですね。

(『月刊都響』2014年9月号 取材・文/友部衆樹)

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