岡本正之

ファゴット 首席奏者

岡本正之 (おかもとまさゆき) Masayuki OKAMOTO

(1989年6月1日入団)

 1989年東京藝術大学卒業。同年、東京都交響楽団へ入団。第6回日本管打楽器コンクールファゴット部門1位、および大賞受賞。91~92年、DAAD奨学生としてハノーファーにて研修。96~97年にはアフィニス文化財団の派遣研修生としてシュトゥットガルトにて研鑽をつんだ。
 2003年東京オペラシティ リサイタルホールにて「B→C」リサイタルに出演。都響とは2008年大野和士指揮「作曲家の肖像~R.シュトラウス」にて《クラリネットとファゴットのための二重コンチェルティーノ》のソリストとして共演。93年ミネアポリス、2009年バーミンガムでのIDRS国際ダブルリード協会のカンファレンスに参加。現在、都響首席ファゴット奏者としての活動を中心に、霧島国際音楽祭、木曽音楽祭などにも参加。ファゴットを森田格、菅原眸、岡崎耕治、クラウス・トゥーネマン、セルジオ・アッツォリーニの各氏に師事。
 桐朋学園大学特任教授、東京藝術大学非常勤講師。

私の音楽はじめて物語

吹奏楽部で(手前/中3)
吹奏楽部で(手前/中3)
 最初に出会った楽器は、4~5歳ころに弾いた電子オルガン(エレクトーンより単純な1段鍵盤のもの)です。音を出したり聴いたりするのは好きだったのですが、音符を読むのが嫌いで。ヤマハ音楽教室に通いましたが、長続きせず、小学校に入る前に辞めています。
 小2の夏に東京から千葉県柏市に引っ越し、転校先の学校はクラブ活動が盛んでした。水泳や陸上、体操などをやった末、小4から器楽クラブへ入ってトランペットを吹きました。友だちに誘われたのと、楽器がピカピカでとにかく格好良かった。メカっぽいのが好きで、練習前にはバルブなどを分解してバネやフェルトを点検するのが習慣でした。
 私が器楽クラブを熱心にやっている様子を見た父が、いろいろレコードを買ってくるようになり、その中で気に入ったのがカラヤン&ベルリン・フィルの《くるみ割り人形》。まろやかで深いオーケストラの響き、その中から聴こえるファゴットの音になぜか魅了されました。当時はファゴットの実物を見たことがなくて、音楽室にあった楽器の絵や写真を見ては、どんな吹き心地なのだろうと想像を膨らませ、中学へ行ったら絶対この楽器をやろう、と心に決めていました。
 地元の柏中学校へ進み、吹奏楽部へ。人気の部活だったのでいくつか関門があり、まずマラソンや腕立て伏せ、腹筋などをやる体力増強期間が2週間ほどありました。それを通過して、希望通りファゴットに決まったのですが、その後も3ヵ月ほどリードとボーカルだけで練習。7月にようやく楽器を吹き始めましたが、ファゴットが1本しかなく、1学年上に女子の先輩がいたので、合間にしか吹けない状態でした。
 中1の終わりころ、合奏練習の際に、顧問の大江信夫先生が付点リズムを一人ずつ吹かせたことがあります。私はたまたま上手く吹けたみたいで、「君はスジが良いね」と褒めていただけた。それで有頂天になり、僕はオーケストラのファゴット吹きになる、と思ってしまった(笑)。自分でスコアやレコードを買うようになり、音楽にのめり込みました。
 熱心に取り組んでいる様子を見て、大江先生がポケットマネーでファゴットを買ってくださり、中2からは集中して練習できることに。私にとって、大江先生は本当に恩人です。
 その年、柏中の先輩である森田格(いたる)先生(後のN響ファゴット奏者)が東京藝大に入学。OBとして顔を出していた森田先生に時々アドヴァイスをいただき、私が高1になってからレッスンが本格化。高2からは、森田先生の紹介で菅原眸(ひとみ)先生に師事しました。東京藝大では岡崎耕治先生にお世話になり、大学4年の終わりに都響のオーディションを受け、入団は1989年です。
 今、都響は充実していると思いますが、もちろんそれに満足していてはいけないですし、もっと都響ならではの企画、都響でなければ出せない音、をさらに探究していきたいと考えています。

(『月刊都響』2014年5月号 取材・文/友部衆樹)

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