冨永八峰

コントラバス

冨永八峰 (とみながやつお) Yatsuo TOMINAGA

(2009年11月26日入団)

私の音楽はじめて物語

父の伴奏で弾いたヴァイオリンの発表会(6歳ころ)
父の伴奏で弾いたヴァイオリンの発表会(6歳ころ)
 父がコントラバス奏者(神奈川フィル首席を務めた冨永岳夫)、母が桐朋出身でヴァイオリンを教えている、という環境で育ちましたので、4歳からヴァイオリンを始めました。まず母から手ほどきを受け、6歳ころから梅津南美子先生に師事。厳しいレッスンで、正しい姿勢を保つこと、エチュードを繰り返し練習することなど、基礎を徹底された気がします。当時、楽器を弾いていてあまり楽しかった記憶はない(笑)のですが、今にして思えば、やっておいて本当に良かったですね。
 その後、反抗期(?)で小6の時にヴァイオリンをやめています。1年半ほどブランクがあって、また違う気持ちでやりたくなって中2の途中から新谷絵美(にいや えみ)先生に就いたのですが、それも続けられず、中3のはじめにやめました。中2から吹奏楽部に入ってコントラバスやエレキベースを弾きましたが、あまり盛んな学校ではなかったので、楽器に触れて遊んでいた程度ですね。
 普通高校に進んで、高校の3年間は軽音楽同好会でエレキベースを弾きました。すごく楽しくて、横浜のライヴハウスにも出演。仲間と音楽をやる面白さを知ったのはこの時です。
 音楽の道へ進みたいなと考え始め、高3の12月ころ、父にコントラバスをちょっと教えてもらった時期に、改めて父に相談しました。エレキベースを続けるのと、これからコントラバスを勉強するのと、どちらが可能性があるだろうか、と。エレキベースも大変な世界だし、いろいろ思案した末、高校卒業時は受験を見送って、これから1年間コントラバスを頑張って、音大を目指そう、という結論に。
 ところが翌年3月に父が倒れ、5月に他界。しばらく呆然としていました。その時、子どものころから親しくさせていただいた大西雄二先生が「せっかく始めたんだから、楽器を持ってうちに遊びにおいで」と声をかけてくださって。何回かお邪魔するうちに、やはり音大受験を勧められ、星秀樹先生をご紹介いただき、桐朋を目指すことを決めたのが12月。受験まで3ヶ月しかなくて、それからが大変でした。コントラバスもソルフェージュもみっちりとレッスンを受け、何とか合格。
 桐朋に入ったものの、周囲は上手な人ばかり。とはいえ、そのころは精神的に疲れていたみたいで、ほとんど学校に行かず練習もしない日々。大学2年の秋、在京オケなどにエキストラとして参加させていただく機会があり、プロ・オーケストラの中で弾いてみて改めて明確な目標ができて、そこからようやくスイッチが入った感じです。
 大学卒業後、研究科に2年在籍、修了後は2~3年フリーで活動。都響のオーディションを受け、入団は2009年です。自分はオーケストラの中ではまだ若手ですので、もっともっと勉強していかなければ、と思っています。

(『月刊都響』2013年12月号 取材・文/友部衆樹)

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