平田昌平

チェロ

平田昌平 (ひらたしょうへい) Shohei HIRATA

(1990年9月1日入団)

私の音楽はじめて物語

16分の1サイズのヴァイオリンを手にして(2歳ころ)
16分の1サイズのヴァイオリンを手にして(2歳ころ)
 チェロを始めたきっかけは、家に楽器があったからです。父は新響のヴィオラ奏者で、近衛秀麿さんの指揮で弾いた世代。新響がN響に改称(1951年)した後も10年ほど在籍していまして、そういう環境でしたから、まず兄(1歳上)が桐朋の子供のための音楽教室に通い始め、私も2歳ころから楽器を始めました。ピアノは先生に就き、ヴァイオリンは父に手ほどきを受けて。でも、どちらも発表会の前しか練習しない(笑)。そんな日々でした。
 私が生まれた(1960年)ころに父はN響を辞め、地元で音楽教室を始めたんです。生徒たちと弦楽合奏をするためにチェロを買ったんですが、私はそれにとても興味があった。立てかけてあるチェロを見て、「どうしてもあれを弾きたい」と思った記憶があります。特に理由はなくて、不思議なんですけどね。それで弾いてみたら、ブンって鳴った音がすごく好きで、子ども心に「すごい、これだ!」と思いました。ヴァイオリンやピアノはイヤだったのに(笑)。
 それで時々弾いていたんですが、とても子どもに扱える大きさではないので、4分の1サイズのチェロを買ってもらったのが7歳ころ。それが始まりです。
 小学校の6年間は自己流で弾いていたんですが、子ども心に、ずっとチェロを弾いていけたらいいな、と思っていました。中学1年の時に松下修也先生に習い始めて、本格的なレッスンはそこからですね。
 高校は地元の普通科だったんですが、私の学年はなぜか音楽の道を目指していた人が多くて、東京藝大へ私も含めて3人、桐朋へ1人、進学しています。彼らとピアノ・トリオをやったり、学校に規模は小さいながらオーケストラ・クラブがあったのでそこで弾いたり、楽しかったですね。
 藝大卒業後、ヤーノシュ・シュタルケルに就きたくてアメリカ(インディアナ州立大学)へ留学しました。先生のメイン・テーマは「脱力」。リラックスすることで、曲が要求するものを実現できる。そのために余分な力を抜いて、自然な状態で効率よく指を遣い、弓を動かす。それを徹底されました。
 帰国して5年ほどフリーランスで活動、90年に都響に入りました。当時は若杉弘さんのマーラー連続演奏会の真っ只中。難しい曲を次々と準備しなければならず、大変でしたけれど、《復活》など鳥肌がたつほどに感動しました。
 その後インバルさんやベルティーニさんを迎えて、厳しくも丁寧に教えていただいた記憶がありますが、今は都響の技術もすごく上がって、指揮者とオケが共同して音楽を作っていく感じになってきたかなと。これからもオーケストラの素晴らしさを発信していけたらと思います。

(『月刊都響』2012年7・8月号 取材・文/友部衆樹)

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