双紙正哉

第2ヴァイオリン 首席奏者

双紙正哉 (そうしまさや) Masaya SOSHI

(2005年5月1日入団)

 桐朋学園大学卒業。篠崎永育、徳永二男、アレキサンダー・アレンコフの各氏に師事。在学中より広響、新日本フィルのゲスト・コンサートマスターを務める。1995年東響のアシスタント・コンサートマスターに就任。1998年退団後はソロ、室内楽を中心に活躍。ストリング・クヮルテットARCOのメンバー。2004年北九州市民文化奨励賞受賞。2005年より都響第2ヴァイオリン首席奏者。

私の音楽はじめて物語

発表会で(5~6歳)
発表会で(5~6歳)
 ヴァイオリンを始めたのは4歳の時です。江藤俊哉先生のNHK『バイオリンのABC』を観ていて、「これをやりたい」と言ったらしい。自分では憶えていないのですが。翌日から篠崎永育(えいすけ)先生(N響第1コンマス・篠崎史紀氏の父)の教室に通い始めました。練習は好きではなかったですけれど、レッスンに行くのは楽しみで、ほとんど休んだことがありません。
 父が中学の音楽教師だったので、家にはレコードが千枚くらいあり、小学生時代から時間があると片っ端から聴いていました。父に「聴くだけじゃダメ。スコアも見なさい」と言われ、どう読めばいいのか見当がつかないまま、分かるところから音符を追っていました。
 小5からアマチュア・オケの北九州交響楽団に入り、まず弾いたのがショスタコーヴィチの交響曲第5番。自分のパートだけではワケが分からなかったので、予習のため、お小遣いで最初に買ったレコードがこの曲(ハイティンク指揮)です。夢中で聴きました。
 小6で北九州音楽コンクール小学生の部で1位をいただき、篠崎先生の紹介で中2から徳永二男(つぎお)先生に師事。飛行機で月に1~2回、東京へレッスンに通っていましたから、桐朋を目指したのは自然な流れでした。
 高校から桐朋へ進学。高校・大学時代は室内楽に熱中、桐朋祭のオーケストラでコンマスをやらせてもらったり、いろいろな経験ができました。
 新日本フィルの「成人の日コンサート」でゲスト・コンマスに招いていただいたことがあります。自分が20歳だったので選ばれたらしく、打合せで成城へ行ったところ、連れていかれた家に「小澤」と表札が出ている。いきなり小澤征爾さんに紹介されて、挨拶もそこそこに《運命》の個人レッスンが始まりました。もちろん練習してきましたけれど、「フレーズを明確に!」とか言われながら全4楽章。すごく緊張してヘトヘトになりました。オケのリハーサルでも強烈にダメ出しされましたが、本番ではOKをいただいた感じでホッとしました。広響などからゲスト・コンマスに呼んでいただけるようになったのはそれがきっかけですね。
 徳永先生のご紹介で、大学卒業と同時に東響へアシスタント・コンマスとして入団。当時は非常に忙しかったですが、レパートリーを増やすことができたのは感謝しています。ただ、さすがに忙し過ぎて在籍3年で退団。1998年以降はフリーです。日本での活動を一度リセットしたくなり、2002年から1年、ウィーンへ留学。アレキサンダー・アレンコフ先生にレッスンを受け、オペラやコンサートをたくさん聴きました。
 2003年夏に帰国。すぐに矢部達哉さん(都響ソロ・コンマス)から「第2ヴァイオリン首席で都響へ」とお誘いをいただき、秋から常連エキストラのような形で弾かせていただいて、入団は2005年です。
 都響といえば大曲のイメージがありますが、ハイドンやモーツァルトなど古典ももっとやっていきたいですね。オーケストラの難しさと面白さの基本を体験できますし、視野を広げられると思うので。

(『月刊都響』2014年3月号 取材・文/友部衆樹)

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