井口有里

トロンボーン

井口有里 (いぐちゆり) Yuri IGUCHI

(2003年4月1日入団)

武蔵野音楽大学卒業後、1990年シエナウインドオーケストラ創立メンバーとして6年在籍。その後 東京シティフィルハーモニック管弦楽団を経て2002年東京都交響楽団 2nd.basstrb.奏者として入団。
98年アンサンブル・ターブ ファーストアルバム「アンサンブル・ターブ」をリリース。都響トロンボーンカルテットTMTQとして6枚のCDをリリース。
関根五郎、(故)Johann Doms の各氏に師事。
現在、東京都交響楽団団員、武蔵野音楽大学、東京音楽大学非常勤講師。


●CD情報

ノスタルジア
東京メトロポリタン・トロンボーン・クァルテット
メンバー:小田桐寛之、井口有里、青木昂、野々下興一
2016年8月3日発売  ¥2,700(税抜)
フォンテック

曲目/
フラッケンポール:トロンボーン四重奏曲
シャルル=アンリ:夢の形で
J.S.バッハ:パッサカリア
バルトーク:トロンボーン四重奏のための組曲
いずみたく:見上げてごらん夜の星を
中村八大:明日があるさ
中村八大:上を向いて歩こう
ノスタルジア<br />
東京メトロポリタン・トロンボーン・クァルテット<br />
¥2,700(税抜)
ノスタルジア
東京メトロポリタン・トロンボーン・クァルテット
¥2,700(税抜)

私の音楽はじめて物語

吹奏楽部の演奏会で(中学3年)
吹奏楽部の演奏会で(中学3年)
 私は子どものころ、どちらかと言えば体育会系で、身体を動かすことの方が好きでした。小学校のクラブでバレーボールや水泳を一生懸命やっていて、水泳は大会にもよく出ていました。両親も特に音楽好きではなかったですし、姉(4歳上)がピアノをやっていましたが、私はあまり興味がなかった(笑)。
 ところが小学6年の時にちょっと体調を崩して、中学校では運動部はダメ、になってしまって。それで吹奏楽部へ入りました。なぜ入部したのか、実はよく憶えてないんですが、先に入った友だちに誘われたんだと思います。本当はトランペットかクラリネットをやりたかったんですが、どちらも既にやる人が決まっていて、楽器が空いていたトロンボーンをやることに。
 でも、始めたらのめり込みましたね。1つ上の女子の先輩が熱心に教えてくれて、ロングトーンとか、基礎練習を真面目にコツコツとやりました。何をするよりトロンボーンが大好きになって、中学生活の後半は、吹奏楽をやるために学校へ行っていた感じです。
 音楽に道に進みたい、と意識し始めたのは中学3年の時。高校に入ったころ、宮下宣子さんが新日本フィルに入団した記事が写真入りで新聞に載って、格好いいなあ、とすごく憧れました。当時、女性のプロの金管奏者はほとんど存在しなかったので。女の子でもできるんだ、と衝撃でしたね。
 高校は地元の普通科でしたが、音大へ行くにはピアノとかいろいろ準備が必要なことを知りましたので、吹奏楽部には入らず、受験準備に明け暮れた感じです。ピアノもソルフェージュも高校1年から始めたので大変でした。トロンボーンのレッスンを受け始めたのも高校1年からで、関根五郎先生(N響)に師事しました。とても優しい先生で、ほとんど叱られた記憶がなく、とにかく褒められて導いてくださった感じです。
 無事に武蔵野音大へ進み、引き続き関根先生にお世話になりました。大学3年の時に、ヨハン・ドムス(ベルリン・フィル首席奏者)が学校にいらして、短期間ですがレッスンを受けました。かなり小さなマウスピースでハイ・トーンをどんどん吹いていくスタイルで、とても強い印象を受けました。
 卒業後、シエナ・ウインド・オーケストラ、そして東京シティ・フィルにそれぞれ6年ほど在籍、試用期間を含めると2002年から都響で吹いています。金管パートは弦楽器とのバランス上、指揮者に「音量を抑えて」と言われることが多いんですが、都響は弦楽器が非常に充実しているので、あまりそういう場面がなく、音量も表現もかなり幅広く、自由に「音楽」に集中できる気がします。オーケストラの雰囲気が温かく、でも心地よい緊張感がある。都響で演奏できる幸せを日々感じています。

(『月刊都響』2012年9月号 取材・文/友部衆樹)

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