小関 郁

第1ヴァイオリン

小関 郁 (こせきふみ) Fumi KOSEKI

(2018年3月1日入団)

私の音楽はじめて物語

 私は4人きょうだいで、兄(6歳上)、姉(4歳上)、双子の妹がいます。子どものころ、姉がヴァイオリンをやっていて、家で弾いているのが羨ましくて。妹(妙 [たえ]/現在はニュルンベルク歌劇場フォアシュピーラー)と一緒に、5歳で習い始めました。
 最初に就いたのは益田吾郎先生。「君は天才だよ!」とすごく誉めてくださる先生で、曲もどんどん進め、楽しく弾いていました。最初の発表会で演奏したのはゴセックの《ガヴォット》。最後のピツィカート2つが格好良くて、「この曲を弾きたいです」と先生に言ったのを憶えています。徳永二男さんのCDを聴いてヴィエニャフスキの《華麗なるポロネーズ》が大好きになり、この曲を弾けるようになりたい、とずっと憧れていました。
 小学校と中学校は地元の公立へ。本を読むのも学校の勉強も好きで、将来の夢はお医者さんか考古学者か宇宙飛行士かヴァイオリニスト(笑)。科学雑誌『Newton』にハマったり、毛利衛さんの宇宙からの授業を見て影響を受けたり、好奇心がいろいろな方向へ向いていました。
 中2の冬、音楽の道へ進むならそろそろ準備をしなければ、でも、と決めかねていた時に、ドッジボール大会で左手を怪我してしまい、1ヶ月間ヴァイオリンを弾けなくなりました。その時期に「やはり自分は音楽が好きだな」と心が定まり、東京藝大附属高校の受験を決めました。
 中2の夏から吉村知子先生(新日本フィル第2ヴァイオリン首席)にもレッスンを受け始め、翌年3月から松原勝也先生(東京藝大教授)に師事。ピアノとソルフェージュは小学校から少しやっていましたが、本格的に始めたのはこの時期からです。
 東京藝大附属高校で熱中したのは室内楽。入学するまでオーケストラや室内楽の経験はなかったのですが、授業で古典四重奏団にレッスンを受けたのがとても楽しくて。学内のコンサートに出ようと、同級生4人でカルテット(後の「クァルテット・ヴェーネレ」)を組み、《セリオーソ》を山崎伸子先生に聴いていただいたら、「(音が)浅い!」と凄いテンションで叱られました(笑)。でもこのメンバーで続けることを勧めてくださって、大学時代は朝から晩までひたすらカルテットをやっていました。
 東京藝大大学院では、カルテットを一時休止して、それまであまり弾いていなかったソナタを改めて勉強。オーケストラや、ピアノ・トリオなどカルテット以外の室内楽をやる機会も増えて、将来はオーケストラで弾きたい、と思うようになりました。
 大学院を修了してすぐに東響のオーディションを受け、2012年9月に入団。本番が多く忙しいオーケストラでしたが、『サロメ』『死の都』などオペラをたくさん体験できたのは良かったと思います。
 都響への移籍は2018年3月。私は「合わせる」ことを優先する感覚がありましたが、都響では一人ひとりが凄いエネルギーで積極的に弾いていることにまず圧倒されました。譜読みが完璧で、リハーサル初日から音楽の流れを作れる。最近、ようやく周りを少し見渡せるようになりましたけれど、まだまだ学ぶことは多いですね。メンバーの1人として、もっと音楽を発信できるようになりたいと考えています。

(『月刊都響』2019年10月号 取材・文/友部衆樹)

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