柳原佑介

フルート 首席奏者

柳原佑介 (やなぎはらゆうすけ) Yusuke YANAGIHARA

(2004年10月1日入団)

 9歳からフルートを始める。東京芸術大学卒業。石橋正治、金昌国、パウル・マイゼンの各氏に師事。93年全日本学生音楽コンクール東京大会高校の部第1位。以降多数のコンクールに入賞。98年には学内にて安宅賞受賞、日本フルートコンクール第3位、日本木管コンクール第1位、日本音楽コンクール第2位・松下賞受賞。日本フィルを経て2004年より都響首席フルート奏者。武蔵野音楽大学非常勤講師。

私の音楽はじめて物語

発表会で(15歳ころ)
発表会で(15歳ころ)
 山形由美さんがエンディングでフルートを吹く、という番組をテレビで見て、母が私にフルートをやらせたい、と思ったらしいです。近所に石橋正治先生がいらしたので、自分としては気がついたらフルートを始めていた感じですね。始めたのは小4の9月(9歳)から。週1回のレッスンで、石橋先生には大学に入るまでお世話になりました。
 中学、高校は公立に進み、吹奏楽部に入りました。高校では1学年上にすごく上手な男の先輩が居て、とても刺激を受けました。もう1人、高校のOBで東京藝大を目指していた方が遊びに来たことがあって、この方にも影響を受けましたね。
 高校の吹奏楽部は高2の3月に引退、理系のクラスに入って受験準備を始めたので、フルートも高3の4月には辞めました。その後も何となく、先生のところに月1回くらい顔を出してはいましたが。
 それで、いまだに憶えているのが高3の7月1日。予備校に早めに行って物理の予習をしていたんですが、ふと、やはりフルートをやりたいなと。建築科を目指していたのに、選択していなかった化学が受験に必要だと判明したり、春に人間関係にちょっと悩んだりもしていて、ストレスが高じていたのかもしれないんですが。フルートで行く、と決めたら、もう突き進みましたけれど、3ヶ月のブランクでヴィブラートのかけ方を忘れていたり、受験まで大変でした。ピアノは、中2のころから石橋先生の奥様に習っていたので、何とか形になった感じです。
 運良く東京藝大に合格して、金昌国先生に師事しました。金先生は、コンクールをたくさん受けた方がいい、という考えでしたので、大学1年の時から多くのコンクールに参加。4年の時がピークで、4月に日本フィルのオーディション(7月から学生契約で入団)、5〜10月の間に3つのコンクールを受けたので、かなり忙しかったですね。
 卒業後日本フィルの正団員になり、学生契約も含めて5年ほど在籍しました。最初は休みを数えるのも難しくて、かなり落ちたりしてました。都響へは、何回かエキストラで呼んでいただいた後、オーディションを受ける機会があって、入団は2004年です。
 当時はベルティーニさん時代のラストで、マーラーで乗ったのは8番と9番です。オケもマーラー経験が豊富で、リハーサル初日から演奏が完成していて、とてつもなく恐怖を感じました(笑)。
 ベルティーニさんが振ると、オケの音が変わりますね。緊張感がありスキがなく、気魄に満ちた音がする。巨匠クラスの指揮者は、前に立っただけでオーラがあって、自分もいつもとは違った音を出せている気がします。インバルさんはまた別の個性で、情熱的で力強い。本当に達成感があります。
 都響に入って8年経ちましたが、まだ本番を経験していない曲がたくさんありますし、難しい曲にもできるだけ挑戦して、もっと自分を成長させていけたらなと思います。

(『月刊都響』2012年12月号 取材・文/友部衆樹)

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