樋口雅世

ヴィオラ

樋口雅世 (ひぐちまさよ) Masayo HIGUCHI

(2010年3月1日入団)

東京芸術大学音楽学部卒業、シンシナティ大学音楽院修士課程修了。
全日本学生音楽コンクールヴァイオリン部門中学校の部大阪大会第1位受賞。
長野アスペン音楽祭にて茂田賞受賞、ABC新人オーディション合格。芸大モーニングコンサート出演、同声会賞受賞。
米国アスペン音楽祭フェローシップ参加、ジェラルディン・ジー国際基金ヴィオラコンクール第1位受賞。
2003年ライオネル・ターティス国際ヴィオラコンクール特別賞受賞。
ヴァイオリンを曽我部千恵子、工藤千博、小栗まち絵、清水高師、若林暢、塚原るり子各氏、
ヴィオラを川崎雅夫、キャサリーン・キャロル、シカゴ交響楽団副首席奏者リークオ・チャン、同楽団ローレンス・ニューマン各氏に師事。
室内楽をフェルメール・カルテット第1ヴァイオリン奏者シュムエル・アシュケナージ氏に師事。
2009年に帰国するまでオレゴン交響楽団、シカゴ・グラントパーク音楽祭オーケストラ、IRISオーケストラ団員。
2010年東京都交響楽団入団。

私の音楽はじめて物語

ヴァイオリンの発表会で(3~4歳)
ヴァイオリンの発表会で(3~4歳)
 母が自宅でヴァイオリンを教えていましたので、日常的に音楽を聴きながら育ちました。3歳ころに自分から「ばよりんする。」と言ったそうです。基礎レッスンは母から受け、小1から曽我部(そがべ)千恵子先生に師事しました。ピアノ、ソルフェージュ、バレエも並行して習いに行っていました。小3から「相愛大学附属音楽教室」にも通い始め、そのオーケストラで《おもちゃの交響曲》や《ホルベルク》組曲などを演奏、とても楽しかった記憶があります。
 曽我部先生が海外に引っ越されたので、小6から工藤千博先生(元京響コンサートマスター)に師事しました。当時、先生はアメリカから帰国されたばかりで、レッスンではアメリカでの楽しいお話もたくさん聞かせていただきました。高校は普通科へ進み、大学は東京藝大か桐朋か迷いましたが、藝大受験を決め、高2から月2回清水高師先生のレッスンを受けに横浜まで新幹線で通いました。
 藝大3年の春に清水先生の講習会があり、「君、背が高いからアンサンブルではヴィオラを弾いてくれない?」と先生がおっしゃって。ヴィヴァルディ《四季》の「夏」だったのですが、ヴィオラのソロがあり、必死で練習しました。練習するうちにヴィオラのほうがヴァイオリンより自分に合っているような気がして。小栗まち絵先生から「マサヨちゃんはヴィオラ、向いてるんじゃない?」と以前におっしゃっていただいたことも重なり、ヴィオラに転向することを考え始めました。
 とはいえ清水先生になかなか言い出せず、大学4年の秋、「進路どうする?」と聞かれた際に、「ヴィオラに替わろうと思っているのですが……」と思いきってお伝えすると、先生が立ち上がって、「君、それはすごくいいよ!」と賛成してくださって。卒業と同時に転向することになりました。
 アメリカのアスペン音楽祭で毎年夏に師事していた川崎雅夫先生(シンシナティ大学教授)がヴァイオリンとヴィオラを両方弾かれる方で、転向の旨をご相談したところ、「シンシナティにいらっしゃいよ。」とお誘いくださり、2002年からシンシナティ大学音楽院に留学しました。
 卒業後はシカゴに移り、シカゴ・シビック・オーケストラに所属。シカゴ響でエキストラとして弾く機会をいただけたのは貴重な体験でした。また、提携先のルーズベルト大学で、シカゴ響のリークオ・チャン、ローレンス・ニューマンの両先生にオーケストラ・スタディのレッスンを受けました。重箱の隅をつつくような(?)レッスンが週2回ずつあり、先生の要求度が高くて練習してもしても間に合わない(笑)。当時は大変でしたが、今思い返すと、とても贅沢な時間でした。
 2005年にオレゴン響へ入団、4年間在籍した後に都響とご縁があり、2010年に帰国しました。都響は音が重厚で、音楽の内面へ凝縮していくエネルギーが魅力だと思います。会場全体が一体となるような演奏会を重ねていけるよう、これからも日々努力していきたいです。

(『月刊都響』2014年11月号 取材・文/友部衆樹)

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