五十畑勉

ホルン

五十畑勉 (いそはたつとむ) Tsutomu ISOHATA

(2011年9月1日入団)

 東京音楽大学卒業。同大学研究科修了。アムステルダム音楽院卒業。卒業時にオランダ国家演奏家資格取得。ホルンを松﨑裕、ヤコブ・スラクター、ユリア・ストゥーデベイカー、ナチュラルホルンをトゥニス・ファン・デル・ズワルトに師事。1991年PMFに参加。2006年よりチョン・ミョンフン指揮のアジアフィルに参加。東京シティ・フィルおよび東京フィルを経て、2011年に都響へ入団。

私の音楽はじめて物語

小学校の金管バンドで(右/小6)
小学校の金管バンドで(右/小6)
 音楽との出会いはアルトホルンです。小6の時、学校に金管バンドができて、募集がありました。トランペットが一番人気で、トロンボーンや打楽器にも人が並んだんですが、アルトホルンは誰も希望者がいなかった。で、考えたわけです。誰もいないということは、今始めれば、自分が一番上手いことになるな、と。それでアルトホルンを始めました(笑)。
 すぐに音を出せたので、1年間楽しく過ごして、中学では吹奏楽部へ。そこではアルトホルンがなかったので(フレンチ)ホルンへ持ち替え、以来ずっと吹いています。コンクールへ向けて夏にたくさん練習したりしましたが、当時知っていた曲と言えばコンクールの課題曲など吹奏楽が中心でした。クラシックではなぜか《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》が好きで、小5の時に初めて買ったレコードはその曲です。
 高校は地元の普通科へ。音楽は中学までで満足してしまったので、高校では柔道部に入ろうと思った(父が柔道の有段者)のですが、入学してすぐ教室に女性の先輩が勧誘に来て「吹奏楽部に入ってくれない?」と。思わず「はい!」と返事をしてしまって、しばらく意気消沈(笑)。少人数であまり盛んな部ではありませんでしたけれど、顧問の先生との出会いは大きかった。音楽ってこんなに楽しいものなのか、を教えていただき、まずは音楽の先生になることを目指して音大の受験準備を始めました。ホルンのレッスンを受け始めたのが高2の秋。ピアノもそのころ始めたので大変でした。
 無事、東京音大へ進んだのですが、大学2~3年のころは第2副科で選択した篠崎義昭先生の声楽レッスンに夢中になり、本気で声楽への転向を考えたくらいです。ただ大学3年の終わりにノイリンク《バガテル》という曲に出会ってホルンへ戻り始め、大学4年の途中から松﨑裕先生(N響首席奏者)のレッスンを受けるようになって、本格的に復帰。松﨑先生には、音楽への向き合い方を教えていただいた気がします。
 大学の研究科に1年居て、卒業後は3年ほどフリーで活動。東京シティ・フィルに1年ほど在籍した後、アムステルダム音楽院へ留学しました。コンセルトヘボウ管弦楽団が好きだったので、首席を吹いていたヤコブ・スラクター先生に師事。アムステルダムには6年滞在、常連エキストラのような形でコンセルトヘボウ管に参加、ヤンソンス指揮で《英雄の生涯》などを演奏したのが思い出に残っています(コンセルトヘボウ管で吹いた初の東洋人管楽器奏者だ、と言われました)。皆の自己主張が強くて、演奏中に「ここはこうやるべきだ」「いや、別のやり方もあるよ」と音で対話しているのが見える。とても勉強になりました。
 帰国後、再びフリーを3年ほど、東京フィルに5年居て、都響入団は2011年です。お互いの尊敬の上で意見を出し合い、音楽を追求していく雰囲気が好きですね。自分はまだまだ新参者なので、これからも頑張りたいと思います。

(『月刊都響』2013年10月号 取材・文/友部衆樹)

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