池松 宏

コントラバス 首席奏者

池松 宏 (いけまつひろし) Hiroshi IKEMATSU

(2014年4月1日入団)

1964年ブラジル生まれ。19歳よりコントラバスを始める。桐朋学園大学卒業。NHK交響楽団首席を経て、2006年家族と共にニュージーランド移住しニュージーランド交響楽団首席。2014年帰国し現在東京都交響楽団首席奏者。これまでに7枚のソロ・アルバムをリリース。紀尾井ホール室内管弦楽団、東京アンサンブル、水戸室内管弦楽団、サイトウ・キネン・オーケストラのメンバー。後進の指導にも力を入れており、現在、東京芸術大学教授、国立音楽大学客員教授。またドイツ、イギリス、ポーランド、オーストラリア、中国など海外のコンクール、音楽祭や音楽大学に招かれマスタークラスを行っている。渓流釣りが趣味で2013年ニ ュージーランド・ナショナル・フライフィッシング・ペア大会優勝。

私の音楽はじめて物語

江藤俊哉先生の弦楽合奏合宿にて(大学3年ころ/中央)。<br />
手前右は現・神奈川フィル首席チェロ奏者の山本裕康氏
江藤俊哉先生の弦楽合奏合宿にて(大学3年ころ/中央)。
手前右は現・神奈川フィル首席チェロ奏者の山本裕康氏
 父の仕事の都合で、ブラジルで生まれました。サンパウロから数百キロ離れた小さな街でしたね。小1~5は長崎、小6は東京、中1~2はブラジル(リオデジャネイロ)、中3以降は東京、と各地で過ごしました。
 母がアマチュアでピアノを弾いていたので、6~7歳ころに少し手ほどきを受けたのですが、すぐに辞めてしまって。身体を動かすことが好きで、小学生時代は剣道、中1~2で空手、中3から高校にかけてはサッカーをやっていました。
 父も音楽好きで、中2のころ「聴いてみたら」と渡されたのがラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のレコード(独奏はリヒテル)。それがきっかけでクラシックを好きになって、FM放送をテープに録音してよく聴いていました。バーンスタイン&ベルリン・フィルのマーラー9番は、たぶん1千回以上聴いたと思います。
 高校は都立だったのですが、管弦楽部があったのでサッカー部と兼業で入部しました。ただメンバーが十数人しかいなくて、弦楽合奏+管楽器数人という状態。最初、ヴァイオリンをやりたかったのですが、それは足りているからクラリネットかコントラバスをやってほしい、と言われ、コントラバスなんか冗談じゃないと思って(笑)、高1でクラリネットを吹くことに。高2でチェロ、高3で指揮者、と足りないところをたらい回しにされ、先輩もいなかったので完全に独学でやっていました。でも楽しかったですね。
 音楽をどうしようもなく好きになったので、音楽家になりたいと考えました。が、クラリネットもチェロも、とても音大へ行けるレベルではない。素人なので、指揮者ならなれるんじゃないかと考えた(笑)。
 伝手をたどって堤俊作先生に相談したところ、指揮科に入るのは難しいし、指揮者になるにしても何か楽器を弾けた方がいい、コントラバスをやってはどうか、と勧められました。高3の終わりのころです。実は先生に内緒で東京藝大の指揮科を受験したのですが、もちろん受かるわけがなく。
 浪人生活に入り、6月からコントラバスを始め、堤先生に師事しました。ピアノとソルフェージュもそこからやり始めたので大変でしたね。
 翌春、桐朋学園大学へ進んだものの、当初はコントラバスが嫌いでほとんど練習しませんでした。大学2年の夏ころ、西田直文さん(N響首席奏者/当時)が卒業演奏会で弾いたクーセヴィツキーのコントラバス協奏曲のテープを聴いて、演奏が素晴らしかったのと、こんなに良い曲があるなら自分でも弾けるようになりたい、と。同時期に、オーケストラの中で弾くことの楽しさに目覚め、それからは1日中練習していました。
 卒業して1年ほど桐朋の嘱託演奏員を務めた後、1989年にN響へ入団。オケの中で弾くスキルがあまりに足りなくて、数年は本当に苦労しました。2006年にニュージーランド響へ移って8年ほど在籍、日本に帰ろうかと思っていた時期に都響とご縁があり、2014年4月に入団しました。
 日本のオーケストラは楷書体で、かしこまって弾く空気があると感じています。海外とは文化の違いもありますが、もう少しわくわくと楽しい雰囲気で音楽をやれないかなと。できる範囲で、いろいろ試みをしていきたいと考えています。

(『月刊都響』2014年12月号 取材・文/友部衆樹)

楽員紹介一覧