田中雅子

第1ヴァイオリン

田中雅子 (たなかまさこ) Masako TANAKA

(1993年4月1日入団)

 3歳よりヴァイオリンを始める。
 東京藝術大学附属音楽高校を経て、同大学入学。在学中、藝大室内楽定期演奏会に出演。ニース夏期音楽セミナーに参加、当地にて演奏会に出演。卒業後、同声会主催による新人演奏会に出演。
 卒業後、DAAD(ドイツ学術交流会)の給費留学生として、ドイツケルン音楽大学に留学。留学中に、各地の音楽祭に参加、またケルン市立ギュルツェニッヒオーケストラの契約団員となりオーケストラの研鑽も積む。
 現在は東京都交響楽団のメンバーとして、オーケストラの活動の他、お話を交えたコンサートをするなど、ソロ、室内楽にも幅広く意欲的に取り組んでいる。
 これまでに、石井志都子、岩崎洋三、田中千香士、堀正文、サシコ・ガブリロフの各氏に師事。

私の音楽はじめて物語

NHK「バイオリンのおけいこ」に出演<br />
(小5/テレビ画面を撮影)
NHK「バイオリンのおけいこ」に出演
(小5/テレビ画面を撮影)
 ヴァイオリンを始めたのは3歳の時です。兄(4歳上)が先に才能教育研究会(スズキ・メソード)で習っているのを見て、私も2歳くらいから「やりたい、やりたい」と親にねだったらしくて。全然憶えていないんですが(笑)。それで3歳の誕生日に小さなヴァイオリンを買ってもらい、私もスズキ・メソードの教室に通い始めました。偶然ですが、海和伸子さん(都響奏者/2012年4月号に記事を掲載)と同じ教室でしたね。
 やがて生徒が増えて、先生にレッスン時間を取っていただくのが難しくなってきたので、小3からは東京藝大卒の石川典子先生に師事しました。発表会では、1人で弾いた後で、門下生に先生の友人のプロの方が加わって合奏する機会もあり、皆で演奏するのは小さい時から好きでしたね。
 外で遊ぶのが大好きで、練習はあまり好きではなかったのですが、転機になったのは小5の時のNHK教育テレビ『バイオリンのおけいこ』です。石川先生に勧められてオーディションを受け、生徒として1年間出演しました。そこで講師をされていた石井志都子先生(桐朋学園大学)に番組の中でレッスンを受け、終了後も引き続き師事することに。石井先生の門下生は、音楽の道に進むことを決めている人が多くて、私も刺激されて自然に進路が決まった感じです。
 東京藝大附属高校、東京藝大へと進み、その後はケルン音大(ドイツ)へ留学しました。藝大を卒業した夏に草津音楽祭へ参加して、講師を務めていたサシコ・ガヴリロフ先生(ケルン音大教授)に「留学するつもりがあるのなら、ぜひケルンへいらっしゃい」と言っていただけたのがきっかけです。DAAD(ドイツ学術交流会)の奨学金も受けることができて、1987年春にケルンへ向かいました。
 ドイツでは、ポンマースフェルデンという街の音楽祭に参加したことが思い出に残っています。かつて貴族だった方が自分のお城に音楽学生を集め、指揮者も招いて4週間にわたってオーケストラや室内楽の練習をして、週末にコンサートをやるわけです。ヨーロッパが東西に分かれていた最後の時期でしたが、ハンガリーやアメリカやいろいろな国から学生が来ていて、一緒に音楽を作り上げる。楽しかったですね。
 留学生活の後半に、産休補助楽員のような形でケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団(ケルン・オペラの専属オーケストラ)の契約団員になり、約1年弾いたことがもう一つの転機です。《ジークフリート》や《トゥーランドット》、コンサートでは《ロマンティック》(インバルさんの指揮でした)などを演奏して、オーケストラの魅力に改めて開眼した気がします。
 1989年秋に帰国、3年ほどフリーで活動後、都響のオーディションに幸いにも合格して、入団は1993年です。インバルさん、ベルティーニさん、フルネさん、ペーター・マークさん……と多くのマエストロと演奏できて、都響で弾いてこられたことを感謝しています。
 私もいつの間にか入団して20年が経ちましたけれども、都響の良き伝統を伝えつつ、まだまだ音楽を追求していきたいと思います。

(『月刊都響』2013年8・9月号 取材・文/友部衆樹)

楽員紹介一覧