佐藤 潔

テューバ

佐藤 潔 (さとうきよし) Kiyoshi SATO

(1991年3月1日入団)

 群馬県高崎市出身。東京藝術大学卒業。
世界テューバ協会主催の学生ソロコンクールに入選。南カリフォルニア大学専攻科修了。第3回日本管打楽器コンクール第2位入賞(1位なし)。
テューバを故大石清、多戸幾久三、故Tommy Johnson、Roger Bobo、Jim Selfの各氏に師事。
1991年東京都交響楽団入団。東京メトロポリタン・ブラス・クインテットのメンバー。
「村田陽一とSOLIDBRASS」などに参加。武蔵野音楽大学非常勤講師。洗足学園音楽大学客員教授。

私の音楽はじめて物語

吹奏楽コンクール群馬県大会でスーザフォンを吹く(中1)
吹奏楽コンクール群馬県大会でスーザフォンを吹く(中1)
 姉(5歳上)がピアノをやっていたので、自分も始めたのが4歳の時。非常に厳しい先生でしたので、長続きせず半年ほどで辞めました。小1から2~3年ほどヴァイオリンをやったのですが、これも先生が引越したのを機に中断。小4のころ高崎少年少女合唱団の発足に参加しましたが、変声期を迎えたので2年ほどで卒業しています。
 父が野球好きでしたので、中学ではまず野球部に仮入部。が、怖い雰囲気でこれは無理だなと思い、姉が吹奏楽部で打楽器をやっていた記憶もあって、そちらへ入部しました。でもトランペットなど人気の楽器は既に一杯で、「これをやってね」と連れて行かれた先にドンとあったのがスーザフォン(笑)。楽器が足りなかったので、テューバを吹き始めたのは中2からです。
 地元の普通高校へ進学し、やはり吹奏楽部でテューバを担当しました。中学のころから良いハーモニーが鳴ると気持ちが良かったですし、高校入学のころはかなりテューバを好きになっていましたね。とはいえプロになろうという意識は全くなくて、将来は市民吹奏楽団などで楽しく吹けるといいなと思っていました。
 ところが高校の先輩で、音楽は好きだけれど諸般の事情で音大へは行けず、一般大学の学生オーケストラで吹いている人がいまして。合宿の時に「君は才能があるんだから、音大を目指すべきだ」と熱心に勧めるわけです。
 そこまで言ってくれる人がいるなら、ちゃんと考えようかと。高2の10月に上京して、見込みがあるかどうか、プロの方に初めてレッスンを受けました。「この場では分からないから、この課題を1ヶ月後までにやってきなさい」と言われ、翌月も特に「大丈夫」とは言われませんでしたが、「じゃ、やってみようか」と普通にレッスンが始まり、もう動きだしたので受験を辞められなくなった(笑)。
 とはいえピアノやソルフェージュなど準備が間に合わず、1年浪人。翌年、東京藝大へ進みました。大学では大石清先生に師事。大学1年の時、ロジャー・ボボ(ロスアンジェルス・フィル首席/当時)のレコードを聴いて、大ショックを受けまして。彼はソロ楽器としてのテューバの扉を開いた人で、従来の楽器のイメージを払拭する明晰な音でした。
 それで留学を考えましたが、ボボはもう大学を教えていないため、彼の親友のトミー・ジョンソンが教えている南カリフォルニア大学へ行くことに。1985年の1年だけでしたがたくさんのレッスンを受け、良い音程、正確なリズム、幅広い強弱を揺るぎない音で吹く、という基礎を叩き込んでいただいたと思います。
 1986年に帰国、5年ほどフリーで活動後、1991年に都響へ入団しました。テューバはオーケストラの中で唯一、先輩も同僚もいない楽器ですので、最初は試行錯誤。相葉武久さん(都響首席コントラバス奏者/当時)に、何回かコントラバスとのニュアンスの合わせ方をアドヴァイスいただいたことは貴重な経験でした。
 これからも様々なレパートリーに柔軟性をもって、美しい音で吹き続けられたらいいな、と思っています。

(『月刊都響』2014年12月号 取材・文/友部衆樹)

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