古川展生

チェロ 首席奏者

古川展生 (ふるかわのぶお) Nobuo FURUKAWA

(1998年6月1日入団)

 桐朋学園大学卒業。1995年第64回日本音楽コンクールチェロ部門第2位入賞。1996年ハンガリーのリスト音楽院に留学。1998年帰国後、都響首席チェロ奏者に就任、現在に至る。2003年第2回齋藤秀雄メモリアル基金賞受賞。2011年第31回藤堂顕一郎音楽褒賞受賞。2013年第31回京都府文化賞受賞。2010年より桐朋学園大学にて非常勤講師として勤務。
 ソリストとしても、ハンガリー・ソルノク市立響の定期演奏会に招かれるなど、国内外のオーケストラ、著名指揮者との共演も多数。また、全国各地においてソロ・リサイタル、室内楽の活動を展開。他ジャンルのアーティストとのコラボレーションも積極的に行い、映画『おくりびと』ではテーマ曲のソロ演奏を担当するなど、人気、実力ともに各方面から最も注目を集めているチェリストである。これまでに7枚のソロ・アルバムと2枚のベスト・コレクションをリリース。2007年には、ユニット「KOBUDO−古武道−」を結成。新たな音楽の創造を目指し演奏・制作活動を展開中。

私の音楽はじめて物語

演奏旅行中、フランスで(高3)/<br />
左は同じく演奏旅行に参加した高橋純子(現・都響チェロ奏者)
演奏旅行中、フランスで(高3)/
左は同じく演奏旅行に参加した高橋純子(現・都響チェロ奏者)
 母がピアニスト、父がクラシック音楽好き、という家庭で、自分も5歳からピアノを始めました。が、習いごとという感じであまり熱心ではなかったですね。
 両親はチェロも大好きで、第一人者として活躍されていた井上頼豊(よりとよ)先生を尊敬していました。それである時、頼豊先生が月に1回大阪へ教えに来ていて、レッスンを受けられる、という話を親が聞きつけ、そんなチャンスがあるのだから、チェロをやってみないか、と勧められて始めました。小3の時です。
 その際、母に「10分でも20分でもいいから、とにかく毎日楽器を弾きなさい」と言われたのを覚えています。それまでの習いごととは違う、本格的に何かを学ぶのだ、ということを子ども心ながら感じました。
 頼豊先生には大学時代までレッスンを受け、基礎から音楽的なアプローチまで、大事なことをたくさん教えていただいたと思います。
 小4から桐朋の子どものための音楽教室(茨木教室)へ通い、(弦楽)合奏の授業が本当に楽しかったですね。小6の時に北陸へ演奏旅行があり、合奏はもちろん前半でソロも弾かせていただき、サン=サーンスの《白鳥》《アレグロ・アパッショナート》を演奏したのが思い出に残っています。
 中2で進路を考えた時、頼豊先生に専門的なレッスンを少しでも多く受けたい、という気持ちが強くて、桐朋を目指すことに。高校から親元を離れて1人暮らしをするのは一大決心でしたし、いよいよ音楽の道へ進むことになる、後戻りはできないな、と覚悟を決めた記憶があります。
 高1でオーケストラを初体験、《ジュピター》でした。高2でカルテットを始め、チェロは人数が少なく引っ張りだこで、盛んに弾いていましたね。大学では頼豊先生と並行して秋津智承先生、山崎伸子先生にもお世話になりました。
 大学卒業後、リスト音楽院(ハンガリー)へ留学。この2年間はとても大きな財産になっています。大学1年からあちこちのオーケストラへエキストラとして参加、いつの間にか忙しくなっていましたが、それを一度全部断ち切って、朝から晩までチェロのことしか考えない時間を過ごすことができた。チャバ・オンツァイ先生の正統的なレッスンがあり、現地で触れたハンガリーの音楽家たちの層の厚さにも圧倒されました。
 留学して半年経ったころ、都響からチェロ首席のオファーを受けました。私は2年間の奨学金でハンガリーへ来ているので、すぐには帰国できないんです、とお返事したところ、その後の1年半を待ってくださった。これはありがたかったですね。都響へ入る目的をもって留学を全うできましたから。
 1997年秋にドヴォルザークの協奏曲を都響と弾かせていただき、それがオーディション代わり。入団は1998年です。
 今年は創立50周年という節目の年を迎え、秋にはヨーロッパ演奏旅行もあります。個人としてもチェロ・セクションとしても良いコンディションで参加して、都響として一つの歴史を刻めるように頑張っていきたいですね。

(『月刊都響』2015年3月号 取材・文/友部衆樹)

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