佐野央子

コントラバス

佐野央子 (さのなかこ) Nakako SANO

(2002年9月1日入団)

 東京藝術大学卒業、同大学院修了。在学中、学内モーニングコンサートにおいて史上初の女性コントラバス・ソリストとして、藝大オーケストラと共演。大学院在学中、2002年に都響へ入団。小澤征爾音楽塾、霧島国際音楽祭、宮崎国際音楽祭、サイトウ・キネン・オーケストラなどに参加すると共に、室内楽、ソロの分野でも活躍中。2006年9月から1年間、ドイツ・ミュンヘンにてハインリヒ・ブラウンに師事。

私の音楽はじめて物語

左:ビクトロンの発表会で(小1) 右:吹奏楽部で(中2)
左:ビクトロンの発表会で(小1) 右:吹奏楽部で(中2)
 初めて出会った楽器はビクトロン(日本ビクターの電子オルガン)です。母の友人の久保田朋子先生が指導者をされていて、3歳から習いました。あまり「こうしなさい」と言われることがなく、自由に弾かせてもらえたので、それが自分には合っていた気がします。小6の時に関東甲信越代表として、ビクトロンの全国大会(中野サンプラザ)に出場したことが思い出ですね。
 小さなころから、楽器を弾いたり歌ったりするのが大好きでした。小4から学校の器楽部に入ってアコーディオンを担当。器楽部にはコントラバスもあったのですが、当時、絶対あれだけはやりたくないと思っていました(笑)。目立たないし、メロディを弾かない楽器なんて、と。
 中学で吹奏楽部に入りましたが、とても人数が多かったので、楽器を始めるのは2年生から。1年生は楽器だけ決めておいて、合唱をやる、という流れでした。私はフルートを希望していたのですが、中1の5月ころ、顧問の矢島昭彦先生に「コンクールまででいいから、コントラバスをやってくれないか」と頼まれまして。私が音楽の授業で楽しそうに歌ったりしているのを見て、目に留まったらしいです。それでいきなり「僕の手を握ってみなさい」。で、思いきり握り返した私。そうしたら「よし、決まりだ!」。何がなんだか分からない。手の大きさを見た、というよりは、コントラバスをやらせるための演技だった気がします。矢島先生が私の人生を変えてしまいました(笑)。
 約束のコンクールが終わったらフルートに変更してあげると先生はおっしゃっていたのですが、コンクール後も先生に「次の○○大会まで」などと言われ、コントラバスを弾き続けることに。そしてそのまま先生は他の学校に転任されました(笑)。当時は一番やりたくなかった楽器だったので、とにかくつらかったです。
 中3の5月ころ、吹奏楽部で初めて定期演奏会をやることになり、その時に1曲だけ、栃尾市のアマチュア弦楽合奏団と合同でベートーヴェン交響曲第1番第1楽章を演奏する、という企画がありました。
 その合奏団の指導をされていたのが村上満志(みつし)先生(都響首席コントラバス奏者/当時)。そのご縁で、中3の終わりから村上先生に師事することになり、高校時代は月に2、3回東京までレッスンに行きました。東京文化会館にもよく通っていました。
 本当にのびのびと、一から百、いや千まで教えていただいて、先生に出会わなかったら、今の自分はないと思います。幸いにも東京藝大へ進むことができて、大学院1年の時に、これも村上先生から都響のオーディションの情報をいただき、無事合格。1年目は大学院との2足のわらじで忙しかったですが、とても充実した毎日でした。
 都響に入ってから、改めてコントラバスの面白さと深さを学んだ気がします。都響のコントラバス・セクションは、ベルリン・フィルのツェペリッツ先生の教えを受け継いだ部分があって、空気を震わせる響き、あるいは一体感のある音など。そういった伝統をつなぎながら、より良いセクションを目指し今後も努力していきたいと思います。

(『月刊都響』2014年4月号 取材・文/友部衆樹)

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