久一忠之

ティンパニ&打楽器 首席奏者

久一忠之 (ひさいちただゆき) Tadayuki HISAICHI

(2006年4月1日入団)

私の音楽はじめて物語

自宅のエレクトーンの前で(4歳)
自宅のエレクトーンの前で(4歳)
 音楽の最初の記憶は、10歳ほど上の姉が弾いていたエレクトーンですね。メロディーよりも、リズムボックスの音が面白かったのを憶えています。でも始めたのはなぜかピアノ(笑)。近所でピアノを教えていた先生の家から流れてくる音に興味があって、小学1年から始めました。ただ、レッスンの前後だけ練習する、みたいな日々でしたけれど。
 小学5年の時に学校の鼓笛隊(金管バンド)に入りました。トロンボーンをやりたかったんですが、マウスピースを持たされた時に、ブーッとやるのを知らなくて、そのままフーッと息を入れてしまったので音が出なかった。それで打楽器に。ただ、小学校でやったのは小太鼓だけです。
 中学校では運動をやりたくて剣道部に入ったんですが、夏の稽古があまりにキツくて、半年で挫折しました(笑)。結局、その後は吹奏楽部に入って、初めてティンパニも叩きました。コンクールにも力を入れているような学校だったので、部活動は結構厳しかった感じです。
 地元の普通高校へ進んで、同じく吹奏楽部に入りました。ここはあまり活動が盛んではなかったんですが、逆に打楽器をもっと極めたい気持ちが出てきて、音大を目指すことに。菅原淳先生(読響首席ティンパニスト)に師事したのは高校2年の夏で、音大の受験準備を始めたのもその時からです。
 何とか浪人せずに武蔵野音大へ入り、その後、東京音大研究科まで、菅原先生にはお世話になりました。私の場合、中学・高校まで吹奏楽一色で、オーケストラの体験は大学以降なんです。学生時代に読響で菅原先生の素晴らしいティンパニを聴きましたし、自分でもオーケストラの授業でベートーヴェン《英雄》をやって、ティンパニの醍醐味に触れたり。
 吹奏楽の場合は音数が多くて、音程の変更も多いので、どうしてもペダル操作に気をとられて、音色にあまり気を配る余裕がないことが多い。オーケストラでは音数は少ないんですが、一つ一つの音が非常に重要で、責任が大きい。その瞬間のニュアンスに合った説得力のある音が要求されるので、神経を遣います。
 東京音大研究科を修了してから広響で3年間演奏させていただき、2006年に都響へ入団しました。都響は弦楽器に透明感があって、その中で叩くのはとても怖い瞬間があります。そこで逃げないで、信念をもって自分の音を出さないといけないので、気持ちのコントロールが重要ですね。
 首席の安藤芳広さんにはレッスンを受けたこともあるんですが、隣で演奏していても刺激が多い。音色の幅がとても広くて、曲のその場面に合った音を自然に紡いでいく。さすがだなと感じることがたくさんあります。これからも勉強を続けて、少しでも理想に近づいていければ、と思います。

(『月刊都響』2012年7・8月号 取材・文/友部衆樹)

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