伊藤 駿

トランペット

伊藤 駿 (いとうしゅん) Shun ITO

(2019年10月1日入団)

私の音楽はじめて物語

全日本マーチングコンテストで(高1)
全日本マーチングコンテストで(高1)
小学校時代は野球少年でした。地元の公立中学校へ進み、当時は背が低かったので野球部は諦め、水泳部や剣道部を見学。ところが部活動を決める日に友達2人が「吹奏楽部へ入る」と言い出して、一緒に音楽室へ。楽器の存在もよく知らなかったのですが、見た目がカッコ良いのでトランペットをやりたいと思いました。が、パート分けの都合で打楽器へ。入部を止めようかと考えたところ、土壇場で1人空きがあることが判明、トランペットに入ることができました。
楽器を渡されてすぐに音を出せて、楽しく吹いていたと思います。スパルタ式の部活動で、練習は厳しかった。顧問の谷本卓先生(京都市立芸大作曲科出身)には音楽や楽器についてたくさんのことを学びました。中3の時、レーザーディスクでショルティ指揮シカゴ響の《展覧会の絵》(1990年ライヴ/サントリーホール)を見せていただき、椅子から立ち上がれないくらい衝撃を受けました。伝説的なトランペット奏者アドルフ・ハーセスを擁する世界最強のブラス・セクション。この時、自分はオーケストラ・プレイヤーになる、と決めました。プロのオーケストラがどんなものか、全く知りませんでしたが(笑)。
岡山県の明誠学院高校特別芸術コースへ特待生として進学。寮生活で、通常の授業以外は音楽に集中。音大の受験を意識して、高1の冬から杉木峯夫先生(東京藝大教授/以下カッコ内は当時)と早坂宏明先生(京響トランペット奏者・京都市立芸大非常勤講師)に師事。月1回、先生のご自宅(千葉と京都)までレッスンに通いました。ピアノは小学1~2年ころに少しやっただけでしたので、ピアノとソルフェージュには苦労しました。
高1のころからソロの時はあがり症になっていて、克服に10年ほどかかったのですが、受験でもガチガチに緊張してしまい、1年目は失敗。浪人して再受験に備えましたが、翌年2月に自転車に乗っていて原付バイクに衝突され、肋骨を折る大ケガ。1週間後が東京藝大の入試で、まともに吹けるわけがなく1次試験で惨敗。その2週間後が京都市立芸大の入試で、多少は回復していたのと、緊張を上回るプレッシャーに耐えて吹いたためか、合格することができました。
大学では引き続き早坂先生にお世話になりました。管打合奏の授業で呉 信一先生(元大阪フィル首席トロンボーン奏者)の指導を受け、金管セクションとしてブルックナーやチャイコフスキーなどの交響曲全楽章を演奏。オーケストラにおける金管の響きにハマりました。卒業後は桐朋オーケストラ・アカデミー(富山)へ進み、ベルリン・フィルのトランペット奏者ギヨーム・ジェルからレッスンを受けられたのは財産になりました。
オーケストラ・アカデミー在籍中に新日本フィルのオーディションに合格、2016年に入団。いきなり首席奏者になってしまったので大変でしたが、周囲の方々に支えられ、焦らずいろいろなアプローチを試すことができて、たくさんの経験をさせていただきました。2019年に都響へ移籍。音楽へ向かう姿勢がとても積極的で、表現の踏み込みが深いオーケストラ。自分もさらに精進を続け、音楽の素晴らしさを伝えていけたらなと思います。

(『月刊都響』2021年7・8月号 取材・文/友部衆樹)

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